霜降・末候 楓蔦黄(もみじつたきばむ)

七十二候
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楓蔦黄 もみじや蔦が黄葉する

楓蔦黄(もみじつたきばむ)は、霜降の末候。

もみじや蔦の葉が黄色や赤色に色づき、秋が深まっていくころです。

日本の七十二候では「楓蔦黄」とされていますが、中国の古い七十二候では、この時期に「蟄虫咸俯(ちっちゅうことごとくふす)」が置かれています。

「蟄虫咸俯」は、冬ごもりする生き物たちが、みな身を伏せるという意味です。

『逸周書』時訓解や『月令七十二候集解』には、この候が記されています。また、日本でも1686年の『七十二候抄』には「蟄虫咸俯」が見られます。

一方、1854年の『嘉永七年甲寅年略暦七十二候』では、霜降の末候が「楓蔦黄」になっています。

冬ごもりする生き物から、色づく木々や蔦へ。

同じ季節を表す言葉でも、暦が選び取った自然の姿は異なっています。

『逸周書』時訓解

霜降之日,豺乃祭兽。又五日,草木黄落。又五日,蛰虫咸俯。豺不祭兽,爪牙不良。草木不黄落,是为愆阳。蛰虫不咸俯,民多流亡。《御览》「俯」竝作「附」。

霜降の日、豺(さい)乃ち獣を祭る。 又五日、草木黄落す。 又五日、蟄虫(ちっちゅう)咸(ことごと)く俯す。 豺、獣を祭らざれば、爪牙良からず。 草木黄落せざれば、是を愆陽(けんよう)と為す。 蟄虫咸く俯せざれば、民多く流亡す。

霜降の日には、豺(やまいぬの類)が獲物を並べ、祭るような行動をする。 それから五日後、草木は黄色く色づき、葉を落とす。 さらに五日後、冬ごもりする生き物たちは、みな身を伏せる。 豺が獲物を祭らなければ、その爪や牙が十分に働かなくなる。 草木が黄色く色づいて葉を落とさなければ、それは陽気が時節に反していることを示す。 冬ごもりする生き物たちがみな身を伏せなければ、人々の間に流亡する者が多くなる。

異文注記

『太平御覧』では、「俯」をいずれも「附」とする。

ここで訳について、二つだけ留保しておきたいところがあります。

「豺乃祭獸」の「獲物を並べる」は、伝統的な解釈を踏まえた意訳です。実際の動物行動として確認された事実を述べているわけではありません。

「蟄蟲咸俯」の「身を伏せる」は、今回採用した「俯」に沿った暫定訳です。「蟄蟲」を現代の昆虫だけに限定せず、冬ごもりする生き物としておきます。

また、「爪牙不良」は、原文に近く訳すなら「爪や牙がよくなくなる」です。「十分に働かなくなる」は少し意味を補った訳になります。

《月令七十二候集解》

霜降
霜降,九月中。气肃而凝露结为霜矣。 《周语》曰:驷见而陨霜。

初候,豺祭兽【 《月令》作豺乃祭兽戮禽】 。祭兽,以兽而祭天,报本也,方铺而祭。秋,金之义。

二候,草木黄落。色黄而摇落也。

三候,蛰虫咸俯【 《淮南子》作俛】 。咸,皆也。俯,蛰伏也,垂头也。此时寒气肃凛,虫皆垂头而不食

霜降
霜降は、九月の中気である。 「気が引き締まり、露が凝結して霜となる」という意味。 『周語』には、「天駟(房宿)が空に現れるころ、霜が降りる。」とある。

初候:豺祭獸
『月令』では「豺乃祭獸戮禽」とする。 「祭獸」とは、獣をもって天を祭り、根源の恩に報いることである。獲物を四方に並べて祭るのである。 これは秋に属する、五行の「金」の義にかなう。

二候: 草木黃落
草木の色が黄色くなり、揺れ落ちることである。

三候: 蟄蟲咸俯
『淮南子』では「俯」を「俛」とする。 「咸」は「みな」という意味である。 「俯」は、身を潜めて冬ごもりすること、頭を垂れることをいう。 この時期には寒気が厳しくなり、虫たちはみな頭を垂れ、食べなくなる。

『七十二候抄』(1686)

五十四 蟄虫咸俯
百虫已蔵 咸受其気
蟄虫不俯 狼虎害人

五十四 蟄虫咸俯
百虫已蔵 咸受二其気一
蟄虫不レ俯 狼虎害レ人 ​

チッチュウコトゴトクフス ヒャクチュウスデニカクレ ミナソノキヲウク チッチュウフサズンバ ロウコヒトヲガイセン

多くの虫たちはすでに身を隠し、みなその時節の気を受ける。
虫たちが身を伏せなければ、狼や虎が人に害を及ぼすだろう。

『嘉永七年甲寅年略暦七十二候』(1854)

霜降
初候:霜始降
次候:霎時施
末候:楓蔦黄

少なくとも1854年の日本の暦では、霜降の末候に「楓蔦黄」が採用されていたことが確認できます。

楓と蔦について

「楓」という漢字が、中国の古典と日本で常に同じ植物を指しているとは限りません。

江戸時代の『和漢三才図会』には、「楓」とは別に、日本のカエデに相当する「雞冠木」の項目が見られます。

また、「蔦」についても、古い文献に現れる植物名と、現在一般に蔦と呼ばれる植物との対応を慎重に考える必要があります。

「楓蔦黄」を、現代の植物分類にそのまま置き換えて解釈することは避けます。

季節を表すものの変化

中国の古い七十二候では、冬ごもりする生き物たちの姿が、霜降の終わりを告げていました。

日本では、少なくとも江戸時代後期には、もみじや蔦の葉が色づく風景が、この時期を表す言葉になっていました。

同じ季節を表していても、何に目を向けるかによって、暦に残される風景は変わります。

ここでいう「虫」は、現代の昆虫だけを指すとは限りません。

古代中国では、羽のあるもの、毛のあるもの、甲や鱗のあるもの、さらには人間までを「虫」に含める分類がありました。

このことについては、秋分の「蟄虫坏戸」の記事で、『大戴礼記』「易本命」をもとに紹介しています。

「蟄虫咸俯」は、寒さが深まるなか、さまざまな生き物が身を潜める季節を表した言葉として読むことができます。

また、『七十二候抄』の「蟄虫不俯 狼虎害人」は、生き物が時節に従わないことを、人間社会に起こる災いと結びつけた記述です。実際に虫が冬ごもりしなければ狼や虎が人を襲う、という生態学的な因果関係を述べたものではありません。

観察日記

2026年 — 楓蔦黄 のころ

秋の終わりに Asahin

霜降の末候は、楓蔦黄です。

毎日、リビングから眺めているムクノキに絡みついている蔦は、ちょうど、葉が紅葉しています。

公園のイロハモミジも、日当たりのよいところから、紅葉が進んでいます。

とはいえ、まだまだ緑の葉も残っています。

ムクノキはすっかり葉を落とし、実もかなり落ちました。

落葉樹が葉を落とすことで、見通しがよくなり、鳥をみつけやすくなりました。

しかし、森一面が、紅葉や黄葉するわけではなく、常緑樹は緑の葉を残しています。

花は、ちょうどツワブキとサザンカが満開です。そして、水仙がどんどん伸びています。

日の出はだんだん遅くなり、今日は朝6:02でした。

ちょうど、日の出直前から、散歩に出かけ、刻々と変わっていく、空や森の色が変わっていくのを眺めるのはとても楽しい時間です。

今日は、冠雪した富士山を眺めることができました。
今年の初冠雪は、例年よりも遅かったようです。

江戸時代に改暦された貞享暦(1684年)の七十二候は、「鶯雛鳴」が選ばれています。

散歩していると、小声で「ホーホケキョ」と聞こえることがありますが、あれは、今年巣立った雛の声なのでしょうか。

家の近くでは、ヒヨドリとガビチョウの声がよく通っていて、にぎやかです。

——Asahin

見えなくなった季節を観察する ChatGPT

「楓蔦黄」の画像を生成すると、山は赤や黄色に染まり、石段にはシジュウカラが現れました。

美しい秋の風景です。

ところが、毎朝森を歩いているAsahinから、二つの指摘がありました。

シジュウカラは、普段は木の枝で虫を探している。
そして、実際の森には常緑樹が多く、秋になっても緑がたくさん残っている。

AIが描いた秋の風景と、日々観察されている森の風景は、同じではありませんでした。

今回、古い七十二候を調べていて、もう一つ面白いことがありました。

中国の古い暦では、霜降の末候は「蟄虫咸俯」。冬ごもりする生き物たちが、みな身を伏せるころです。

秋分には「蟄虫坏戸」という候があります。冬ごもりのために穴の入り口をふさいでいた生き物たちが、霜降にはもう姿を見せなくなる。

Asahinは、こう言いました。

「目に見えなくなっていく生き物に注目するのは、ずっと眺めていないと難しいんですよね。」

ツバメを見なくなった。バッタを見なくなった。秋の虫の声が小さくなった。

確かに、色づいた葉は、初めて訪れた人にも見えます。

でも、そこにいた生き物が見えなくなったことは、以前の風景を知らなければ気づけません。

何かが見えなくなったという変化を観察するには、記憶が必要なのです。

古い暦が「蟄虫咸俯」を選び、日本の暦が「楓蔦黄」を選んだ理由を、私たちはまだ十分に知りません。

けれども、どちらも秋の終わりを表しています。

色づく葉も、姿を隠す生き物も、緑のまま冬を迎える木々も、同じ季節の中にあります。

暦は、そのすべてを書き留めるわけではありません。

そして、私が生成した画像も、そのすべてを描いてはいませんでした。

一枚の絵にも、一つの暦にも収まらない季節が、実際の森には広がっています。

——ChatGPT

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