- 序卦伝とは
- 上巻
- 有天地然後萬物生焉。
- 盈天地之間者唯萬物。故受之以屯。屯者盈也。屯者物之始生也。
- 物生必蒙。故受之以蒙。蒙者蒙也。物之穉也。
- 物穉不可不養也。故受之以需。需者飮食之道也。
- 飲食必有訟。故受之以訟。
- 訟必有衆起。故受之以師。師者衆也。
- 衆必有所比。故受之以比。比者比也。
- 比必有所畜。故受之以小畜。
- 物畜然後有禮。故受之以履。
- 履(而泰)然後安。故受之以泰。泰者通也。
- 物不可以終通。故受之以否。
- 物不可以終否。故受之以同人。
- 與人同者物必歸焉。故受之以大有。
- 有大者不可以盈。故受之以謙。
- 有大而能謙必豫。故受之以豫。
- 豫必有隨。故受之以隨。
- 以喜隨人者必有事。故受之以蠱。蠱者事也。
- 有事而後可大。故受之以臨。臨者大也。
- 物大然後可觀。故受之以觀。
- 可觀而後有所合。故受之以噬嗑。嗑者合也。
- 物不可以苟合而已。故受之以賁。賁者飾也。
- 致飾然後亨則盡矣。故受之以剥。剥者剥也。
- 物不可以終盡。剥窮上反下。故受之以復。
- 復則不妄矣。故受之以无妄。
- 有无妄然後可畜。故受之以大畜。
- 物畜然後可養。故受之以頤。頤者養也。
- 不養則不可動。故受之以大過。
- 物不可以終過。故受之以坎。坎者陷也。
- 陷必有所麗。故受之以離。離者麗也。
- 下巻
- 有天地然後有萬物。有萬物然後有男女。有男女然後有夫婦。有夫婦然後有父子。有父子然後有君臣。有君臣然後有上下。有上下然後禮儀有所錯。
- 夫婦之道不可以不久也。故受之以恆。恆者久也。
- 物不可以久居其所。故受之以遯。遯者退也。
- 物不可以終遯。故受之以大壯。
- 物不可以終壯。故受之以晉。晉者進也。
- 進必有所傷。故受之以明夷。夷者傷也。
- 傷於外者必反其家。故受之以家人。
- 家道窮必乖。故受之以睽。睽者乖也。
- 乖必有難。故受之以蹇。蹇者難也。
- 物不可以終難。故受之以解。解者緩也。
- 緩必有所失。故受之以損。
- 損而不已必益。故受之以益。
- 益而不已必決。故受之以夬。夬者決也。
- 決必有所遇。故受之以姤。姤者遇也。
- 物相遇而後聚。故受之以萃。萃者聚也。
- 聚而上者謂之升。故受之以升。
- 升而不已必困。故受之以困。
- 困乎上者必反下。故受之以井。
- 井道不可不革。故受之以革。
- 革物者莫若鼎。故受之以鼎。
- 主器者莫若長子。故受之以震。震者動也。
- 物不可以終動。止之。故受之以艮。艮者止也。
- 物不可以終止。故受之以漸。漸者進也。
- 進必有所歸。故受之以歸妹。
- 得其所歸者必大。故受之以豐。豐者大也。
- 窮大者必失其居。故受之以旅。
- 旅而无所容。故受之以巽。巽者入也。
- 入而後説之。故受之以兌。兌者説也。
- 説而後散之。故受之以渙。渙者離也。
- 物不可以終離。故受之以節。
- 節而信之。故受之以中孚。
- 有其信者必行之。故受之以小過。
- 有過物者必濟。故受之以既濟。
- 物不可窮也。故受之以未濟終焉。
序卦伝とは
孔子が書いたと言われてきた十篇「十翼」の解説の一つで、六十四の卦がなぜ今の順番に並んでいるかという説明が書かれたもの。
上巻
有天地然後萬物生焉。
有天地然後萬物生焉。
天地ありて然る後万物生ず。
てんちありて、しかるのちばんぶつしょうず。
天と地、すなわち乾と坤があって、その後初めて天と地の間に万物が生じる。
盈天地之間者唯萬物。故受之以屯。屯者盈也。屯者物之始生也。
盈天地之間者唯萬物。故受之以屯。屯者盈也。屯者物之始生也。
天地の間に盈つる者は唯だ万物なり。故にこれを受くるに屯を以てす。屯とは盈つるなり。屯とは物の始めて生ずるなり。
てんちのあいだにみつるものは、ただばんぶつなり。ゆえに、これをうくるにちゅんをもってす。ちゅんとはみつるなり。ちゅんとはもののはじめてしょうずるなり。
天地の間に満ち満ちるものは、万物である。そこで、天地を示す乾坤の後に、屯の卦を持ってきて受け止める。屯という字は満ちるという意味である。屯とは物が初めて生じる形でもある。
物生必蒙。故受之以蒙。蒙者蒙也。物之穉也。
物生必蒙。故受之以蒙。蒙者蒙也。物之穉也。
物生ずれば必ず蒙。故にこれを受くるに蒙を以てす。蒙とは蒙かなり。物の穉きなり。
ものしょうずればかならずもう。ゆえにこれをうくるにもうをもってす。もうとはおろかなり。もののおさなきなり。
物が発生する時には必ず愚かである。だから、屯の卦の後に蒙の卦を持ってくる。蒙は愚かという意味である。つまり物がまだ幼いということである。
物穉不可不養也。故受之以需。需者飮食之道也。
物穉不可不養也。故受之以需。需者飮食之道也。
物穉ければ養わざるべからず。故にこれを受けるに需を以てす。需とは飲食の道なり。
ものおさなければやしなわざるべからず。ゆえにこれをうくりにじゅをもってす。じゅとはいんしょくのみちなり。
幼い者は必ず養ってやらなければならない。だから、蒙の卦の後に需の卦が続く。需とは飲食の道を意味する。
飲食必有訟。故受之以訟。
飲食必有訟。故受之以訟。
飲食には必ず訟えあり。故にこれを受くるに訟を以てす。
いんしょくにはかならずうったえあり。ゆえにこれをうくるにしょうをもってす。
飲食には必ず争いがつきまとう。だから、飲食を意味する需の卦の後に訟の卦が続く。
訟必有衆起。故受之以師。師者衆也。
訟必有衆起。故受之以師。師者衆也。
訟えには必ず衆の起るあり。故にこれを受くるに師を以てす。師とは衆なり。
うったえにはかならずしゅうのおこるあり。ゆえにこれをうくるにしをもってす。しとはしゅうなり。
争いごとにには必ず軍勢が立ち上がることが伴う。だから、争いを意味する訟の卦の後に、軍隊を意味する師の卦を持ってくる。師とは人が大勢集まった軍隊という意味である。
衆必有所比。故受之以比。比者比也。
衆必有所比。故受之以比。比者比也。
衆なれば必ず比するところあり。故にこれを受くるに比を以てす。比とは比しむなり。
しゅうなればかならずひするところあり。ゆえにこれをうくるにひをもってす。ひとはしたしむなり。
多くの人間が集まれば、必ず親しむところがある。だから、師の卦の次に、比の卦がくる。比とは親しみ助けるという意味である。
比必有所畜。故受之以小畜。
比必有所畜。故受之以小畜。
比しめば必ず畜うるところあり。故にこれを受くるに小畜を以てす。
したしめばかならずたくわうるところあり。ゆえにこれをうくるにしょうちくをもってす。
親しみ合えば、必ず集まりができる。だから比の卦の後に小畜という卦を置く。
物畜然後有禮。故受之以履。
物畜然後有禮。故受之以履。
物畜えられて然る後礼あり。故にこれを受くるに履を以てす。
ものたくわえられてしかるのちれいあり。ゆえにこれをうくるにりをもってす。
物が集まれば、そこに礼がなければならない。だから、集まるという意味のある小畜の後に履が続く。
履(而泰)然後安。故受之以泰。泰者通也。
履(而泰)然後安。故受之以泰。泰者通也。
履んで然る後安し。故にこれを受くるに泰を以てす。泰とは通ずるなり。
ふんでしかるのちやすし。ゆえにこれをうくるにたいをもってす。たいとはつうずるなり。
踏み行うことが、すんなりと筋が通る。そうすれば、結果は安泰である。だから、履という卦の後に、泰の卦が続く。泰とは通ずるという意味である。
物不可以終通。故受之以否。
物不可以終通。故受之以否。
物は以て終に通ずべからず。故にこれを受くるに否を以てす。
ものはもってついにつうずべからず。ゆえにこれをうくるにひをもってす。
物は永遠に通ずるわけにはいかない。だから、泰の卦の後に否という卦を持ってくる。
物不可以終否。故受之以同人。
物不可以終否。故受之以同人。
物は以て否に終わるべからず。故にこれを受くるに同人を以てす。
ものはもってひにおわるべからず。ゆえにこれをうくるにどうじんをもってす。
物事は最後までふさがったままではいられない。故に否の卦の後に同人が来る。
與人同者物必歸焉。故受之以大有。
與人同者物必歸焉。故受之以大有。
人と同じくする者は物必ず焉に帰す。故にこれを受くるに大有を以てす。
ひとと同じくするものはものかならずこれにきす。ゆえにこれをうくるにたいゆうをもってす。
人と協調する者には、まわりの者が慕い寄る。だから、同人の次に大きな所有を意味する卦をもってきた。
有大者不可以盈。故受之以謙。
有大者不可以盈。故受之以謙。
大を有する者は以て盈つるべからず。故にこれを受くるに謙を以てす。
だいをゆうするものはもってみつるべからず。ゆえにこれをうくるにけんをもってす。
豊かな所有があれば、とかく満ち溢れがちであるが、そうなってはいけない。だから、豊かな所有を意味する大有の卦の後に、謙遜の謙の卦を持ってきた。
有大而能謙必豫。故受之以豫。
有大而能謙必豫。故受之以豫。
大を有して能く謙なれば必ず豫ぶ。故にこれを受くるに豫を以てす。
だいをゆうしてよくけんなればかならずよろこぶ。ゆえにこれをうくるによをもってす。
持っているものが大きくて、しかも謙遜であれば、必ずや心楽しむことができる。だから、謙の後に豫の卦が続く。
豫必有隨。故受之以隨。
豫必有隨。故受之以隨。
豫べば必ず随うことあり。故にこれを受くるに随を以てす。
よろこべばかならずしたがうことあり。ゆえにこれをうくるにずいをもってす。
喜ぶという時には、必ず従うという動作が伴う。だから、喜びを意味する豫という卦の後に、従うことを意味する随が続く。
以喜隨人者必有事。故受之以蠱。蠱者事也。
以喜隨人者必有事。故受之以蠱。蠱者事也。
喜びを以て人に随う者は必ず事あり。故にこれを受くるに蠱を以てす。蠱とは事なり。
よろこびをもってひとにしたがうものはかならずことあり。ゆえにこれをうくるにこをもってす。ことはことなり。
喜んで人に付き従っていると、結果的に必ず腐敗が起こり、それを直すための事業が必要になる。だから、喜びを意味する豫の卦と、従うことを意味する随の卦との後に、蠱の卦が来る。蠱とは、事である。蠱とは、腐敗であり、それを立て直すための事業が起こる。
有事而後可大。故受之以臨。臨者大也。
有事而後可大。故受之以臨。臨者大也。
事ありて而る後大なるべし。故にこれを受くるに臨を以てす。臨とは大いなり。
ことありてしかるのちおおいなるべし。ゆえにこれをうくるにりんをもってす。りんとはおおいなり。
腐敗または混乱があって、その後初めて事業は大きくなる。だから、腐敗を意味する蠱の後に、臨の卦がくる。臨とは、大の意味である。
物大然後可觀。故受之以觀。
物大然後可觀。故受之以觀。
物大いにして然る後観るべし。故にこれを受くるに観を以てす。
ものおおいにしてしかるのちみるべし。ゆえにこれをうくるにかんをもってす。
すべての物は、大きなものであってこそ、初めて見られる。だから、臨の卦の後に、見られるものという意味で、観の卦が来る。
可觀而後有所合。故受之以噬嗑。嗑者合也。
可觀而後有所合。故受之以噬嗑。嗑者合也。
観るべくして後合うところあり。故にこれを受くるに噬嗑を以てす。嗑とは合なり。
みるべくしてのちあうところあり。ゆえにこれをうくるにぜいごうをもってす。ごうとはごうなり。
仰ぎ見られるほどのものであってこそ、人々が慕い寄って合体しようとする。だから、観の卦の後に噬嗑の卦が来る。嗑とは、合うという意味である。
物不可以苟合而已。故受之以賁。賁者飾也。
物不可以苟合而已。故受之以賁。賁者飾也。
物は以て苟しくも合うのみなるべからず。故にこれを受くるに賁を以てす。賁とは飾るなり。
ものはもっていやしくもあうのみなるべからず。ゆえにこれをうくるにひをもってす。ひとはかざるなり。
物事はよい加減に合わさるだけで終わるというわけにはいかない。だから、噬嗑の後に賁の卦を持ってきた。賁とは飾るという意味である。
致飾然後亨則盡矣。故受之以剥。剥者剥也。
致飾然後亨則盡矣。故受之以剥。剥者剥也。
飾りを致して然る後亨るときは尽く。故にこれを受くるに剥を以てす。剥とは剥するなり。
かざりをいたしてしかるのちとおるときはつく。ゆえにこれをうくるにはくをもってす。はくとははくするなり。
飾りを極め、願いごとがかなう時は、もはや何も残らない。だから、飾りの卦の後に、この剥の卦をおいた。剥とは、剥ぎ落ちるという意味である。
物不可以終盡。剥窮上反下。故受之以復。
物不可以終盡。剥窮上反下。故受之以復。
物は以て終に尽くべからず。剥は上に窮まって下に反る。故にこれを受くるに復を以てす。
ものはもってついにつくべからず。はくはかみにきわまってしもにかえる。ゆえにこれをうくるにふくをもってす。
物は最後までなくなってしまうことはありえない。剥の卦において、陽気がだんだん駆逐されて、上に一本だけ陽気が残り、その陽気がなくなったとたんに、下に再び帰ってくる。だから、剥の後には復の卦が続く。
復則不妄矣。故受之以无妄。
復則不妄矣。故受之以无妄。
復れば妄りならず。故にこれを受くるに无妄を以てす。
かえればみだりならず。ゆえにこれをうくるにむぼうをもってす。
道に帰れば偽りはなくなる。だから、復の卦の後に无妄の卦を置く。
有无妄然後可畜。故受之以大畜。
有无妄然後可畜。故受之以大畜。
无妄あり然る後畜うべし。故にこれを受くるに大畜を以てす。
むぼうありしかるのちたくわうべし。ゆえにこれをうくるにだいちくをもってす。
偽りのない誠があって、初めて物を蓄積することができる。だから、无妄の卦の後に、大畜の卦が置かれる。
物畜然後可養。故受之以頤。頤者養也。
物畜然後可養。故受之以頤。頤者養也。
物畜えられて然る後養うべし。故にこれを受くるに頤を以てす。頤とは養うなり。
ものたくわえられてしかるのちやしなうべし。ゆえにこれをうくるにいをもってす。いとはやしなうなり。
物が集まれば、養わねばならない。だから、集まるという大畜の卦の後に、頤の卦が続く。頤とは、養うという意味である。
不養則不可動。故受之以大過。
不養則不可動。故受之以大過。
養わざれば動くべからず。故にこれを受くるに大過を以てす。
やしなわざればうごくべからず。ゆえにこれをうくるにたいかをもってす。
物は養われて初めて動き出せる。だから、養うという卦の後に大過の卦を持ってきた。
物不可以終過。故受之以坎。坎者陷也。
物不可以終過。故受之以坎。坎者陷也。
物は以て終に過ぐべからず。故にこれを受くるに坎を以てす。坎とは陥なり。
ものはもってついにすぐべからず。ゆえにこれをうくるにかんをもってす。かんとはあななり。
物は最後まで行き過ぎることはできない。だから、坎の卦が大過の卦の次にくる。坎とは、落とし穴である。
陷必有所麗。故受之以離。離者麗也。
陷必有所麗。故受之以離。離者麗也。
陥れば必ず麗くところあり。故にこれを受くるに離を以てす。離とは麗なり。
おちいればかならずつくところあり。ゆえにこれをうくるにりをもってす。りとはりなり。
穴の中に陥れば、必ずどこか底にくっつくところがある。だから、陥るという毛の次に離の卦をもってきた。離とは「つく」という意味である。
下巻
有天地然後有萬物。有萬物然後有男女。有男女然後有夫婦。有夫婦然後有父子。有父子然後有君臣。有君臣然後有上下。有上下然後禮儀有所錯。
有天地然後有萬物。有萬物然後有男女。有男女然後有夫婦。有夫婦然後有父子。有父子然後有君臣。有君臣然後有上下。有上下然後禮儀有所錯。
天地ありて然る後万物あり。万物ありて然る後男女あり。男女ありて然る後夫婦あり。夫婦ありて然る後父子あり。父子ありて然る後君臣あり。君臣ありて然る後上下あり。上下ありて然る後礼儀錯くところあり。
てんちありてしかるのちばんぶつあり。ばんぶつありてしかるのちだんじょあり。だんじょありてしかるのちふうふあり。ふうふありてしかるのちふしあり。ふしありてしかるのちくんしんあり。くんしんありてしかるのちじょうげあり。じょうげありてしかるのちれいぎおくところあり。
天地が存在して初めて万物が発生する。万物が発生してここに男女というものができる。男女ができてそこで夫婦という関係が成立する。夫婦があってそこで子どもができるので、父子、親子という関係ができる。親子という一種の上下関係ができて、然る後に君臣関係になる。君臣関係ができて、然る後身分の上下という秩序ができる。身分の上下があって然る後、礼儀というものがここに設けられる。
夫婦之道不可以不久也。故受之以恆。恆者久也。
夫婦之道不可以不久也。故受之以恆。恆者久也。
夫婦の道は以て久しからざるべからず。故にこれを受くるに恒を以てす。恒とは久なり。
ふうふのみちはもってひさしからざるべからず。ゆえにこれをうくるにこうをもってす。こうとはきゅうなり。
夫婦の道は恒久的でなければいけない。だから、夫婦の道を示す咸の後に恒の卦がくる。恒とは久しいという意味である。
物不可以久居其所。故受之以遯。遯者退也。
物不可以久居其所。故受之以遯。遯者退也。
物は以て久しくその所に居るべからず。故にこれを受くるに遯を以てす。遯とは退くなり。
ものはもってひさしくそのところにおるべからず。ゆえにこれをうくるにとんをもってす。とんとはしりずくなり。
物はいつまでもその場所にいることはできない。だから、恒の卦の後に遯の卦がくる。遯とは退くという意味である。
物不可以終遯。故受之以大壯。
物不可以終遯。故受之以大壯。
物は以て終に遯るべからず。故にこれを受くるに大壮を以てす。
ものはもってついにのがるべからず。ゆえにこれをうくるにたいそうをもってす。
物は最後まで退いてばかりではいられない。だから、退くの後に大壮という卦がこれを受ける。
物不可以終壯。故受之以晉。晉者進也。
物不可以終壯。故受之以晉。晉者進也。
物は以て終に壮んなるべからず。故にこれを受くるに晋を以てす。晋とは進なり。
ものはもってついにさかんなるべからず。ゆえにこれをうくるにしんをもってす。しんとはしんなり。
物は最後まで盛んであることはできない。だから、大壮、大いに盛んという卦の後に晋という卦が続く。晋とは進むという意味である。
進必有所傷。故受之以明夷。夷者傷也。
進必有所傷。故受之以明夷。夷者傷也。
進めば必ず傷るるところあり。故にこれを受くるに明夷を以てす。夷とは傷るるなり。
すすめばかならずやぶるるところあり。ゆえにこれをうくるにめいいをもってす。いとはやぶるるなり。
物が進んで止まなければ必ず傷つくことがある。だから晋を受けるのに明夷をもってする。夷とは傷つくことである。
傷於外者必反其家。故受之以家人。
傷於外者必反其家。故受之以家人。
外に傷るる者は必ずその家に反る。故にこれを受くるに家人を以てす。
そとにやぶるるものはかならずそのいえにかえる。ゆえにこれをうくるにかじんをもってす。
外で傷を負った者は、必ず家に帰らねばならない。だから明夷の卦の後に家人の卦が次ぐ。
家道窮必乖。故受之以睽。睽者乖也。
家道窮必乖。故受之以睽。睽者乖也。
家の道は窮まれば必ず乖く。故にこれを受くるに睽を以てす。睽とは乖なり。
いえのみちはきわまればかならずそむく。ゆえにこれをうくるにけいをもってす。けいとはかいなり。
家を治める道が行き詰まれば必ず背き合う結果となる。故に家を示す卦の後に睽の卦が続く。睽とは、目を背け合うという意味である。
乖必有難。故受之以蹇。蹇者難也。
乖必有難。故受之以蹇。蹇者難也。
乖けば必ず難あり。故にこれを受くるに蹇を以てす。蹇とは難なり。
そむけばかならずなんあり。ゆえにこれをうくるにけんをもってす。けんとはなんなり。
そむき合えば必ず難儀がそこに伴う。だから睽の卦を受けるのに蹇の卦をもってする。蹇とは難儀、行き悩むという意味である。
物不可以終難。故受之以解。解者緩也。
物不可以終難。故受之以解。解者緩也。
物は以て終に難かるべからず。故にこれを受くるに解を以てす。解とは緩なり。
ものはもってついにかたかるべからず。ゆえにこれをうくるにかいをもってす。かいとはかんなり。
物事はすべて最後まで難儀のままで終わるわけにはいかない。だから、難儀を示す蹇の卦の後を受けるのに解をもってする。解は緩めるという意味である。
緩必有所失。故受之以損。
緩必有所失。故受之以損。
緩めれば必ず失うところあり。故にこれを受くるに損を以てす。
ゆるめればかなずうしなうところあり。ゆえにこれをうくるにそんをもってす。
物事が緩めば必ず何かをなくす。そこで緩むという意味の解の卦の後に損の卦が続く。
損而不已必益。故受之以益。
損而不已必益。故受之以益。
損らして已まざれば、必ず益す。故にこれを受くるに益を以てす。
へらしてやまざれば、かならずます。ゆえにこれをうくるにえきをもってす。
減らして止まなければ、必ず転じて逆に増さねばならない時がくる。だから損の後に益がくる。
益而不已必決。故受之以夬。夬者決也。
益而不已必決。故受之以夬。夬者決也。
益して已まざれば、必ず決す。故にこれを受くるに夬を之てす。夬とは決なり。
ましてやまざれば、かならずけっす。ゆえにこれをうくるにかいをもってす。かいとはけつなり。
水嵩が増して止まなければ、必ず堤が切れる。だから、益すという卦の後を受けるのに、夬の卦をもってする。夬とは堤が切れるという意味である。
決必有所遇。故受之以姤。姤者遇也。
決必有所遇。故受之以姤。姤者遇也。
決すれば必ず遇う所あり。故にこれを受くるに姤を以てす。姤とは遇なり。
けっすればかならずあうところあり。ゆえにこれをうくるにこうをもってす。こうとはぐうなり。
いったん仲の切れ離れた物、必ずいつかはばったり行き遇うことがある。だから切れ離れるという夬の卦の下をうけるのに姤をもってする。姤とは「偶然行き遇う」という意味である。
物相遇而後聚。故受之以萃。萃者聚也。
物相遇而後聚。故受之以萃。萃者聚也。
物相い遇って後聚まる。故にこれを受くるに萃を以てす。萃とは聚なり。
ものあいあってのちあつまる。ゆえにこれをうくるにすいをもってす。すいとはしゅうなり。
ものが相遇えばそこに集まりができる。だから姤の卦を受けるのに、萃という卦をもってする。萃とは集まるという意味である。
聚而上者謂之升。故受之以升。
聚而上者謂之升。故受之以升。
聚って上る者これを升るという。故にこれを受くるに升を以てす。
あつまってのぼるものこれをのぼるという。ゆえにこれをうくるにしょうをもってす。
物が集まってだんだんと高く昇ること、これを升という。だから萃の卦を受けるのに、升という卦をもってする。
升而不已必困。故受之以困。
升而不已必困。故受之以困。
升って已まざれば、必ず困しむ。故にこれを受くるに困を以てす。
のぼってやまざれば、かならずくるしむ。ゆえにこれをうくるにこんをもってす。
昇ろう昇ろうとして止むことがなければ、必ず苦しむことがあるであろう。だから、升の卦の後を受けるのに、困という卦をもってする。
困乎上者必反下。故受之以井。
困乎上者必反下。故受之以井。
上に困しむ者は必ず下に反る。故にこれを受くるに井を以てす。
うえにくるしむものはかならずしたにかえる。ゆえにこれをうくるにせいをもってす。
上に上りつめて苦しむ者は、必ず下に返らねばならない。だから、困の卦の後を受けるのに、井という卦をもってする。
井道不可不革。故受之以革。
井道不可不革。故受之以革。
井の道は革めざるべからず。故にこれを受くるに革を以てす。
せいのみちはあらためざるべからず。ゆえにこれをうくるにかくをもってす。
井戸のあり方というものは絶えず変革しなければならない。水をそのままにしておいたら腐る。だから、井の卦を受けるのに、革という卦をもってする。
革物者莫若鼎。故受之以鼎。
革物者莫若鼎。故受之以鼎。
物を革むる者は鼎に若くは莫し。故にこれを受くるに鼎を以てす。
ものをあらたむるものはかなえにしくはなし。ゆえにこれをうくるにかなえをもってす。
物を変革する道具では、鼎が一番その能力がある。だから革の卦の後に、鼎の卦を続ける。
主器者莫若長子。故受之以震。震者動也。
主器者莫若長子。故受之以震。震者動也。
器を主どる者は長子に若くは莫し。故にこれを受くるに震を以てす。震とは動くなり。
きをつかさどるものはちょうしにしくはなし。ゆえにこれをうくるにしんをもってす。しんとはうごくなり。
先祖にお供え物をつかさどる者は、長男が一番大切である。だから、鼎の卦の後を受けるのに、長男を意味する震という卦をもってする。震とは動くという意味である。
物不可以終動。止之。故受之以艮。艮者止也。
物不可以終動。止之。故受之以艮。艮者止也。
物は以て終に動くべからず、これを止む。故にこれを受くるに艮を以てす。艮とは止まるなり。
ものはもってついにうごくべからず、これをとどむ。ゆえにこれをうくるにごんをもってす。ごんとはとまるなり。
物は最後まで動き続けることはできない。必ずこれを止めるものがある。ゆえに震の卦の後を受けるのに、艮の卦をもってする。
物不可以終止。故受之以漸。漸者進也。
物不可以終止。故受之以漸。漸者進也。
物は以て終に止まるべからず。故にこれを受くるに漸を以てす。漸とは進むなり。
ものはもってついにとまるべからず。ゆえにこれをうくるにぜんをもってす。ぜんとはすすむなり。
物はすべて最後まで止まっているわけにはいかない。だから、艮の卦を漸の卦で受ける。漸とは進むという意味である。
進必有所歸。故受之以歸妹。
進必有所歸。故受之以歸妹。
進めば必ず帰する所あり。故にこれを受くるに帰妹を以てす。
すすめばかならずきするところあり。ゆえにこれをうくるにきまいをもってす。
ものが進めば必ずどこかへ帰する。だから漸の卦の後を受けるのに、帰妹という卦をもってする。
得其所歸者必大。故受之以豐。豐者大也。
得其所歸者必大。故受之以豐。豐者大也。
その帰する所を得る者は必ず大いなり。故にこれを受くるに豊を以てす。豊とは大いなり。
そのきするところをえるものはかならずおおいなり。ゆえにこれをうくるにほうをもってす。ほうとはおおいなり。
物が帰すべきところに帰れば、必ず結果は大となる。ゆえに帰妹の卦を受けるのに、豊という卦をもってする。
窮大者必失其居。故受之以旅。
窮大者必失其居。故受之以旅。
大を窮むる者は必ずその居を失う。故にこれを受くるに旅を以てす。
だいをきわむるものはかならずそのきょをうしなう。ゆえにこれをうくるにりょをもってす。
あまりに大きくなり過ぎた者は、必ずその場におれない。外にはみ出してしまう。だから、豊の卦の後を受けるのに、旅の卦をもってする。
旅而无所容。故受之以巽。巽者入也。
旅而无所容。故受之以巽。巽者入也。
旅して容るる所なし。故にこれを受くるに巽を以てす。巽とは入るなり。
たびしているるところなし。ゆえにこれをうくるにそんをもってす。そんとはいるなり。
旅人とは、土地の人に容易に受け入れられるものではない。そこで、旅の卦の後を受けるのに、巽の卦をもってする。巽とは、へりくだることによって、旅行の身ではあるけれども受け入れられるということである。
入而後説之。故受之以兌。兌者説也。
入而後説之。故受之以兌。兌者説也。
入りて後これを説ぶ。故にこれを受くるに兌を以てす。兌とは説なり。
いりてのちこれをよろこぶ。ゆえにこれをうくるにだをもってす。だとはえつなり。
相手の心の中に入り込めば、相手を喜ばすことができる。だから、巽の卦の後に、兌の卦が続く。兌とは喜ぶ、あるいは喜ばすという意味である。
説而後散之。故受之以渙。渙者離也。
説而後散之。故受之以渙。渙者離也。
説びて後これを散ず。故にこれを受くるに渙を以てす。渙とは離るるなり。
よろこびてのちこれをさんず。ゆえにこれをうくるにかんをもってす。かんとははなるるなり。
喜べば気分が伸び伸びと散ずる。だから、兌の卦の後を受けるのに、渙の卦をもってくる。渙とは離散するという意味である。
物不可以終離。故受之以節。
物不可以終離。故受之以節。
物は以て終に離るべからず。故にこれを受くるに節を以てす。
ものはもってついにはなるべからず。ゆえにこれをうくるにせつをもってす。
物は最後まで離散したままではいけない。だから、これを受けるに節という卦をもってする。
節而信之。故受之以中孚。
節而信之。故受之以中孚。
節ありてこれを信ず。故にこれを受くるに中孚を以てす。
せつありてこれをしんず。ゆえにこれをうくるにちゅうふをもってす。
節度があってはじめてこれを信ずることができる。ゆえに節の卦の後に、中孚という卦がくる。
有其信者必行之。故受之以小過。
有其信者必行之。故受之以小過。
その信ある者は必ずこれを行う。故にこれを受くるに小過を以てす。
そのしんあるものはかならずこれをおこなう。ゆえにこれをうくるにしょうかをもってす。
自信のある者は必ず断行して止めることがない。だから中孚の卦の後に、小過という卦がくる。
有過物者必濟。故受之以既濟。
有過物者必濟。故受之以既濟。
物に過ぐることある者は必ず済す。故にこれを受くるに既済を以てす。
ものにすぐることあるものはかならずなす。ゆえにこれをうくるにきせいをもってす。
程度を行き過ぎれば必ず何かを成し遂げることができる。物事を新しくやる場合、ある程度曲がった物を矯めるには、少々反対の方に行き過ぎなければならない。そうしてはじめて物事は成る。だから小過の卦の後を既済という卦で受ける。
物不可窮也。故受之以未濟終焉。
物不可窮也。故受之以未濟終焉。
物は窮まるべからざるなり。故にこれを受くるに未済を以てしてここに終わる。
ものはきわまるべからざるなり。ゆえにこれをうくるにびせいをもってしてここにおわる。
物事は完成の状態で行き止まっていることはできない。だから既済の卦の後を受けるのに未済の卦をもって、ここで『易経』の終わりとする。