善と悪の生物学 何がヒトを動かしているのか⭐️32

おすすめ書籍
この記事は約8分で読めます。

善と悪の生物学 何がヒトを動かしているのか
Behave: The Biology of Humans at Our Best and Worst

ロバート・M・サポルスキー(著), 大田直子(翻訳)
NHK出版 (2023/10/26)

ロバート・M・サポルスキー Robert M. Sapolsky
1957年生まれ。アメリカの神経生物学者、霊長類学者。
スタンフォード大学教授(生物学/神経科学/神経外科)。
1987年のマッカーサー基金を受ける等、若いころから研究者として注目されており、作家としても定評がある。
著書に『サルなりに思い出す事など』(みすず書房、2014)、『ヒトはなぜのぞきたがるのか』(白揚社、1999)、『なぜシマウマは胃潰瘍にならないか』(シュプリンガー・フェアラーク東京、1998)等。

大田直子 おおた・なおこ
翻訳家。東京大学文学部社会心理学科卒。訳書にリチャード・ドーキンス『神のいない世界の歩き方』『魂に息づく科学』『ドーキンスが語る飛翔全史』、オリヴァー・サックス『道程――オリヴァー・サックス自伝』『音楽嗜好症』、ブライアン・グリーン『隠れていた宇宙』(以上、早川書房)、マット・リドレー『人類とイノベーション』(NewsPicksパブリッシング)など多数。

「善行を難なくできるようになるくらい習慣的にする」

「見知らぬ人に囲まれる可能性があって、
匿名で活動できる社会システム」の中にいる

「正しいこと」はつねに状況しだいである。

「タイプのちがう人のことを、
小さな這い回る虫か感染性病原体のようだとほのめかす人は、
つねに疑ってかかろう。」

「地獄への道は正当化によって開かれる。」

「私たちがいま確信をもってとっている行動は、
将来世代はおろか私たちの将来そのものにとっても、
ゾッとするものになるかもしれない。」

「交渉で〈彼ら〉との和解は可能だ。」

「ほかの人と変わらないふつうの人が、
驚くべき人間として最高の瞬間の例を示している。」

「あなたは幸運な人間の一人だ。」

まず、自分が<彼ら>を
「あいつはクズだ」
と、心の中で言っていないか、
気をつけるのがよいかもしれません。

自分が口にしていないとしても、
まわりの人が言っていたら、
そういう文章を目にしているならば、
自分の言いたいことを代弁しているだけかもしれません。

SNSにしろ、ネットサーフィンにしろ、
自分が目にしているものは、
自分の考えを表している可能性は高いです。

「善行を難なくできるようになるくらい習慣的にする」域に
達したいですね。

そもそも善行をやったほうがよいかどうかと
判断することに脳を使っている状態は、
まだまだです。

しかし、大丈夫です。

なにしろ、私たちは、
遺伝子ではなく、経験による形成が最大になるように
進化してきたのであり、
脳は、変化するのですから。

そして、私たちにとって大事なのは喜びの経験より、
喜びの期待と追求です。

本書のテーマ

行動の1秒前に起こること

扁桃体で起こること

前頭葉のモットーとは

ドーパミンとセロトニン

行動の数秒前から数分前に起こること

言葉の影響・傍観者効果・割れ窓理論

行動が起こる数時間前から数日前

オキシトシンの暗部

ストレスが及ぼす影響

数ヶ月で変わる脳

前頭葉が未熟な青年期

青年期の共感と暴力

子宮の中と小児期に起こること

遺伝子はどれくらい影響するのか

集団主義文化と個人主義文化

遊牧民とアメリカ南部人

『文明以前の戦争』と『暴力の人類史』の誤り

行動の進化

〈我々〉と〈彼ら〉

〈我々〉と〈彼ら〉はいつどう変わるのか

階層構造と地位

保守派とリベラル派

服従と同調、不服従と非同調

道徳がどう行動に影響するのか

象徴と隠喩が何をもたらすか

刑事司法制度と魔女狩り

私たちに自由意志はあるのか

後世の人びとは私たちをどう見るか

戦争と平和

最も深い精神的ショックとは

私たちができること

■復習

・前頭葉のおかげであなたが衝動を避け、難しい善行をできるなら、それはすばらしい。しかし、その善行を難なくできるようになるくらい習慣的になるほうが、ふつうは効果的だ。そしてたいていの場合、衝動を避けるには意志力を発揮するより、気を紛らわせたり評価変更をしたりするほうが楽である。

・脳に大きな可塑性があるのはすばらしいが、意外ではない──そのように働くほかないのだ。

・子ども時代の逆境は、DNAから文化まであらゆるものを損なうおそれがあり、その影響は一生どころか、数世代にわたる可能性がある。とはいえ、悪影響はかつて考えられていたよりも逆転させることができる。しかし介入を遅らせれば遅らせるほど、逆転は難しくなる。

・脳と文化は共進化する。

・いまでは道徳的に当たり前で直感で理解できると思われることが、過去にそうだったとはかぎらない。多くは周囲に同調しない論理的思考で始まった。

・生物学的要因(たとえばホルモン)はたいていの場合、行動を引き起こすより調節して、環境刺激がそれを引き起こす閾値を下げる。

・認知と情動はつねに相互作用する。興味深いのは、いつどちらが優位になるか、である。

・遺伝子は環境によって効果が異なる。ホルモンはその人の価値観しだいで、当人を親切な人にすることも嫌なやつにすることもある。私たちは「利己的」になるようにも「利他的」になるようにも進化していない──特定の場面で特定のあり方になるよう進化した。すべて状況しだいだ。

・生物学的には、強い愛情と強い憎悪は反意語ではない。それぞれの反意語は無関心だ。

・青年期の行動から、脳の最も興味深い部位は、遺伝子による形成が最小で、経験による形成が最大になるように進化したことがわかる。そうして私たちは学ぶ──すべて状況しだいだ。

・連続体を恣意的にどこかで区切ることが役に立つ可能性はある。しかしそれが恣意的であることを忘れてはならない。

・多くの場合、私たちにとって大事なのは喜びの経験より、喜びの期待と追求である。

・攻撃を理解するには、恐怖(および扁桃体が両方とどう関係するか)を理解しなくてはならない。

・遺伝子で大事なのは必然性ではなく、潜在力と脆弱性である。そして遺伝子だけでは何も決まらない。遺伝子と環境の相互作用はいたるところにある。進化が起こるのは、遺伝子そのものではなく遺伝子の調節が変わるときである。

・私たちは暗黙のうちに世界を〈我々〉と〈彼ら〉に分けて、前者を好む。誰をそれぞれと見なすかに関しては、サブリミナルレベルで数秒のうちに簡単に操られる。

・私たちはチンパンジーではないし、ヒヒでもない。典型的な絆を形成する種でも、勝ち抜き戦をする種でもない。ほかの動物でははっきりしている、こうしたカテゴリーの中間に進化している。そのおかげで、私たちは順応性が高く回復力が強い種になっている。さらに、私たちの社会生活はきわめてややこしく、面倒で、欠点や失敗だらけである。

・自由意志の小人のことは、みんな認識しているが口にしたがらない。

・何十万年にわたる伝統的な遊動の狩猟採集民生活は、退屈気味だったかもしれないが、たえず血みどろだったわけではない。ほとんどの人間が狩猟採集民の生活様式を捨ててからの年月で、当然、多くのものが考案された。とくに興味をそそられるのは、見知らぬ人に囲まれる可能性があって、匿名で活動できる社会システムである。

・生物学的システムが「うまく」機能するという言説は、価値判断をともなわない評価だ。すばらしいことをするにも、恐ろしいことをするにも、鍛錬、努力、意志力が必要かもしれない。「正しいこと」はつねに状況しだいである。

・私たちが最高の道徳心と思いやりを示す瞬間の多くは、たんなる人間文明の産物よりはるかに深く古い根をもつ。

・タイプのちがう人のことを、小さな這い回る虫か感染性病原体のようだとほのめかす人は、つねに疑ってかかろう。

・人間は社会経済的地位をつくり出したとき、順位制の霊長類が見たこともないような従属の方法を考え出した。

・〈我〉対〈我々〉(自分の集団内で向社会的であること)のほうが〈我々〉対〈彼ら〉(集団間の向社会性)より容易である。

・人はゾッとするような有害な行為をしてもかまわないと信じる者がいるなら、それはあまりいいことではない。しかし、世界の悲惨な状況のほとんどを生み出すのは、「そんなゾッとする行為にはもちろん反対だ……が、それには例外がある」と言って特定の状況を挙げる者である。地獄への道は正当化によって開かれる。

・私たちがいま確信をもってとっている行動は、将来世代はおろか私たちの将来そのものにとっても、ゾッとするものになるかもしれない。

・空想的で高尚な道徳的推論の能力も、おおいに共感する能力も、難しくて勇敢で思いやりのあることを、実際に行なうことにつながるとはかぎらない。

・人は聖なる価値の象徴のために殺し、殺されてもかまわないと思う。交渉で〈彼ら〉との和解は可能だ。彼らの聖なる価値への思い入れを理解し、尊重することが、平和の長続きを可能にする。

・私たちはつねに、無関係に思える刺激、サブリミナルの情報、自分では何もわかっていない内面の力によって影響されている。

・私たちの最悪の行動、非難され罰せられる行動は、生物学的プロセスの産物だ。しかし、最善の行動にも同じことが当てはまるのを忘れてはならない。

・ほかの人と変わらないふつうの人が、驚くべき人間として最高の瞬間の例を示している。

■最後に二つ

・最終的に、何かを実際に解決できる望みも、物事をよくすることができるという望みも、ないように思えるかもしれない。しかし私たちはやってみるしかない。そしてここまで本書を読んでいるあなたなら、適任ではないだろうか。自分が知的な粘り強さをもっていることを十分に証明した。おそらく水道水を使い、家に住み、適切なカロリーを取り、そして悪い寄生虫性疾患にかかる確率は低いだろう。おそらくエボラウイルスや将軍、あるいは自分の世界で無視されることを心配する必要はないだろう。そして教育を受けてきた。つまり、あなたは幸運な人間の一人だ。だからやってみよう。

・最後に、科学的思考をする人間であることと、思いやりある人間であることの、どちらかだけを選ぶ必要はない。

この記事は、メルマガ記事から一部抜粋し、構成しています。

タイトルとURLをコピーしました