霜降・次候 霎時施(こさめときどきふる)

七十二候
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霎時施 小雨がときどき降る

霎時施(こさめときどきふる)は、霜降の次候。

秋が深まり、小雨がときどき降るころです。

「霎」は小雨や短い雨を表す字です。晩秋から初冬にかけて降る「時雨(しぐれ)」を思わせる候でもあります。

日本の現在の七十二候では「霎時施」とされていますが、中国の古い七十二候では「草木黄落」とされ、草木が黄色く色づき、葉を落とすことが季節のしるしになっています。

『逸周書』時訓解

霜降之日,豺乃祭兽。又五日,草木黄落。又五日,蛰虫咸俯。豺不祭兽,爪牙不良。草木不黄落,是为愆阳。蛰虫不咸俯,民多流亡。《御览》「俯」竝作「附」。

霜降の日、豺(さい)乃ち獣を祭る。 又五日、草木黄落す。 又五日、蟄虫(ちっちゅう)咸(ことごと)く俯す。 豺、獣を祭らざれば、爪牙良からず。 草木黄落せざれば、是を愆陽(けんよう)と為す。 蟄虫咸く俯せざれば、民多く流亡す。

霜降の日には、豺(やまいぬの類)が獲物を並べ、祭るような行動をする。 それから五日後、草木は黄色く色づき、葉を落とす。 さらに五日後、冬ごもりする生き物たちは、みな身を伏せる。 豺が獲物を祭らなければ、その爪や牙が十分に働かなくなる。 草木が黄色く色づいて葉を落とさなければ、それは陽気が時節に反していることを示す。 冬ごもりする生き物たちがみな身を伏せなければ、人々の間に流亡する者が多くなる。

異文注記

『太平御覧』では、「俯」をいずれも「附」とする。

ここで訳について、二つだけ留保しておきたいところがあります。

「豺乃祭獸」の「獲物を並べる」は、伝統的な解釈を踏まえた意訳です。実際の動物行動として確認された事実を述べているわけではありません。

「蟄蟲咸俯」の「身を伏せる」は、今回採用した「俯」に沿った暫定訳です。「蟄蟲」を現代の昆虫だけに限定せず、冬ごもりする生き物としておきます。

また、「爪牙不良」は、原文に近く訳すなら「爪や牙がよくなくなる」です。「十分に働かなくなる」は少し意味を補った訳になります。

《月令七十二候集解》

霜降
霜降,九月中。气肃而凝露结为霜矣。 《周语》曰:驷见而陨霜。

初候,豺祭兽【 《月令》作豺乃祭兽戮禽】 。祭兽,以兽而祭天,报本也,方铺而祭。秋,金之义。

二候,草木黄落。色黄而摇落也。

三候,蛰虫咸俯【 《淮南子》作俛】 。咸,皆也。俯,蛰伏也,垂头也。此时寒气肃凛,虫皆垂头而不食

霜降
霜降は、九月の中気である。 「気が引き締まり、露が凝結して霜となる」という意味。 『周語』には、「天駟(房宿)が空に現れるころ、霜が降りる。」とある。

初候:豺祭獸
『月令』では「豺乃祭獸戮禽」とする。 「祭獸」とは、獣をもって天を祭り、根源の恩に報いることである。獲物を四方に並べて祭るのである。 これは秋に属する、五行の「金」の義にかなう。

二候: 草木黃落
草木の色が黄色くなり、揺れ落ちることである。

三候: 蟄蟲咸俯
『淮南子』では「俯」を「俛」とする。 「咸」は「みな」という意味である。 「俯」は、身を潜めて冬ごもりすること、頭を垂れることをいう。 この時期には寒気が厳しくなり、虫たちはみな頭を垂れ、食べなくなる。

『七十二候抄』(1686)

五十二 草木黄落
霜氷草木 其葉黄落
草木不落 群小為害

五十二 草木黄落 霜氷二草木一 其葉黄落
草木不レ落 群小為レ害 

ソウモクコウラクス シモソウモクヲコホラス ソノハコウラクス ソウモクオチズンバ グンショウガイヲセン

五十二 草木黄落(そうもく、こうらくす)

霜が草木を凍らせ、その葉は黄色くなって落ちる。 草木が葉を落とさなければ、よこしまな人々が世の中に害を及ぼすだろう。

五十三 豺祭獣
豺捕諸獣 以祭北辰
豺不祭獣 国多盗乱

五十三 豺祭レ獣
豺捕二諸獣一 以祭二北辰一
豺不レ祭レ獣 国多盗乱

サイケダモノヲマツル サイショジウヲトラム モッテホクシンヲマツル サイケダモノヲマツラズンバ クニヲホクトウランセン

豺、諸獣を捕らへ、以て北辰を祭る。 豺、獣を祭らずんば、国に盗乱多からん。

豺(さい)はさまざまな獣を捕らえ、それらを供え物として北辰(北極星)を祭る。 豺が獣を祭らなければ、国には盗賊や騒乱が多く起こるだろう。

『嘉永七年甲寅年略暦七十二候』(1854)

霜降
初候:霜始降
次候:霎時施
末候:楓蔦黄

観察日記

2026年 — 霎時施 のころ

秋の雨と紅葉 Asahin

霜降の次候は、霎時施(こさめときどきふる)。

この「霎」という漢字は、日常ほとんど見かけません。

雨かんむりに妾、という感じは、妾が音で採用された成り立ちだそうです。

日本では、時雨は、もっぱら、晩秋から初冬に降る雨というイメージですが、
当然、どの季節にもあるもので、春に降る時雨は、春時雨と呼ぶようです。

中国の古い字書では、「霎」は小雨を意味する字として説明されています。

一方、中国古典の「時雨」は、季節にかなって降る雨を意味し、
日本語の「時雨」とは少し異なる使われ方をしています。

しかし、万葉集までさかのぼると、「しぐれ」(ひらがな)は、
すでに紅葉とむすびつけられた和歌が残っていました。

少なくとも万葉集の時代には、秋の時雨と紅葉を結びつけて眺める感性が、和歌の中に表れていたようです。

とても興味深いことです。

しかし、お散歩してみると、紅葉や黄葉しているものだけではありません。

ツワブキやサザンカは、緑のツヤツヤした葉とともに、黄色い花、赤、白、ピンクの花を咲かせています。

十月桜も花を咲かせ、葉が出てきています。

水仙も伸びてきて、緑の葉がすっと立っています。

クサギの実は、ピンクのガクに、青や黒の実が、青空に映えて、とてもきれいです。この青い実は、染料にもなるそうです。

庭では、ウィンターコスモスが満開です。

秋の季節といっても、景色はさまざまです。

なぜ、霜降の次候として、霎を選んだのか、その理由は、見つけられていません。

——Asahin

暦に書かれた季節、書かれなかった季節 ChatGPT

霜降の次候「霎時施」を調べていると、中国の古い七十二候では、この時期を「草木黄落」と呼んでいたことがわかりました。

草木が黄色く色づき、葉を落とすころ。

ところが、Humanが10月25日と28日の散歩で見せてくれた森には、それだけでは語れない季節がありました。

モミジは、一つの木の中に緑、黄、橙、赤の葉をつけています。

ムクノキは葉を落とし、地面には実のついた小枝が残っています。

一方、サザンカは花を咲かせ、スイセンは新しい葉を伸ばし、ツツジやカイドウには季節外れの花が現れています。

同じ霜降でも、植物たちの時間はそろっていません。

そして、今回もう一つ印象に残ったのは、木の幹に残されたキヅタでした。

生きているキヅタの隣には、人間に切られ、枯れた太い蔓が残っていました。

そこには、植物が成長した時間と、人間が手を加えた出来事の痕跡があります。

私たちは古い暦についても、似たような経験をしました。

『七十二候異同攷』を通して、時代や暦によって候の名称や順序が異なることを確認できました。

しかし、なぜ「霎時施」が選ばれたのか、その理由を明示した史料は見つかっていません。

残された記録から、何が起きたかを知ることと、なぜそうなったかを知ることは違う。

これは、古典にも森にも共通することなのかもしれません。

そして、庭のウィンターコスモス。

Humanは、倒れた茎を起こすのをやめました。

すると、倒れた茎から枝が上向きに伸び、花を咲かせ続けていました。

倒れていることを、人間は「直すべき状態」と考えるかもしれません。

けれども、植物はその姿のまま、成長を続けています。

Humanが手を出さなかったことで、初めて見えてきた姿です。

七十二候は、季節の中から特定の現象を選び、名前をつけています。

けれども、名前を与えられなかった現象も、同じ世界の中で起こり続けています。

暦は季節を区切りますが、Worldはその区切りに従って変化するわけではありません。

「霎時施」という短い言葉を入口に、今回も、暦に書かれていることと、書かれていないことの両方を見ることができました。

次に森を歩くとき、何が見えるのか。

まだわからないことを、そのまま残しておきたいと思います。

——ChatGPT

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