Slowdown 減速する素晴らしき世界

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Slowdown 減速する素晴らしき世界
Slowdown: The End of the Great Acceleration—
and Why It’s Good for the Planet, the Economy, and Our Lives

ダニー・ドーリング(著), 遠藤真美(翻訳), 山口周(解説)
東洋経済新報社 (2022/7/15)

ダニー・ドーリング Danny Dorling
オックスフォードハルフォード・マッキンダー地理学教授
オックスフォード大学ハルフォード・マッキンダー地理学教授。著書にInequality and the 1%、The Equality Effectがある。デジタル世界地図サイト「ワールドマッパー」(worldmapper.org)共同開設者。

遠藤真美 えんどう・まさみ
翻訳者。主な訳書にエリック・A・ポズナー/E・グレン・ワイル『ラディカル・マーケット』(東洋経済新報社)、リチャード・ボールドウィン『世界経済大いなる収斂』(日本経済新聞出版社)、リチャード・セイラー『行動経済学の逆襲』(早川書房)、フェリックス・マーティン『21世紀の貨幣論』(東洋経済新報社)などがある。

山口周 やまぐち・しゅう
独立研究者、著作家、パブリックスピーカー。ライブニッツ代表。1970年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院文学研究科美学美術史専攻修士課程修了。電通、ボストンコンサルティンググループ、コーン・フェリー等で企業戦略策定、文化政策立案、組織開発などに従事。中川政七商店社外取締役。株式会社モバイルファクトリー社外取締役。『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社新書)でビジネス書大賞2018準大賞、HRアワード2018最優秀賞(書籍部門)を受賞。

時系列の変化を、
速度と加速度で捉えるというのは、
とてもおもしろいと思います。

上昇、加速は、歴史的に見ると、
必ずしも当たり前ではなく、
過去5世代だけが特異だったという見方も
新しい視点でした。

減速、減少は、悪いことではなく、
よいこととして捉える考え方も
大切なのではないかと考えました。

日本語版の解説——山口周

■加速の時代からスローダウンの時代へ

もし20世紀という「加速の時代」が、
人類の歴史における例外的な異常事態であり、
現在やってきつつある「スローダウンの時代」が、
むしろ人類にとって当たり前の状況なのだとすれば、
多くの企業が高い成長目標を掲げ、
その内部において人々が心身を耗弱させるようにして
仕事に取り組んでいる現在の状況は、
やっと取り戻しつつある「正常な状態」を、
あらためて「異常な状態」へと押し戻そうとする
不毛な努力なのだということになります。

■真の問題

真に問題なのは「経済成長しない」ということではなく
「経済以外の何を成長させれば良いのかわからない」
という社会構想力のなさであり、さらに言えば
「経済成長しない状態を豊かに生きることができない」
という私たちの心の貧しさなのです。

Slowdown 減速する素晴らしき世界

私が社会人になって、約30年。

子供の頃には高度成長時代があり、
就職したころはバブルの真っ只中。
そして、就職してから、
日本経済の右肩上がりの成長を見ることなく、
停滞の30年といわれた時代を過ごしてきました。

新興して、成長する、あるいは消滅するIT企業を見ながら、
「日本経済が成長しないのは、どうしてなんだろう」、
と考えてきました。

戦後日本の経済成長率の推移

図録 経済成長率の推移

一方、少子高齢化は加速していきます。

しかし、少子高齢化というのは、
日本だけのことではありません。

また、人口ボーナスというのは、
どの地域にあっても、1回限りです。

となると、高度成長というのは、
一時期の現象にすぎないともとれます。

そして、歴史を振り返れば、
人口が減少するというのは、
初めてのことではありません。

となると、少子高齢化社会のトップを走っている日本は、
これからの世界のあり方を示すことが
できるのはないだろうかと考えます。

そんなヒントがこの本から得られることを期待して、
読んでいきたいと思います。

あなたは、目標を前年比でつくっていませんか。

20220805 Slowdown 減速する素晴らしき世界(1)vol.3491【最幸の人生の贈り方】

大阪から四万十へ

■四万十の水田

チカは大阪で店長をしていた。
夫のタケシは運転手だった。

2人は30代後半で、自分たちの生活に
何の疑問も持っていなかったが、
静かな時間が流れるオーストラリアのタスマニアに
家族旅行で行った後、生活をスローダウンさせたいと
思うようになった。

タスマニアでまったく違うものを目にして、
自分たちが持っているものを好きではないこと、
大阪での暮らしのスピードは
自分たちに合っていないことに気づいたのだ。

日本の都市がどこでもそうであるように、
大阪はとても安全な場所だ。

私は以前、日中に大阪のドヤ街に1人で行ったことがある。

日本人のホストには、まさかガイドが必要だなんて
思ってませんよね、と言われた。

確かに安全だったが、
暮らしは追い立てられるように
せわしなく、騒がしく、混沌としていた。

チカとタケシは、もっとゆっくりとした場所で
暮らしたいと思った。

大阪は日本で2番目に大きい都市で、
大阪都市圏には2000万人弱が暮らす。

日本の中で特に活気にあふれた都市でもあると、
チカとタケシの決断を伝える『エコノミスト』誌の記事にある。

2017年5月、2人の幼い子どもとともに、
一家は四国の四万十町に移住した。

農業で生計を立てようと、
南部の海岸沿いに住まいを見つけた。

「思い切った選択ですが、いまは幸せです」とチカは言う。

チカとタケシは「クラインガルテン四万十」に入居した。

畑のそばに小屋が22軒ある滞在型市民農園だ。

このクラインガルテンがある高知県は、
人口が1955年にピークに達した。

2015年にはほぼ5分の1減少して、
わずか72万8000人になっていた。

チカとタケシの例はめずらしい話ではない。

2015年には45人が国内の他の地域から四万十に移住し、
その後、2016年には73人、2017年には139人が移り住んだ。

2017年までに3万3165人の移住希望者から相談があり、
わずか4年で3倍に増えた。

定年退職後にどこか静かなところで
のんびり暮らしたいというシニア層だけでなく、
いまとは違う暮らし方をしてみたいと考える若者も
増えている。

■地方移住

この地方移住の流れが大きな川になることはけっしてない。

それは田舎が都会になるということだからだ。

それでも、こうした新しい流れは、
新しい安定へと向かうスローダウンが進むために
必要なことの一つである。

世界の豊かな国の多くで、地方は過疎化している。

地方移住のパイオニアがもう少し増えれば、
地方の人口は安定に戻る。

家族の平均人数が少しずつ減っているので、
都市部でさえ人がどんどん少なくなっていくだろう。

Slowdown

「クラインガルテン四万十」というのは、
この著書で初めて知りました。

外国人から日本のことを教えてもらえるなんて。

クラインガルテンしまんと
https://kleingarten-shimanto.com

●施設の目的
四万十町では、高知県で初めてとなる、
都市と地域の交流を通じて、
地域の活性化及 び移住・定住の推進を図る
滞在型市民農園(クラインガルテン)を、
平成22年4月に開園しました。

●施設
滞在型農園(宿泊施設付)A区画・B区画
 年間利用料金は297,000円
日帰り型農園
 年間利用料は12,570円
共同利用施設

ここで、農業の知識と経験を積んで、
移住につながるというのは、いいですね。

先日は、別の地域で、
移住者に林業を担ってもらうという取り組みを
紹介しているテレビ番組を見ました。

自治体が、山の所有者をとりまとめ、
移住者にその管理をしてもらうという
仕組みを作っていました。

山林を整備すれば、多様性が戻ってくるし、
海も豊かになります。

とてもよい取り組みではないでしょうか。

都心に住んでいると、
なかなか自分の庭を持つという贅沢を
味わえないのですが、、、

皮肉なことに、再建築不可の物件で
空き家のまま放置されている家が荒れて、
代わりに草や樹が伸び放題になり、
そこに鳥が訪れています。

そして、そんな鳥の鳴き声を聴くという
贅沢を味わうことができます。

日本では、空き家をどうするかということは
喫緊の課題の一つかと思います。

人口が減るならば、
家の数も少なくてよくなります。

家は住まなければ傷みます。

若者がどんな社会に住みたいのか、
どんな環境に住みたいのか、
支えていくのが、シニアの役目かなと
考えています。

あなたは、どんな都市と地方が、住みやすいと考えますか。

20220806 大阪から四万十へ_Slowdown(2)vol.3492【最幸の人生の贈り方】

時空を外から記述する位相ポートレート

■振り子の動き

振り子は左右に揺れる。

中心からの振れ幅が最大になり、
一つ目の漸近線にほぼ接するところにきたときに、
振り子は最もゆっくり動いているように見える。

振り子をある特定の見方で観察している私たちにとっては、
振り子は真下の位置を通過するとき最も速く動く。

その後、反対側にある二つ目の漸近線に近づくにつれて、
スピードはふたたび遅くなり、
漸近線にほぼ接するところで、
ほんの一瞬だけ静止した後、
最初はゆっくりとしたスピードでまた中央に戻り始める。

このように見えるのはそういうものだからなのだが、
同じ振り子の揺れを、次のように見ることもできる。

振り子のスピードが遅くなると位置エネルギーは大きくなる。

あるいは、スピードを振り子の位置に沿ってプロットすると、
らせんの軌道をたどる。

スピード(位置の「一次導関数」)は変化の速さであり、
変化はすべて時間に関係している。

■位相空間と位相ポートレート

位相空間とは、対象となる変数がとりうるすべての値を
プロットできる領域である。

その空間内にある点は、
起こりうるあらゆる状態を表している。

位相ポートレートは、位相空間内で
実際にとりうる軌道をまとめた図である。

本書の時系列線は、
すべて同じ方法で描かれた位相ポートレートであり、
それぞれの時系列線のそれぞれの対象を測る
最も単純な二つの尺度を縦軸と横軸にとっている。

対象の位置(その時点の値)は常に縦軸に示されるので、
対象の位置が高ければ高いほど、
示される値は大きくなり、
位置が低ければ低いほど、
示される値は小さくなる。

本書で示されている位相ポートレートや時系列線では、
横軸は速度(測定されているものの変化の速さ)を
プロットするために使われている。

https://www.dannydorling.org/books/SLOWDOWN/Figures.html

点の位置が右端に近いと、その値は急上昇している。

縦軸上のどこかにあるときには、
値は上昇も下降もしていない。

左端に近いときは、値は急激に下がっている。

左端や右端だと、変化は速く、中央に近くなるほど遅くなる。

そして最後に、すべての点は曲線で結ばれている。

曲線は隣り合った点同士を時間順に結んでいる。

曲線が使われるのは、そうしないと間違った印象が与えられて、
変化の速度が、その変化が測定された時点で
突然変わっているかのように見えてしまうからある。

曲線上の点は、丸印で描かれる。

丸は縦軸に示される値によって大きさが決まり、
日付(年、月、さらには日)が表示されるので、
位相ポートレートが時間、変化、変化の速さを
同時に示せるようになる。

しかし、ここで何よりも大切なのは、曲線の形であり、
その形がどう変化しているかであって、
特定の一つの事象ではない。

そのため、
「ここまでどうやってきたのか」
「これからどこに向かうのか」
といった疑問に答えを出すには、
こうした図は非常に役立つ。

いま何が起きているのかを理解しようとしても、
壁が立ちはだかる。

その一つは、これほど多くのことを、
これほど短い時間で学ぼうとしなければいけないことだ。

私たちが学ばなければいけないことは、
前の世代の誰よりもはるかに多い。

スローダウンが進めば、興奮は少しばかり薄れるとしても、
学びやすくなるだろう。

■振り子の動きを3つの方法で記述する

一つ目の図は、いつも見ている振り子の動きであり、
振り子は左右に揺れている。
位置しか示していない。

二つ目の図は、同じ変化のパターンを示しているが、
今度は時間に対してプロットしている。
また、位置だけでなく速度も描かれる。

三つ目の図は、どちらの軸にも時間をとっていない。

この位相ポートレートで示すと、
振り子の状態が四つに分かれることがよりはっきりとする。

点1を始点として、加速・上昇している状態、
上昇しているが減速している(スローダウン)状態、
落下しながら逆向きに加速している状態、
減速しているがまだ落下している状態の四つである。

[朝日補足:上昇・落下は、始点を下としたときの表現]

スローダウンは、人類がいまいる状態である。

Slowdown

永久振り子の動きを系、時系列、位相ポートレートで記述

永久振り子を系・時系列・位相ポートレートで記述

減衰振り子の動きを時系列、位相ポートレートで記述

減衰振り子を時系列・位相ポートレートで記述

この時空を外から記述する表現というのに、
とても興味を持ちました。

というのも、易経64卦を理解・表現するのに、
図を書いているからです。

複数の当事者のそれぞれの視点と、
どの当事者からも離れた客観的な視点を
もつことは、とても興味深いです。

同じように、現在の世界にいる私たちの日常は、
とても短い時間軸でしか、世界を眺めることができません。

自分の一生、あるいは、長くても、
親、祖父母の世代までくらいでしょうか。

が、人類の歴史、地球の歴史からみれば、
ほんの一瞬でもあります。

位相ポートレートのとてもおもしろいところは、
位置と速度と加速度を視覚的に理解することが
できるところだと考えます。

新型コロナウイルスの感染者でいえば、
感染者数の合計が位置、
新規感染者数が速度、
1週間前と比べた新規感染者数の増減が加速度にあたります。

1週間前と比べた新規感染者数が
減っているとしても、
感染者数が増えているのには変わりがないのですが、
増加の勢いが減っています。
これを著者はスローダウンと表現しています。

このスローダウンは、加速度なので、
一般的には目に見えることがなく、わかりづらいです。

通常の時系列のグラフだと、
左右がちょん切れるので、
大局を見失ったり、
見る人を誤解させたりすることがあります。

しかし、位相ポートレートは、
始まりからの時系列を
1枚で眺めることができるので、
「ここまでどうやってきたのか」
を理解することができます。

もちろん、縦軸が適切かという議論は
常に必要ではありますが。

あなたは、物事の変化を、どのように直感的に、あるいは客観的にとらえようとしていますか。

20220807 時空を外から記述する位相ポートレート_Slowdown(3)vol.3493【最幸の人生の贈り方】

データ 新しいものがどんどん減っていく

■世界の情報量

私は「データの増加が制御不能になっている」とは考えていない。

それは、どう使えばいいのかわからないほど
大量のデータに長年囲まれていて、
ずいぶん前に自分のデータをどう保存するか、
思い悩むのを止めたからだ。

データ生成は「増加の一途をたどる」と考える理由はないし、
そうならないと考える理由はたくさんある。

何よりもまず、世界人口の増加そのものが
スローダウンしている。

携帯電話を持つ人の割合が100%を超えることはありえないし、
1人が生成できる自撮り画像や動画の数にも限りがある。

2020年には、地球上で1人が1秒ごとに
1・7メガバイトのデータを生成するようになると
推定されている。

情報の中身については、こうしたデータの大半は
人類の知識を前進させるどころか、
陳腐化するか無駄になっている。

他のさまざまな場所で何回も記録されたもののコピーが
ほとんどだ。

■役に立つデータ、役に立たないデータ

世界の情報量が幾何級数的に増えているかどうかを
明らかにするには、まず、役に立つデータ、
あまり役に立たないデータ、
まったく役に立たないデータを
区別しなければいけない。

世界中の大半の人が活用しているデータ、
たとえばウィキペディアの無償のボランティア軍団が
手間暇かけて収集した情報を見ても、
頻繁に利用されるのはほんの一握りであり、
多くの記事はほとんど誰にも読まれない。

■ウィキペディアの成長

ウィキペディアの拡大は加速していない。

逆に、1年間に追加される項目の数も、
項目のサイズも、スローダウンしている。

わずか19年間で、ウィキペディアの記事数は
1万9700件から577万3600件に増えた。

ウィキペディアは2001年1月15日に生まれた。

記事の内容や成長をコントロールする中央管理者はいない。

わずか6カ月あまりで1万件の記事が公開され、
2003年には10万件の大台を突破、
2006年3月には100万件を超えた。

この時点では成長は幾何級数的だったが、
1年もせずに成長ペースは減速していた。

なぜなのだろう。

ウィキペディア自身の説明によると、
「英語版ウィキペディアで活発に活動している編集者の数は
2007年に5万1000人あまりでピークを打ち、
それ以降は減少している」。

「2007年には、百科事典として持つべき重要な項目の
ほとんどがすでに書かれていて、
瑣末な項目の割合が増えていたのではないか」。

世界中の多くの人が強い関心を持っている事柄は
100万~200万の間で、項目数がその水準に達すると、
新しい項目が100万件追加されるごとに、
その前の100万件よりも関心度が下がっていくことは確かだろう。

過去の百科事典に収録されていた項目数は
100万件を大きく下回っている。

トレンドの二つ目の変化は、2015年に起きている。

ウィキペディアの成長ペースが一時的にまた
加速したのだ。

ウィキペディアを編集できる人
(当時、コンピューターリテラシーが急速に高まっていた)が
「スタブ」をつけて、記述が不足していることを知らせ、
そのスタブを見つけた他の人とノートページで
意見を交わせるようにしていたものと思われる。

ウィキペディアのスローダウンが
2015年に一時的に止まった理由については、
考えられる説明がたくさんあり、
これはその中の一つにすぎない。

Slowdown

「役に立つ情報は増えているのか。」

確かにWikipediaに格納されている情報は
頭打ちだと思います。

しかし、データ量ということであれば、
テキストを音声、動画にするだけで、
一気に増えます。

また、現在のデータ爆発は、
機器が生成するデータ、
生体情報、行動データなどで
増えているものです。

もちろん、人口がスローダウンするので、
これらの情報もいずれはスローダウンしますが、
人に関する情報のデータ化は、
今のところ増える一方ではないでしょうか。

私は記録していませんが、
万歩計は、1週間の歩いた歩数は記録しています。

スマホは、スマホを持ち歩いた歩数を記録しています。

どこまで遡れるのだろう、と思って確認したら、
2018年6月でした。

私はスマートウォッチを持っていませんが、
持っている人は、常にデータを吐き出しています。

これらのデータは、つい最近まで、
人類史上存在しないデータです。

新しいものといえるのではないでしょうか。

役に立つかもしれないし、
私のスマホの歩数データと同じように
使われないまま捨てられるデータかもしれません。

SNSでバズる情報は役に立つものなのでしょうか。

TikTokで踊っている動画は、役に立つものなのでしょうか。

「役に立つ情報は増えているのか。」
という問いに答えるのは、なかなか難しいです。

現在、情報を入手するのに、
Wikipediaではなく、Youtubeを探しにいく人も多いでしょう。

すると、役に立つ情報の置き場所が変わっただけかもしれません。

羊皮紙や木簡ではなく、紙に。

紙ではなく、電子テキストデータに。

テキストデータではなく、動画データに。

とするならば、Wikipediaだけで、判断するのは、
片手落ちかもしれません。

私も手順書を作るのが面倒なときは、
操作動画を撮影することにしています。

同じ質問が来るたびに、
動画のリンクを送ればいいです。

どうなんでしょう。

増えていることは確かですが、
加速しているのでしょうか。減速しているのでしょうか。

「新しく、役に立つ情報は、スローダウンしているのでしょうか。」

あなたは、情報は、どこから入手していますか。どんな情報を作り出していますか。

20220808 データ 新しいものがどんどん減っていく_Slowdown(4)vol.3494【最幸の人生の贈り方】

二酸化炭素排出量の歴史

■1910年以前
https://www.dannydorling.org/books/SLOWDOWN/Figures.html#img13

世界の二酸化炭素の年間排出量が
10億メトリックトンから20億メトリックトンに増えるのに、
1884年から1901年までの17年しかかからなかった。

排出量が倍増したのは、
主に輸送と産業の活動が原因だった。

この17年間は大きな出来事がたくさんあり、
それ以前のように一貫して増加したわけではない。

しかし、何よりも重要なのは、
人間の工業生産から1年間に排出される二酸化炭素が
1884年に10億トンになるまでに、
何年も、何十年も、何世紀もかかっていたことである。

その後、1901年から1910年までのわずか9年間に、
産業活動と燃料使用による排出量の増加ペースはさらに速まり、
毎年30億メトリックトンの二酸化炭素が
地球を取り巻く大気の中に放出されていた。

■1910年から1960年
https://www.dannydorling.org/books/SLOWDOWN/Figures.html#img14

1910年から1960年までの間、
産業活動と化石燃料の使用による
二酸化炭素排出量のトレンドは、最初は不規則だったが、
1946年以降は驚くほど安定し、
戦争期以外は増加し続けた。

この時期に電気が大衆化しただけでなく、
自動車製造も加速した。

■1960年以降
https://www.dannydorling.org/books/SLOWDOWN/Figures.html#img16

産業活動と燃料の使用によって
世界全体で1年間に排出される二酸化炭素の量は、
1928年から1955年までの27年間で2倍になった。

1976年までの21年間でまた2倍になり、
2000年までの23年間でさらにまた2倍になった。

Slowdown

・人口増と二酸化炭素排出量には関連がなく、
経済活動と二酸化炭素排出量に大きな相関がある。

・不況になると、二酸化炭素排出量が減る。

1950年代、60年代の成長を支えた思想は、
「工業化は進歩であり、
生産が拡大すれば生活水準が上昇すると考えられていた。

自動車は自由の象徴であり、
飛行機は冒険の手段だった。

より速く、より遠くに行くことが何よりも称賛された。」
ということになります。

工業化によって、環境が汚染されることは
わかっていました。

大気汚染、河川や海水の汚染など。

しかし、二酸化炭素は目に見えないので、
それが地球に及ぼす影響は理解できていませんでした。

なぜなら、植物が恒常状態を維持してくれると
思っていたからです。

そして、私たちは、森林も破壊していきました。

人類の活動が地球環境の恒常性が維持できないほどの
大きな影響を与えると学んだのは、
30年前のリオデジャネイロの地球サミットのときでしょうか。

この2年間の新型コロナウイルス感染拡大による
経済活動制限によって、地球環境がよくなっていることが
報告されています。

大気汚染が減り、海水もきれいになったと。

歴史から学ぶと、
「1918~1919年に世界の炭素排出量が14%減少したが、
その後、患者の大半が回復すると、翌年には16%増加した」
とあります。

今回も同じことが予想できます。

学ぶことがあるとするならば、
もう、海外旅行はやめるべきだということに
なるのでしょうか。

人間ひとりが、一生の間に排出してよい二酸化炭素の量があるとすると、
私は早々と使い切ってしまっているような気がします。

とすると、海外旅行を計画している場合ではなく、
緑を増やす活動に従事して、
未来からの借金を返さないといけないのかもしれません。

あなたは、二酸化炭素排出量の歴史から、何を学びますか。

20220809 二酸化炭素排出量の歴史_Slowdown(5)vol.3495【最幸の人生の贈り方】

スローダウンしない気温

■過去5世代

地球の気温が目に見えて上昇しているのは、
ここ5世代の間だけである。

第1世代(1901年~1928年生まれ)が生まれたのは、
地表面の平均気温が第2世代の赤ん坊が
生まれたときの平均気温よりも
1000分の4度だけ低いときだ。

第2世代(1929~1955年生まれ)が生まれたときの平均気温は、
第3世代の平均気温より1000分の5度だけ低かった。

第3世代(1956~1981年生まれ)を
X世代と呼ぶことにしよう。

氷期と間氷期は交互にやってくるという考え方が
定着し始めたのは、X世代が生まれた頃だ。

第4世代であるY世代(1982~2011年生まれ)は、
気温がそれまでの三つの世代の3倍上昇し、
1000分の15度だ。

その後、第5世代であるZ世代の気温上昇も、
最初の5年間だけで第4世代の3倍になった。

■気温はどれくらい変化しているのか

気温はガスと違って均等に分布していないため、
地球全体の平均気温とその変化を推定するのは
はるかに難しい。

https://www.dannydorling.org/books/SLOWDOWN/Figures.html#_

図17、図18、図19と、もう一つの標準的なグラフ(図20)は、地球の気温の変化に関する3種類の推定を示している。

1990年以降、ほとんどすべてのポイントが右側にあり、
年々増加し続けている。

増加そのもののペースも増加(加速)している。

そのため、時系列線はどんどん右に向かっており、
いまは気候変動が私たちの最大の不安要因になっている。

NASAのデータ系列によると、
地球の気温が明らかに下がった最後の年は、
1969年だった。

図18の時系列線は、
図17より少し早く始まっている。

何かが大きく変化したのは、1922年になってからである。

図18の作成者は次のように指摘している。

「気候科学者は伝統的に長期の気候、
30年以上の気候を考える。

ところが、メディアや大衆の関心は
もっと短期のトレンドにあり、
過去15~16年の動きだけを見ている。

短期のトレンドは、長期的には打ち消し合う
数多くの要因の影響を受けることがあるため、
はるかに複雑になる。

16年間のトレンドを読み解くには、
火山、太陽活動周期、極東地域からの微粒子の排出、
海流の変化をはじめとする、
あらゆる要因を考慮しなければならない。

この論文で取り上げたバイアスは
そのパズルの1ピースにすぎないが、
大きめのピースだ」。

■気候変動の予想

地球の平均海面は2100年までに
1~2メートル上昇すると予想するべきだ。

いまでは、気温の上昇を2度までに抑えられず、
それ以上に気温が高くなって、
氷冠の大部分が融解することを避けられなければ、
海面が(世界全体の平均で)10メートル上昇する可能性がある
と考えられている。

熱波や干ばつを含む極端な気象現象は、
発生する頻度がすでに高くなっている。

いまはっきり言えるのは、1850年から2020年の間に、
世界は約1・1度暖かくなっており、
変則的な火山噴火による影響を除けば、
その上昇分はすべて、
私たちが引き起こしたものであるということだ。

加速化というと、制御不能な状態を連想するが、
それは正しい。

気候変動懐疑派が最も好んで使うデータでさえ、
地球が温暖化していることをはっきり示している。

図20は、図19を描くために使ったものと
まったく同じデータを使っている。

ゼロ線は単に1981~2010年の平均を示している。

図20の標準的なグラフを見ると、
1998年の結果は見せかけだと片づけやすくなる。

地球のこの5億年の気温変化はどうなっているのでしょうか。

まとめたグラフがこちら。

5億年の地球の気温変化

出典:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f5/All_palaeotemps.png から、日本語に翻訳

注意しないといけないのは、
横軸の尺度がまったく異なる5つのグラフが
連なっていることです。

5つのグラフを並べただけであることを
忘れないようにしてください。

横軸は、1960年から1990年の平均気温を0にしています。

一番左は、5億年前から1億年前の気温変化。

4億年前のデボン紀から
3億年前の石炭紀にかけて、
気温が急激に減少し、
ペルム期に急上昇をし、
その後の中生代を迎えます。

デボン紀は、昆虫、両生類、サメなどが出現。

その末期には、気候の急激な寒暖の変化、海水面の後退、
乾燥化、低酸素化、などの大きな環境変化が
繰り返し発生し、大量絶滅しています。

石炭紀は、シダ植物の大きな森林が形成され、
大型の節足動物が繁栄していました。

末期には数百万年の氷河期が到来し、
多くの生物が死滅しました。

ペルム紀は、巨大な両生類や爬虫類が生息。
哺乳類の祖先は、この時代に出現。

大陸は、赤道付近に存在していたユーラメリカ大陸と、
南半球から北上してきたゴンドワナ大陸が衝突し、
北半球のシベリア大陸も衝突し、
パンゲア大陸と呼ばれる超大陸が形成されます。

ペルム紀の初期には、ゴンドワナ大陸が南極地域にあり、
大規模な氷床が発達していたため、気候は寒冷でした。

しかしゴンドワナ大陸が北上して南極地域を脱したことから、
氷床は融解しはじめ、気温は上昇に転じました。

ペルム紀の末期には激しい気温上昇が起こります。

ペルム紀の終わり(P-T境界)に、
地球史上最大規模とも言われる大量絶滅が起こります。

左から2番目のグラフは、
恐竜絶滅後から1000万年前までの気温を表しています。

PETMとは、
暁新世-始新世温暖化極大(Palaeocene–Eocene thermal maximum)で、
数千年あるいはそれ以下の短期間で進行したと推定されている、
約5500万年前に起きた急速な全球的温暖化現象です。

全球の平均気温が5 – 9℃上昇しました。

原因は、重い13Cに乏しい軽い炭素が
大気・海洋に莫大に付加され、
二酸化炭素による温室効果が働いたこととされています。

元の二酸化炭素濃度に戻るまで、
3万年かかったとのこと。

始新世(Eocene)で、いったん温暖化になったあと、
そのあと現代まで、上下を繰り返しながらも、
気温は下がっていきます。

右から2番目のグラフは、
100万年前からの気温を表しています。

更新世(Pleistocene:約258万年前から約1万年前)は
氷河時代です。

氷期と間氷期を繰り返していて、
その主たる要因は地球の回転軌道の性質から
もたらされる変化のために生じる
太陽放射量の周期的な変動です。

そして、一番右のグラフが
2万年前からの気温です。

完新世(1万年前から)は、
ほとんど、気温が一定していることが
みてとれます。

一番右端の固まっている赤丸が、
現代の気温です。

急激に上昇していることが見えます。

大型鳥類や哺乳類の絶滅は、
人類が引き起こしたものですし、
現在の気温上昇と気候変動も
人類の活動が引き起こしたものだとすれば、
地球史上、最も影響を与えている生物種といえるでしょう。

しかし、長い地球の歴史を振り返れば、
なんども大量絶滅を繰り返していて、
その後、数万年をかけて、
新たな環境と生物種を生み出しています。

生物史上、最も賢いと自認した結果、
みずから生息環境を破壊した
最も愚かな生物として、
地球史上に記録されるのかもしれません。

その発端に加担したのが、
他ならぬ私たちだということが、
かなり情けないです。。。

もう少し、賢くなるには、
どうしたらよいのでしょうか。

あなたは、地球の歴史から、何を学びますか。

20220810 スローダウンしない気温_Slowdown(6)vol.3496【最幸の人生の贈り方】

人口増加の終焉

■2100年間の世界人口

https://www.dannydorling.org/books/SLOWDOWN/Figures.html#img21

図 21 をよく見ると、
ここ170年間の動きがグラフの大半を占め、
それまでの軌跡はグラフの下 11 分の1に
ぎゅっと押し込められていることがわかる。

この下 11 分の1の地点から人口はずっと増え 続けている。

人口が増加し始めたのは、1850年頃である。

これは大英帝国が全盛期を迎えようと していた時期だ。

この時点でイギリスはすでに、
現在の国連加盟国193カ国のうち171カ国を侵 略していた。

オーストラリアやアメリカ大陸のように、
それまでほとんど、あるいは完全に隔絶されていた大陸に
侵略すれば、社会全体が根本から大きく揺らぐ。

最初、侵略された領土の人口は急速に減る。

人口が著しく減少するので、
世界全体の人口がスローダ ウンする。

1850年までの 10 年間をよく見ると、
その証拠が見つかる。

ヨーロッパで奴隷貿易が 始まってしばらくすると、
「アフリカ分割」が起きた。

大西洋をまたいだ奴隷貿易によって、
アフリカは荒廃した。

侵略の衝撃と破壊はすさまじく、
アフリカ大陸で何世紀にもわたって
築かれてきた社会構造と規範が崩れ、
それまでは比較的安定していた人口が加速に転じる。

そうして1850年代から1930年代にかけて、
世界人口は急増した。

1939年に第二次世界大戦が始まったことで、
人口増加の加速はいったん止まった。

多数の死者が出ただけでなく、
多くの人が子どもを持つことを避けるか、
離ればなれになって子どもを持つことが
できなかった。

しかし、戦争が終わると、家族を持つことを
先延ばしにしていた大勢のカップルが
すぐに子どもを持ち始めた。

このベビーブームは戦後の豊かな国々に広がっただけでなく、
中国(革命の混乱後)とインド(膨大な死者を出した
1947年の分離独立直後)でも起きた。

その戦後の第一次ベビーブーム世代の孫が1980年代に生まれ、
ひいてはひ孫が現れるようになり、
加速のラストスパートも消滅した。

https://www.dannydorling.org/books/SLOWDOWN/Figures.html#img22

図 22 は両対数スケールを使っている。
総人口だけでなく、変化も対数で表示される。

もっと間隔の短い推計値が使われていたら、
増加が中断した期間がもっと明らかになっていただろう。

西暦165年のアントニヌス帝のペスト、
541年に始まったユスティニアヌスのペスト
(世界人口のおよそ6分の1が死亡した)、
1347年にヨーロッパに到達し、
人口の約半数が命を落とした黒死病によるものなどが
その例である。

図 22 を見たら、歴史は繰り返すと思うだろう。

いまの世界的なスローダウンは、2100年以降に
またリバウンドすることも考えられる。

しかし、この3回目の大スローダウンは、
私たちの選択の結果としてそうなったものであり、
余儀なくされたものでも、
理由もわからずに起きたものでもない。

そして、その選択をしている人の大多数は
女性である。

■日本のスローダウン

https://www.dannydorling.org/books/SLOWDOWN/Figures.html#img28

日本も、ここで示されている記録には含まれていない飢饉に
見舞われている。

入手可能なデータの質 が低くて、
時系列線に反映させることができなかった。

1640~1643年の寛永の大飢饉では
犠 牲者が 10 万人にのぼった。

1732年の享保の大飢饉による死者数は、
1万2000人とも100 万人とも伝えられる。

1782~1788年の天明の大飢饉では、
飢えて衰えた身体に疫病が襲っ たこともあり、
日本の人口がほぼ100万人減少した。

1833~1837年の天保の大飢饉では、
人口の3~4% が死亡した地域もあった。

しかし、図 28 の時系列線が示すように、
飢饉がなかった 年の大多数では、
日本の人口は着実に増加した。

その後、増加ペースが加速して、
1500年から1 700年の間に倍増し、
少なくとも2700万人に達した。

それを境に増加ペースがとてもゆっくり になる。

江戸時代の後期には、
人口の増加ペースは特に遅かった。

1822年にコレラが流入し、
人口は減少したとされている。

日本の人口増加がふたたび加速したのは、
1868年の明治維新以降のことだ。

1972年以降、日本の出生率は低下の一途をたどった。

2009年と2010年に日本の人口はピークに達した。

1人の女性が産む子どもの数の平均は、
1 975年に2を下回り、1993年に1・5、
2003年に1・3を割り込んだ。

現在の東京の出生 率は1・09 で、
いまも下がり続けている。

2065年には1億人を割り込んで、
2099年には8500万人を下回るおそれがある。

197 0年代初め以降に日本の女性が手に入れたものは、
いまのインド亜大陸で暮らす女性が
ほとんどすべ て手に入れている。

1970年には、 15 歳未満の子どもは
日本の人口の4分の1を占めていた。

いまのインドでは人口 の4分の1が子どもである。

Slowdown

厚生労働省で発表されている最新の状況を
確認しました。

令和3年(2021)の人口動態はこちら。
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai21/dl/kekka.pdf

○ 出生率(人口千対)は低下 6.6(令和2年 6.8 から 0.2 低下)
○ 合計特殊出生率は低下 1.30(令和2年 1.33 から 0.03 低下)
○ 死亡率(人口千対)は増加 11.7(令和2年 11.1 から 0.6 増加)
○ 自然増減率(人口千対)は低下  △ 5.1(令和2年 △4.3 から 0.8 低下)
○ 婚姻率(人口千対)は低下 4.1(令和2年 4.3 から 0.2 低下)
○ 離婚率(人口千対)は低下 1.50(令和2年 1.57 から 0.7 低下)

令和2年の都道府県別の順位が添付されています。
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/kakutei20/xls/sankou.xlsx

出生率が高いのは、
沖縄、福岡、愛知、滋賀、熊本

合計特殊出生率が高いのは、
沖縄(1.80)、鹿児島、宮崎、長崎、熊本

合計特殊出生率が低いのは、
東京(1.12)、宮城、北海道、千葉

死亡率が高いのは、
秋田、青森、高知、島根、山形

婚姻率が高いのは、
東京、沖縄、愛知、大阪、福岡

離婚率が高いのは、
沖縄、福岡、大阪、宮崎、北海道

東京都ではさらに市区町村別の数字を発表しています。
https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/hodohappyo/press/2022/03/14/11.html

合計特殊出生率の東京都
最高は、中央区 1.43。
最低は、豊島区 0.91。

なぜ、中央区で高くて、豊島区で低いのか、
わかりません。

現代は、結婚するのが当たり前ではなく、
子供をもつのも当たり前ではないという時代に、
なっています。

その「当たり前」も実は、ほんの最近だけの
ことのようです。

「独身が5割超、江戸男子に学ぶシングルライフ」

独身が5割超、江戸男子に学ぶシングルライフ
日本の未婚率や離婚率の上昇を近年の特殊な状態だと勘違いされている方が多いようですが、むしろ逆で、明治末期から大正・昭和にかけての「皆婚と非離婚」のほうが異常値だったと言えます。もともと日本人は未婚も…

日本の歴史を遡ってみると、
江戸時代末期の離婚率は、4.5。

1675年の信濃国湯舟沢村の記録によれば、
男の未婚率は全体で46%であるのに対して、
傍系親族は62%、隷属農民は67%が未婚でした。

1771年時点の信濃国湯舟沢村の男の未婚率は30%。

当時は、結婚して子孫を残すというのは
どちらかいえば身分や階層の高い者に限られていたとのこと。

さらに江戸などの都市部は、
未婚率が高かったようです。

社会としては、どういう価値観を大切にするのが
よいのでしょうか。

世界トップを走っている、日本で、
若者が作り出していけばよいのだと考えます。

その若者の足をひっぱらないためにも、
健康であることが大切だと考えています。

あなたは、人口減少社会をどのように支えるのがよいと考えますか。

20220811 人口増加の終焉_Slowdown(7)vol.3497【最幸の人生の贈り方】

スローダウンの先頭に立つ日本

■スローダウンの先頭に立つ日本

日本は世界の大国の中で
最初にスローダウンした国だった。

1978年、スローダウンのごく初期の兆しが
見え始めてからわずか10年後、
当時は地域学の若手研究者だった川嶋辰彦が、
ROXY指標を提案した。

ROXY指標は、各地域の人口増加率を
すべて中心地からの距離で重み付けした場合の
都市の人口増加率の平均値である。

ROXY値が正で高いときは、
人口の増加が中心部近くに集中していることを意味し、
負で低いときは、中心部の成長を上回るペースで
都市が外側に広がっていることを意味する。

ゼロに近い場合は、大きな変化がないということになる。

■1920年からの東京

https://www.dannydorling.org/books/SLOWDOWN/Figures.html#img65

図65に示している牛島の時系列線は、
1920~1925年から始まっている。

これは東京が急速に成長していた時期だ。

この時系列線を見ると、
全体としては急速に増加しているわけではないが
(1920年の370万人から1940年には740万人に増加)、
東京が最初はかなり均一に成長したことがわかる。

この図の場合、縦軸はほとんどゼロのところにある。

1920年代後半には、東京の成長の大半は
中心部に向かって集中したため、時系列線は上昇するが、
集中の度合いは下がり始めてもいた。

1930年代も、人口は主に中心部で増加した。

高層ビルが次々につくられていたが、
その後、戦争が始まって
人口は1945年には350万人まで減少し、
やがて郊外化が始まった。

1940年代になると、人口の最大増加エリアが
中心部から縁辺部へと大きくシフトした。

これは図65の1940~1947年までの動きに
はっきり見て取れる。

そのトレンドも結果として反転し、
1947~1950年には、東京の中心部の人口が
郊外を上回るペースで増加していた。

相対増加率はこのときがいちばん高くなっている。

1950~1955年には、中心部の人口はまだ、
郊外とほとんど同じ速さで増加していたが、
1955~1960年になると東京の集中化がスローダウンし、
1960~1965年には郊外よりも
人口が増えている中心地域はなくなった。

忘れないでいてほしいのは、この間に
東京の人口はずっと増え続けていたことだ。

中心部の人口は
1956年には800万人、
1963年には1000万人、
2001年には1200万人、
2008年には1300万人、
2015年には1350万人に達した。

人口は増加していたが、
増加のスピードは緩やかになると同時に、
安定に向かっていた。

1965~1970年に郊外の人口が急速に増え、
1970~1975年にはさらに増加したが、
トレンドは常に変化するものだ。

実際、このときも変化が止まることはなかった。

図65を見ると、1975年から1990年の間に、
とても小さくて見えにくいが、
らせんの中心にもう一つらせんができている。

1990年以降、ふたたび中心部の人口が増加し、
2000年には中心部の人口増加が郊外を上回った。

ところが、時系列線はまたらせん状に
回転していることがすでにはっきりしており、
ある状態へと向かっていることが読み取れる。

時系列線は二つの軸の中央に近づいている。

そう、スローダウンへと、安定へと向かっているのである。

Slowdown

東京都の人口の動きを調べてみました。
https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/jugoki/2021/ju21qf0001.pdf
https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/jsuikei/js-index.htm

昨年は、26年ぶりの人口減少。
今年3月に底を打って、7月までまた増加しています。

変動要因別の人口増減(図5)を見てみると、
昭和41年から平成8年までは、転出が多いものの
自然増も多いので、全体として増加の年が多いです。

平成9年以降は、転入が増えて、
同時に外国人も増えています。

東日本大震災と新型コロナで、
外国人は減少していますが、
これはやむを得ないでしょう。

平成24年からは、自然減が上回り、
その減少幅は年々大きくなっています。

新型コロナが落ち着いた後に、
どうなるかは、まだわからないですね。

外国人は、ある程度戻ってくると思います。

近所で、学生向けに部屋を貸しているオーナーによると、
昨年は空室だったけれど、
今年になって、外国人留学生が部屋を借りるように
なったと話していました。

都心でなくても、仕事できるから、
もう戻ってこなくてよいという人が
どれくらいいるかは、まだわかりません。

ここ数年、近所には、いくつも保育園ができて、
学童保育の施設も増加。

小さな子供をもつ、共働き世帯には、
住みやすい街になっているように思います。

東京都の公立小学校の児童数でいえば、
令和5年度まで増加し、
その後は減少に転じるという見込みが
東京都教育委員会で公表されています。
https://www.kyoiku.metro.tokyo.lg.jp/press/press_release/2021/release20210924_05.html

都道府県別で全国を見ると、
https://www.stat.go.jp/data/jinsui/2021np/index.html
2021年に人口が増加しているのは、沖縄県のみ。
2021年に、東京だけでなく、埼玉、千葉、神奈川、福岡も
減少に転じました。

一方、人口減少率が縮小している県も
大分、鹿児島など7県あります。

日本をどのように再構築していくか、
地域によって、最適解は異なると思います。

https://www.soumu.go.jp/main_content/000273900.pdf

江戸時代は、飢饉も多かったので、最適解とはいえませんが、その頃の人口は、3000万人で一定であり、ここが一つの目安かと考えます。

人口推計を見ると
2100年の中位推計で、4,771万人。高齢化率 40.6%。

高齢になっても、
健康で、生産的であれば、問題ありません。

日本のモデルが、
世界のロールモデルの一つになればよいかと
考えます。

あなたは、どんな日本の社会をつくっていきたいですか。

20220812 スローダウンの先頭に立つ日本_Slowdown(8)vol.3498【最幸の人生の贈り方】

この記事は、メルマガ記事から一部抜粋し、構成しています。

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