ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち
レジー(著)
集英社 (2022/9/21)
レジー れじー
ライター・ブロガー。一九八一年生まれ。
一般企業で事業戦略・マーケティング戦略に関わる
仕事に従事する傍ら、日本のポップカルチャーに関する論考を各種媒体で発信。
著書に『増補版 夏 フェス革命―音楽が変わる、社会が変わる―』(blueprint)、
『日本代表と Mr.Children』(ソル・メディア、宇野維正との共著)。
著者は、ノイズを取り入れることで、偶然が生まれ、
そこから利他という考え方が生まれると書いています。
ノイズというのは、
目標を立ててそこから逆算するという方式からは
生まれてきません。
目標よりも、
「今ここ」のプロセスを楽しむことで、
見えてくるものです。
どちらかが正しいではなく、
どちらも使いこなせればいいのではないでしょうか。
「成長しなければならない」という考えの集まりが、
生産や労働の過剰を生み、
それが地球環境の破壊につながっているのだとすると、
「成長」を絶対正義にしなくてもよいのではないかと
私は考えます。
ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち
■ファスト教養
「楽しいから」「気分転換できるから」ではなく
「ビジネスに役立てられるから
(つまり、お金儲けに役立つから)」という動機で
いろいろな文化に触れる。その際自分自身がそれを好きかどうかは
大事ではないし、
だからこそ何かに深く没入するよりは
大雑把に「全体」を知ればよい。そうやって手広い知識を持って
ビジネスシーンをうまく渡り歩く人こそ、
「現代における教養あるビジネスパーソン」である。着実に勢力を広げつつあるそんな考え方を、
筆者は「ファスト教養」という言葉で定義する。■自己責任論
自己責任という考え方は、
今では日本の社会にすっかり浸透しているように思える。たとえば「新型コロナウイルスに感染する人は、
自業自得だと思う」と捉える人は
11.50パーセントで、他国の数字を上回っている。
(アメリカ1.00%、イギリス1.49%、イタリア2.51%、
中国4.83%)2004年「自己責任」は新語・流行語大賞の
トップテンにランクインしているが、
そのきっかけとなったのは同年の春に発生した
イラクでの日本人人質事件である。2004年のこの言葉の広がりは
どうやら小池百合子が起点だというのが
過去の新聞から読み取れる。コロナ禍において東京都知事として
舵取りをしていたのが彼女であることを踏まえると、
新型コロナウイルスへの感染を取り巻く状況に
自己責任の概念がこびりついていたのも
妙な納得感がある。小池の自己責任論に呼応する形で
小泉純一郎と安倍晋三も近い趣旨の発言を
していたことが記されている。■「ホリエモンリアルタイム世代」が支えるファスト教養
今現在のファスト教養の主要プレーヤーとでも
言うべき存在には筆者と同世代が多い。中田敦彦は一九八二年。
箕輪厚介は一九八五年。
西野亮廣は一九八〇年。
ウェブメディア「新R25」の編集長である
渡辺将基も一九八三年。■ファスト教養に欠落しているもの
大きく共通しているのは「公共との乖離」である。
彼らは人々が支え合う社会といったモデルを
うっとうしいと否定するかの如く、
個人としてのサバイバルを重視する。努力して何かを学ぶこと自体に
咎められる要素は何もない。ただ、「自分が生き残ること」にフォーカスした努力は、
周囲に向ける視線を冷淡なものにする。また、本来「学び」というものは
「知れば知るほどわからないことが増える」
という状態になるのが常であるにもかかわらず、
ファスト教養を取り巻く場所においては
どうしてもそういった空気を感じない。■ファスト教養を解毒する
なぜ成長したいかは重要ではなく、
成長することそのものが絶対正義となっている。ビジネスパーソンにとって本来必要なのは、
この前提を問い直すこと、
すなわちなぜ成長したいのかをもっと考えることである。深い考えもなく成長を目指したところで、
自分の中での指標や具体的な目標がなければ、
自己実現を果たすどころか
労働者として使い倒されるだけである。「効率的な差別化」からも「根源的な内省」からも
逃げない態度を身につけるために必要なものは何か。それは気持ちを奮い立たせる成功者のエピソードではなく、
専門的な知見に裏打ちされた確かな知識である。「自己啓発ではなく知識」についてさらにひも解くと、
ここでの「知識」とは
「専門性や情報量を背景に備えたコンテンツから
得られる普遍的な知見」のことを指している。「新しい知識を得なくては」という感情だけが先走ると
何もいいことがない。この状況に陥らないように自身を制御することこそ、
ファスト教養と向き合ううえでの防衛戦略である。そのために重要な観点が、「繰り返す」ことである。
繰り返すうえでポイントになってくるのは、
能動的な「好き」という気持ちである。好きな本だからこそ、負担を感じることなく繰り返し読める。
インフルエンサーが明確な根拠なく唱える
「ビジネスパーソンに必要な教養」を学ぼうとする前に、
自分だからこそ学ぶ意味のあるテーマを見つけることが、
ファスト教養に抗う生き方の第一歩となる。■ノイズと偶然と利他
一直線に向かうわけではない雑談は、
言ってみればノイズまみれのものである。そんなノイズこそ、効率的な情報伝達ばかりが
持て囃されるファスト教養全盛の社会において
必要なものである。意図せず耳にした情報から思考が揺さぶられる、
そういう経験につながるインプットを
生活の中に少しでも取り入れていくことで、
「ビジネスの役に立つ」以外の物差しにつながる手がかりを
得やすくなる。自身の思考にノイズを取り込むことで、
もともと想定していたものとは異なる結論にたどり着く。それによって「ビジネスの役に立つかどうかで情報を取捨選択する」
という発想からは得られない刺激を通じて、
新しい活力を受け取る。こういった態度は、偶然の効用を信じるということでもある。
このスタンスは、本書で取り上げ続けてきた
自己責任の考え方とは真逆のものである。成果を出すために自分で努力すべきという
一般にも受け入れられやすい思想は、行きすぎると
「成果の出ない人は努力していないから救済されないのは当然」
という立場になる。さらに付け加えると、偶然に目を向けることは
利他の発想ともつながっていく。東京工業大学で「利他プロジェクト」に関わっていた、
政治学者の中島岳志はこのように記す。「ここで言えるのは、「利他は偶然への認識によって生まれる」
ということです。私の存在の偶然性を見つめることで、
私たちは「その人であった可能性」へと開かれます。そして、そのことこそが、過剰な「自己責任論」を鎮め、
社会的再配分に積極的な姿勢を生み出します。ここに「利他」が共有される土台が築かれます。」
ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち
『思いがけず利他』
ファスト教養という切り口がおもしろく、
手に取ってみました。
手っ取り早く、自分が担当することになった分野の知識や
流行している分野の知識を身につける技術というのは
必要だと考えますが、それは教養ではないですね。
著者が問題にしているのは、
「お金儲けに役立つから」という目的のために
身につける「教養」であり、
その考えのもと、お金を稼ぐことができないのは、
努力が足りないための「自己責任」であるという考え方です。
そして、成長することそのものが
絶対正義となっているという風潮にも
疑問を呈しています。
今よりも成長した(金銭的)目標を立て、
その目標を達成するために、
手っ取り早く「教養」を身につけようというのは、
そうしないと落ちこぼれてしまうという恐怖や不安の
裏返しでもあります。
「自己責任」が正義である社会では、
何かのきっかけで落ちこぼれてしまったことに対する
思いやりが欠けてしまいます。
著者は、ノイズを取り入れることで、偶然が生まれ、
そこから利他という考え方が生まれると書いています。
ノイズというのは、
目標を立ててそこから逆算するという方式からは
生まれてきません。
目標よりも、
「今ここ」のプロセスを楽しむことで、
見えてくるものです。
どちらかが正しいではなく、
どちらも使いこなせればいいのではないでしょうか。
「成長しなければならない」という考えの集まりが、
生産や労働の過剰を生み、
それが地球環境の破壊につながっているのだとすると、
「成長」を絶対正義にしなくてもよいのではないかと
私は考えます。
あなたは、「自己責任」で苦しくなっていませんか。
20220930 ファスト教養 10分で答えが欲しい人たちvol.3547【最幸の人生の贈り方】