WORLD WITHOUT WORK―AI時代の新「大きな政府」論

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WORLD WITHOUT WORK―AI時代の新「大きな政府」論
A World Without Work:Technology, Automation, and How We Should Respond

ダニエル・サスキンド(著), 上原裕美子(翻訳)
みすず書房 (2022/3/14)

ダニエル・サスキンド Daniel Susskind
オックスフォード大学経済学フェロー、同大学のAI倫理研究所シニア・リサーチ・アソシエイト、キングス・カレッジ・ロンドン訪問教授。イギリス政府の首相戦略ユニット、官邸政策ユニット、内閣府などに勤めたのち現職。著書『プロフェッショナルの未来』(2017、朝日新聞出版、共著)。

上原裕美子 うえはら・ゆみこ
翻訳家。訳書 ハース『The World』ザカリア『パンデミック後の世界』(ともに2021、日経BP・日本経済新聞出版本部)ザキ『スタンフォード大学の共感の授業』(2021、ダイヤモンド社)カリス他『なぜ、脱成長なのか』(共訳、2021、NHK出版)ほか。

私が独立するときに掲げて、
今も大切なミッションとしているのが、
「誰もがやりがいのある仕事で、
生涯現役で働き、
みんなが豊かで幸せになる社会を創る!」
です。

つまり、仕事をすることで、
だれもが豊かに幸せになると
考えていたからです。

が、その仕事自体が世界からなくなるとしたら、、、

これは今まで問いかけたことのない問いでした。

今いるレベルより上を想像することは
簡単ではありませんが、
他者を満足させることに価値を見出すという考え方自体を
超えていくのかもしれません。

すると、宗教に代わって、
人類の思想を支えてきた、貨幣と科学という概念を
超えるものが、重要になる可能性があります。

人類史を考えれば、
仕事が生き甲斐であるという概念は
必ずしも、長く支持されてきたものではありません。

世界をよりおもしろくすることができる時代に
私たちはいるのかもしれません。

労働がどうやって変わってきたか

■産業革命以前と産業革命

人類誕生から30万年のうち、
大半において経済はおおむね停滞していた。

ところがここ300年ほどで、
そうした経済不活動は唐突に終わりを迎える。

人間一人当たりの生産高は13倍、
世界全体で約300倍に激増した。

なぜ過去においてテクノロジー失業は
大量失業に結びつかなかったのか。

確かに機械は、一部の作業をこなすという点で、
人間の座を奪った。

しかし、機械は、それまで
オートメーション化されていなかった作業に
投じる労力を補完し、むしろ、
その仕事に就く人間の需要を
増やしてもいたのだ。

■スキルと収入

20世紀後半のほぼ大半において、
技術進歩で最大の便益を受ける労働者と言えば、
正規の学校教育を長年受けてきた者だった。

だが、それ以前の時代は様相がまったく違っていた。

1220年には大学を出た者などほぼ皆無だったので、
このときのスキルプレミアムは
手工業職人の賃金と肉体労働者の賃金で
計算されている。

1220年から2000年までのスキルプレミアムは、
20世紀後半の実質賃金の変遷を示した図と
同じ右肩上がりにはなっていない。

長期的視野で見えてくるのは、
技術進歩がどの労働者に恩恵をもたらすか、
それは時代によって違ってくるという点だ。

その時代において高スキルとされる労働者が、
必ずしも恩恵を受けるわけではない。

産業革命が進行していた時期のイギリスでは
新しい機械が職場に設置され、
新しい生産工程が導入されて、
それゆえに新しい作業をこなす必要が生じた。

この新しい作業を行なう担当として配置されるのは、
往々にして当時の基準で言うスキルを
もたない者たちだったのだ。

技術はスキル偏向ではなく、
「非スキル偏向」だったのである。

■ALM仮説(オーター・レヴィ・マーナン仮説)

そして今から10年ほど前に、技術と仕事について、
それまでとまったく違う切り口で考える論が浮上する。

MITの経済学者のチームの3人が開発した理論で、
「ALM仮説」と呼ばれる。

ALM仮説は二つの気づきにもとづいて組み立てられている。

1番目の気づきはシンプルだ。

一般的な見方と同じく「職業(ジョブ)」という点で
労働市場を見ることが、ミスリーディングなのである。

技術と仕事について明確に考えようとするならば、
ボトムアップで始めなければならない。

トップダウンで肩書から見るのではなく、
当事者が行なう具体的な作業から見ていくべきなのだ。

2番目の気づきは、もう少し抽象的だ。

スキルの高さより重要なのは、タスクの中身が、
経済学者が言うところの「定型」であるかどうかではないか。

仕事にはさまざまな作業があり、
「定型タスク」ならば機械でもしっかりこなせるが、
「非定型タスク」は機械には対応が難しいのではないか。

中賃金の職業で行なわれる活動の多くが「定型タスク」で、
低賃金と高賃金の人々はそうでなかったからだ。

■汎用人工知能がなくても、職は奪われる

AGI(汎用人工知能)がまだ実現していないから
オートメーション化も進行しないのかというと、
そういうわけでもない。

その結びつきは一般の想像よりもかなり弱いのだ。

たとえば一つの職業が10件の作業で
構成されている場合、
進歩したAIがそのジョブを人間から完全に奪う可能性は、
二通り考えられる。

一つは、10件のタスクすべてを自力でこなす
1個のAGIが作られるパターン。

もう一つは、10個の異なるANI(特化型人工知能)が発明され、
それぞれがタスクを一つずつ引き受けていくパターン。

人間のような能力をもった一つの機械が登場しなくても、
人間の仕事が全面的に奪われる可能性はある。

WORLD WITHOUT WORK―AI時代の新「大きな政府」論

「アルファ碁ゼロ」にしろ、「将棋AI」にしろ、
私たちを驚かせたのは、
定石とは異なる手を導き出して、
人間に勝利したことです。

人間が長いことルールに取り組んで、
導き出してきた成功則である定石を超えて、
思いつかない手を打ってきたのです。

そして、どういうロジックで、
そのような手が生み出されたのか、
私たちに説明されることはありません。

ブラックボックスです。

私たちは、魔法を生み出したようなものです。

ALM仮説については、今回初めて知りました。

とても興味深いです。

肩書きである職業の単位ではなく、
職業を構成する作業単位で考える。

そして、その作業が定型か非定型か、
形式知か暗黙知かということが
重要である。

しかしながら、実用主義のAIにとっては、
非定型で暗黙知であっても構わない、
という時代になっているわけです。

細かな手作業を機械化するよりも、
非定型のコンピュータ作業を機械化するほうが
ずっと簡単です。

とすると、次に職が奪われるのは、
低所得者層ではなく、高所得者層というのは、
十分考えられることです。

機械翻訳は、レベルが上がり、
日常レベルであれば、十分使えます。

芸術分野にもAIは進出しています。

絵を描く、作曲する、小説を書く、、、

歌を歌うのは、ボカロとしてすでにカテゴリーを得ています。
これは、AIというよりも合成ロボットですが、、、

ニュース記事の一部をAIがライティングしているのは
知っていましたが、いまや
AIコピーライティングもあるのですね。
無料で使えたりします。

人間しかできないと思われていた領域を
着々と侵食しています。

とても興味深い時代に私たちはいます。

あなたの仕事は、どんな作業で構成されていますか。

20220712 WORLD WITHOUT WORK―AI時代の新「大きな政府」論(1)vol.3467【最幸の人生の贈り方】

仕事が足りなくなる脅威

■「タスク浸食」

過去には人間がしていた作業に、
機械が一つ、また一つ対応するようになっていくという、
この全般的なトレンドを、「タスク浸食」と呼ぶ。

具体的な例を考えるために、
人間が仕事で活用する主な能力3つを
それぞれ見ていきたい。

身体能力、認知能力、そして感情能力だ。

現在、これらの領域のすべてに、
機械による侵犯の脅威が高まっている。

■変化のペースが異なる理由

機械がますます有能になっているとしても、
世界各地でその進歩が同じペースで
進んでいるわけではない。

ずれが生じる理由は大きく3つある。

●タスクが異なる

職業構造は経済圏によって大きく異なる。

●コストが異なる

機械でタスクをオートメーション化したほうが
効率的かどうか考えるにあたり、
ポイントとなるのは人間と比較した機械の生産性だけでなく、
人間と比較した機械のコストでもあるのだ。

たとえ機械のほうが著しく生産的だったとしても、
人件費が非常に安いなら、
その地域で高価な機械を使うのは割に合わない。

●規制と文化が異なる

■摩擦的テクノロジー失業

摩擦的失業とは、求人も求職もあるにもかかわらず、
条件が合致せずに雇用が埋まらないこと。

人間が行なう仕事はまだ存在するのだが、
その仕事に手を伸ばしても、
全員がつかめるわけではない。

労働市場の片隅で身動きがとれなくなり、
別の仕事に就くこともできなくなる。

そうなってしまう理由は3つある。

仕事の摩擦に3つの種類があるからだ。

スキルのミスマッチ、
アイデンティティのミスマッチ、
そして場所のミスマッチである。

■構造的テクノロジー失業

●弱まる補完力

タスク浸食が進み、機械がますます多くの作業を
引き受けるようになれば、
害のある代替力が強まっていくことに
疑いの余地はないと言っていい。

過去には補完力が3種類の効果を発揮して、
はじき出された労働者のために
需要を補充していた。

生産性向上効果、パイ拡大効果、パイ変容効果だ。

しかし、機械が絶え間なく進歩を続けることで、
将来には3つの効果がいずれも薄れていくと考えられる。

■テクノロジーと不平等

テクノロジー失業とは、
一部の人間が労働市場において人的資本として
価値をもたなくなった状態と言うことができるだろう──
誰も対価を払って
その人物のスキルや才能を使おうとしない状況だ。

世界で拡大している不平等は、
3つの特徴的なトレンドが進行している。

第1のトレンドは、人的資本における分配が
著しく不均等になっていること。

第2のトレンドとして、
人的資本は従来型資本と比べて、
大幅に価値が低くなっていること。

第3のトレンドとして、従来型資本のほうも、
ひどく不均等に分配されている。

その不平等はここ数十年でいっそう偏りが
顕著になっている。

分配の問題は目新しいものではない。

不平等はずっと人類と共にあった、そして、
不平等にどう対応するか、
人類はつねに意見が一致してこなかった。

WORLD WITHOUT WORK

どのようにタスクが侵食されているかという事例が
たくさん紹介されていました。

例えば、
世界における産業用ロボットの台数は着実に増加しており、
業界団体「国際ロボット連盟」の予想によれば、
2020年には稼働中の産業用ロボットが300万台を超え、
これは、2014年の2倍になります。

JPモルガンが、法人向け融資契約書の内容を
点検するシステムを開発したことで、
人間の弁護士たちが合計 36 万時間かけて行なう作業 が、
ほんの数秒で終わるようになりました。

教育でも「アダプティブ・ラーニング」や
「パーソナル・ラーニング」といったシステムで、
生徒の具体的なニーズに合わせた内容──
教材、教え方、学習速度──で、
まるでオックスフォード大学で受けるような
1対1の個人指導を提供されます。

あらゆる分野で、人間しかできないと思われていた仕事が
より効率的でより高品質に行われるということが
実際に起きているのです。

そして、新しい産業は、かつての同じ数の雇用を
生み出してはいません。

生産性の高い産業ほど、
人は少なくてもいいのです。

視点を変えてみれば、
日本の人口減というのは、
この動きに合っているのかもしれません。

若者に仕事を割り当てることができます。

元気な高齢者が若者の仕事を
奪わないほうが重要なのかもしれません。

改めて、年齢別の失業率の推移を調べてみました。

年齢階級別完全失業率(10歳階級)
https://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/timeseries/html/g0303_02.html

バブル崩壊とリーマンショック、コロナウイルス感染拡大の時に
失業率が跳ね上がっています。

改めて見ると、
コロナウイルス感染拡大の直前は、
失業率がどんどん下がっていて、
バブル期よりも回復していたのです。

なんとも残念なことですが、
コロナ禍が収まったあとに期待したいです。

そして、改めて、元気な高齢者の役割とはなんなのか、
考えていこうと思います。

あなたのまわりで、どんな仕事がシステムや機械で置き換わっていますか。

20220713 仕事が足りなくなる脅威_WORLD WITHOUT WORK(2)vol.3468【最幸の人生の贈り方】

教育とその限界

■教育とその限界

テクノロジー失業の脅威と対峙するにあたり、
仕事の未来について考える人々──
コメンテーターや経済学者、政治家や政策立案者──
が示す反応としては、さらなる教育が必要、
という意見が最も一般的だ。

この視点から言えば、目の前にある課題は、
究極的にはスキルの有無の問題だ。

しかし、時間の経過とともに
機械がいっそう有能になるにつれ、
教育が助けになる効果は薄れていくだろう。

■教育の限界

オートメーション化がもたらす
経済的脅威への対策としての教育の意義と、
その点での限界について焦点を絞って考察していきたい。

●スキルを習得できない

再訓練の難しさは摩擦的テクノロジー失業が
起きる理由の一つでもある。

人間が行なうべき仕事が存在していても、
その仕事をするスキルを持たない人間には、
どんなに望んでもその仕事には手が届かない。

多くの人々にとって、一部のスキルは、
天地がひっくり返っても習得不可能なのだ。

理由の一つは素質の違いだ。

スキルを習得できない二つめの理由として、
新しいことを学ぶには時間と労力がかかる。

人は、何であれ自分が持っている
才能や能力を開花させようと、
人生の大半をかけて努力する。

OECDは先日行なった国際成人力調査(PIAAC)の一環として、
世界各地の成人を対象に、
読み書き能力、計算能力、問題解決能力のレベルを調査した。

その結果は衝撃的だ。

「コンピューターは、この3種類のスキルのいずれも
再現できる状態に近づきつつある。

ところが、教育システムのおかげで
成人の大多数がこれらのスキルをコンピューターよりも
巧みに駆使できるという証拠は、一切見られない」
とレポートは報告している。

●需要の不足

構造的テクノロジー失業の問題を解決するという点でも、
教育は力不足となってしまうことだ。

学び直して臨むべき仕事の需要そのものが
充分にないとしたら、
世界トップレベルの教育も無用の長物に近い。

教育が構造的テクノロジー失業の問題を
解決する手助けにまったくならない、
というわけではない。

新しい技術が人間の生産性を高め、
人間の仕事に対する需要を増大させることと同じで、
教育も人間の仕事の需要を増やす後押しになる。

だが、時間の経過とともに、
教育に需要下支え効果を発揮させることが
難しくなっていくだろう。

●行き止まり

未来についての研究と執筆を始めた時点で、
僕にとって、そのテーマの中心は「仕事」だった。

今まさに働いて賃金を得ている人々にとって、
技術進歩が何を意味するか解明したいと思った。

僕たちは仕事の足りない世界へと向かっている。

この結論に達した時点で、
次なる課題が何であるかは明白だと僕は思っていた。

別の対策を考えるのだ。

仕事の足りない世界でも当てにできる対策を
見つけなくてはならない。

しかし、具体的にどんな対策があるか
想像をめぐらせてみると、
仕事の未来だけにフォーカスを置くのは
あまりにも視野が狭かったと気づかされた。

かわりに僕の心をつかんだのは、
もっと根本的な問いだ。

社会の経済的繁栄を、
僕たちはどう分かち合っていくべきなのか。

WORLD WITHOUT WORK

ある日、
「あなたの能力は、価値がありません。」
となる日が来るのか。

来るのかもしれません。

しかし、今日ではありません。

そして、それは、
「あなたの存在は、価値がありません。」
とは、まったく異なるものです。

同一視しないことは、とても大切だと考えます。

さて、文中のOECDのスキル調査が気になったので、
原文を探しました。
Stuart W. Elliott, ‘Computers and the Future of Skill Demand’,
OECD Educational Research and Innovation (2017), p.15.
https://read.oecd-ilibrary.org/education/computers-and-the-future-of-skill-demand_9789264284395-en#page15

結論から抜粋

PIAACのスキルが現在のコンピュータの性能と
変わらない労働者(大多数)の需要が減少する。

このことは、これらの労働者が
失業することを意味しないが、
多くの仕事において価値が低下するため、
ある場合には雇用が減少し、
ある場合には賃金が減少することになる。

標準的な政策対応としては、
労働者が新しいタイプの仕事に移行できるよう、
教育レベルの向上を勧めるかもしれない。

しかし、本研究は、
少なくともPIAACのスキルセットに関しては、
そのような対応は実行不可能であることを示唆している。

なぜなら、大多数の成人が、
PIAACの3つの技能分野において、
コンピューターが再現しそうなレベルよりも
優れた能力を発揮できるような
教育システムの例がないからである。

一部の教育システムは他より優れているが、
その差は、人口の大半がPIAACスキルに関して
コンピュータを追い越すのに十分なほど大きくない。

註1:この報告書では、コンピュータ、ロボット、
その他の情報通信技術を総称して
「コンピュータ」と呼んでいます。
註2. PIAACの問題解決スキル領域の正式名称は

「テクノロジーリッチ環境における問題解決」です。

Computers and the Future of Skill Demand’, OECD Educational Research and Innovation から、抜粋翻訳

PIAACの3つの技能分野とは、
読み書き能力、計算能力、問題解決能力です。

実際に、人間の能力としては、
自分自身の経験からも
劣化している可能性はあります。

今は、文章を書くことのほとんどは、
コンピュータかスマホで行っています。

私は、このメルマガで書いている文章を
手書きで書けるのでしょうか。

もしかしたら、漢字が書けなくなっている可能性はあります。
(怖くて、確かめる気にもなりませんが)

計算も暗算能力は、確実に衰えています。

大量の計算をやるのだったら、
Excelで計算式を書いてデータを貼り付けるほうが簡単だし、
集計も、集計機能かピボットテーブルを使えば、
日常の業務では事足ります。

そうこうしているうちに、
簡単な計算も自分の頭で行う機会が
減りました。

電卓やExcelと勝負しようという気はありません。

問題解決能力ってなんなのかしら?

以前は、新しい場所にいくときは、
複雑な鉄道路線図を読み解き、
分厚い時刻表を引きながら、
移動計画を立てたものです。

今は、Google mapで
出発地、到着地、出発時間か到着時間を入れれば
事足ります。

こちらも、能力劣化を起こしている可能性があります。

たくさん学んでいるようで、
実は能力は劣化している????

では、どんな教育をしたらいいんでしょう????

あなたは、社会にどのような教育システムが必要だと考えますか。

20220714 教育とその限界_WORLD WITHOUT WORK(3)vol.3469【最幸の人生の贈り方】

なぜ大きな政府が必要だと考えるか

■大きな政府

経済活動はどの程度まで政府の指揮下にあるべきか。

どの程度は、指示を受けない個人の意欲に委ね、
市場で自由な活動をさせるべきなのか。

20世紀において、
この問いは経済に関する議論の中でも、
最も意見の割れる議題だった。

市場派を代表する論客と言えば、
おそらく経済学者フリードリヒ・ハイエクだが、
ハイエクは中央計画経済のことを「隷属への道」だと考えた。

経済的破綻に至るだけでなく、
全体主義と専制政治に至る道である、と。

しかし正反対の意見を示す者も現れた。

ハイエクの弟子アバ・ラーナーもその一人だ。

ラーナーの著書『統制の経済学』は、
彼の人生を書いた伝記作家の表現を借りれば、
中央計画立案者の「ユーザー・マニュアル」だった。

かつて中央計画経済の推進者が試みて失敗したように、
パイを拡大するという目的で
国家が活躍すべきと考えているわけではない。

全員がパイの一切れを受け取れるようにするという目的で、
国家の力を活かすべきなのだ。

別の言い方をするならば、
ここで言う大きな政府は生産に対して
役割を担う存在ではない。

分配に対して役割を担う存在だ。

■大きな政府に求められる二つの役割

大きな政府に求められる主な役割を二つ考えていきたい。

一つは、金銭的価値のある資本と所得を
まだ持っている者に対し、
大幅な課税をしていくこと。

もう一つは、そうして調達したお金を、
持たざる者の手に分配する最善の方法を特定することだ。

■条件付きベーシックインカム(CBI:ConditionalBasicIncome)

テクノロジー失業への対処として必要なのは、
僕が「条件付きベーシックインカム
ConditionalBasicIncome」、
略してCBIと呼ぶ給付だ。

ベーシックインカムは
「ユニバーサル」〔普遍的、全員一律〕で
あらねばならないと主張する人々は、
たいてい二つの点を念頭に置いて、
そう発言している。

一つは、給付が希望者全員に行き渡ること。

そしてもう一つは、
受給に何らかの条件を課さないことだ。

僕が提案するCBIは、どちらの点においても
UBIとは異なる。

仕事の足りない世界では、
コミュニティに誰を含め誰を含めないかという問いは
避けて通れないのだ。

UBI支持派が「ユニバーサル」と言うときの第2の意味は、
受給資格に条件を付けないという点だ。

働き口が全員にあるという仮定のもとでなら、
働くように背中を押すのは筋が通っているが、
もはやその仮定自体が成り立たない。

仕事の足りない世界で
基本所得給付に条件をつけるべき理由、
つまりUBIではなくCBIとすべき理由は、
それとは別のところにある。

主眼を置くのは労働市場を支えることではない。

コミュニティを支えることだ。

仕事の足りない世界は深く分断された世界になる。

仕事で貢献することができない場合は、
コミュニティのために何か別なことをするよう義務づける。

金銭的な寄与ができないなら、
金銭ではない寄与を求める。

たとえば、学問や文化を通じた貢献。
仲間のためのケアやサポート。
未来ある子どもたちへの教育という支援。

WORLD WITHOUT WORK

私の認識では、UBIは、受給要件にしばりをいれず、
希望者全員に行き渡るので、
管理にそれほど手間がかからないので、
小さな政府で済むという理解でした。

しかし、分配するときに、
コミュニティに誰を入れるかが
重要な議論となるのなら、
避けて通れない課題といえます。

著者が提起しているのは、
コミュニティへの貢献です。

この視点も悪くはないのですが、
貢献したくでもできない人を
どう評価するのか、という議論も
必要ではないでしょうか。

事故や病気で動けなくなることは、
誰にでも起こりうることです。

その人たちをコミュニティに貢献しないからと
排除するのは、労働市場だけでよいのではないでしょうか。

では、フリーライダーと思われる人に
分配するのかどうか。

フリーライダーを寛容するかどうかが、
ベーシックインカムが成功するかどうかの
ポイントの一つだと考えます。

簡単な議論ではありません。

現に、私が人事担当の時に、悩んだ問題の一つが
これでした。

能力が低い、そして働くつもりもない社員を
どうやって扱うか。

コミッションで、たくさん働いているにも関わらず、
たまたま成果が出なくて、低い給与で我慢せざるを得ない社員と
初めから、働く気はなくて、でも給与だけもっていく社員。

前者の社員が、
「この給与だけではやっていけないので、
他の会社に移ります」
と語るのを、引き止めるすべもなく、
力不足を感じ、

後者の社員が、
有給病気休暇と有給病気休職を使い倒し、
数日間の期日だけを残し、復職し、
のらりくらりと成果を何も残さないまま、
会社に残り続けるのを、辞めさせることもできず、
力不足を感じ、

どうなんでしょう。

コミュニティでは、
それぞれが気持ちよく貢献し、
貢献できなくても気持ちよく存在できる、

というのは、実現できるのか、できないのか。

価値観を変える必要があると考えます。

自分の器も大きくする必要があります。

あなたは、資源を分配するときには、どのような条件が必要だと考えますか。

20220715 なぜ大きな政府が必要だと考えるか_WORLD WITHOUT WORK(4)vol.3470【最幸の人生の贈り方】

ビッグテックをどのようにとらえるか

■ビッグテックを警戒すべき政治的理由

技術進歩が続くにつれ、
僕たちが憂慮すべきは大企業がもつ
経済的支配力ではなく──
それらが甚大であることは確かだとしても──
彼らの政治的支配力となる。

新しいテクノロジーが売り出されれば、
人々が喜んで購入し、
個人的に使用するのかもしれないが、
そのテクノロジーの影響はじわじわと広がり、
政治的動物である人間のあり方を左右していく。

過去には、自由と民主主義と社会正義に関する
問いの答えを出すのは市民であり、
そして市民が代表として選ぶ政治家だった。

つまり、市民社会において共に生きる人間が、
それらの判断をしていたものだった。

しかし未来においては、
何らかの対策をとらない限り、
こうした判断はエンジニアの匙加減で
決まることが多くなる。

彼らの存在は可視化されない。

人間が共同体で営む生活の
どの部分が、どんな条件で、
新しいテクノロジーの影響によって
左右されていくのか。

問題は、現時点における僕たちが、
その判断をビッグテックに
ほぼ丸投げしていることだ。

大企業の経済的支配力には
厳しい制約を課すというのに、
政治という新たな領域に踏み込む
非経済的活動については、
大企業自身に自由に選択させている。

■「政治的支配力監視局」

必要なのは国有化ではなく、
新しい規制機関ではないか。

大企業の経済的支配力を規制する
競争当局と同じ存在で、
政治的支配力の抑制を行なう機関を立ち上げるのだ。

これを仮に「政治的支配力監視局」としたい。

この監視局の第1の任務は、
政治的支配力の誤用を明確かつ体系的な方法で
特定できるフレームワークを開発することだ。

この政治的支配力監視局には、
必要に応じて行使できるさまざまな権限をもたせる。

たとえば捜査権だ。

企業を監査し、その企業のテクノロジーを精査して、
政治的支配力が過剰もしくは乱用されていないか判断する。

それから透明性を要求する権力も必要だ。

さらに強い権限として、
監視局は企業に特定の行動を義務づける、
または制限する力をもつ。

重要な点として、この政治的支配力監視局は、
従来の競争当局とは別の機関でなくてはならない。

扱うのは政治の課題であって、
経済の課題ではないからだ。

WORLD WITHOUT WORK

ビッグテックが影響を与える例として、
あげられているのは、

自動運転車がこれ以上の時速は出せないと決定すること、

有権者が投票するにあたり、
その判断の根拠にする政治情報は、
ビッグテックのアルゴリズムが
個人の趣味嗜好にあわせて送り込んだ内容であること、

自分が提供を同意したこともない
個人情報データを理由に、
融資を断られる人、治療を受けられない人が
発生すること、

などです。

選挙に関していえば、
オバマ元大統領やトランプ前大統領の選挙キャンペーン、
ブレグジットの投票キャンペーンが
よく知られていることです。

さらには、就職の採用、刑務所、
保険リスクの算定など、
適用分野は広がるばかりです。

これを国策として行っているのが、
中国であり、あらゆるところで監視されています。

スマホの電源をONにしているだけで、
情報がとられていると、
意識しているようです。

さて、政治的支配力をどうやって監視するのか。

これも簡単なことではありません。

よかれと思った意図で始めたけれど、
結果的に悪い影響をもたらした。

悪意をもった意図での悪い影響。

無自覚な判断による悪い影響。

どれもが起こりうることです。

何をもって、「悪い」影響だとするのか。
何をもって、「悪意」とするのか。
そもそも、影響をもたらしたのは、
何が要因だったのか。

結局のところ、人間の倫理観や道徳観と、
政治的見方によって、決まってきます。

どんな倫理が正しいのか、
どんな政治的見方が正しいのか、
正解がないものです。

私たちは、どんな社会で生きていきたいのか。

ここに立ち戻っていきます。

あなたは、自分の見ている情報がどのように偏っているか、どうやって判断しますか。

20220716 ビッグテックをどのようにとらえるか_WORLD WITHOUT WORK(5)vol.3471【最幸の人生の贈り方】

生きる意味と生きる目的

■仕事がなくなるということ

仕事は単なる収入源ではなく、
人生の意味であり、目的であり、方向性でもある。

この観点から言えば、テクノロジー失業には
もう一つ別の側面がある。

人間から収入を奪うだけでなく、
人生の意義をも失わせるのだ。

人生に意味をもたらしていた大きな要素が消えたとき、
その意味は、どうやって見つければいいのだろうか。

■UBIへの反発

働く人々が失業者を非難する裏側で、
失業者のほうも、働く人々に対して憤懣を抱く。

近年のシリコンバレーで見られるUBIへの強い賛同に対し、
奇妙な反発が起きているのも、それが一因だ。

マーク・ザッカーバーグとイーロン・マスクは、
UBIへの支持を声高に主張している。

だが、彼らの熱意を嫌悪する声も大きい。

並みいる企業家たちが提示しているのは、
平たく言えば彼ら自身が一生懸命働き、
それ以外の人に無料でお金を配るという案なのだから、
仕事が単に所得を得る手段なのだとすれば、
そんなありがたい話に反発するというのは不可解だ。

だが、多くの人にとって、仕事とは
賃金を確保するだけのものではない。

そうした目で見れば、
途方もない額を稼ぐ人々が言うUBIの申し出は、
仕事を奪ったことに文句を言わせない口止め料か、賄賂か、
もしくは人生に意味をもたらす仕事を独占して
ほかの人間に与えないための策略にも感じられる。

■意味がなくなる仕事

狩猟採集民はきわめて骨の折れる労働で
暮らしていたというのが1960年代までの定説だったが、
最近の人類学研究では、彼らはおそらく
「驚くほどわずかな」労働しかしていなかったことが
わかっている。

狩猟採集民が、人生の目的と充足を
仕事で得ていたのだとしたら、
こんな結果が出るとは考えにくい。

彼らが人生の意味を探した場所は──
今も人間は意味を探しているが──
明らかに仕事以外の場所だった。

仕事というものの受け止め方も、
昔は今とは違っていた。

かつて、仕事とは意味を伴うものではなく、
たいていは軽蔑の対象だった。

「秩序の保たれた国家では職人を市民としない」
とプラトンは書いている。

アリストテレスも同様に、
「市民が職人や商人の暮らしをしてはならない。
そうした生は卑しく、美徳を汚す」と書いた。

人生の意味は閑暇のみから生じ得ると
アリストテレスは確信していた。

労働の目的はたった一つ、
ゆとりの時間を買うためだ。

産業革命時代の工場で疲労困憊して働く人々が、
深い充実感を抱いていたとは考えられない。

それはみじめで希望のない暮らしだった。

■仕事と意味との関係

そう考えると、仕事と意味との関係には
両極端な見方が存在すると言えるだろう。

一方では、仕事と意味には重要な結びつきがあり、
仕事とは社会における所得分配の手段であるだけでなく、
人生の意味を分かち合う手段でもあると見る人々がいる。

もう一方で反対の印象を抱く人々は、
仕事と意味の結びつきを疑い、
仕事に伴う不幸や失望を見るたびに、
その確信を強めている。

だが、仕事がなくなった人間は、
その後は具体的に何をしていけばいいのか。

■有償の仕事が足りない世界

僕はここまで「仕事の足りない世界」について語ってきた。

だが、厳密に言うならば、
それは有償の仕事が足りない世界だ。

生きるために賃金を稼がねばならないという制約が
取り除かれるのだから、言ってみれば、
何をしてもかまわないわけだ。

生きる目的のために行なうものなのだとしたら、
経済的視点で「効率性」を懸念することのほうが
間違いだ。

■無償の仕事と生きる意味

誰もが重要だと認識しているのに
値札がつかないものもあるし、
誰もが大切だと思っているのに
賃金が少ししか支払われない、
もしくはまったく支払われない仕事もある。

たとえばケアワークの大半は無償だ。

家事もほとんどが無償だ。

考えるべきは、単にどう生きられるかではない。

どのようによく生きるかだ。

本当に有意義に生きるとはどういうことなのか、
仕事の足りない世界において、
僕たちはその問いと対峙しなくてはならない。

WORLD WITHOUT WORK

私が独立するときに掲げて、
今も大切なミッションとしているのが、
「誰もがやりがいのある仕事で、
生涯現役で働き、
みんなが豊かで幸せになる社会を創る!」
です。

つまり、仕事をすることで、
だれもが豊かに幸せになると
考えていたからです。

が、その仕事自体が世界からなくなるとしたら、、、

これは今まで問いかけたことのない問いでした。

が、ライフワークとは、
収入が十分にあったとしても、
行うものと位置付けています。

これが著者のいう、「自分が選ぶ活動」にあたるものと
考えます。

となると、
「コミュニティから求められる活動」とは何なのか。

著者によると、以下のような活動が、
「コミュニティから求められる活動」として
挙げられています。

芸術活動や文化活動を追求すること、
すなわち
読書、執筆、美しい楽曲の制作、哲学的問いの探究など。

市民の役割、
すなわち、
政治にたずさわる、地方自治体に奉仕する、
社会のルールを代表して話し合うなど。

教育、家事、育児や介護も、
等しく重要なものとして認識されるようになる。
人生の意味を実感できる生き方をあの人にさせてあげたい、
試練や病気と立ち向かっているこの人を支えてあげたい。

より人間らしい社会を築けそうな気がします。

「自分が選ぶ活動」と「コミュニティから求められる活動」が
合致すれば、より幸せになるでしょう。

ちょうど、ケン・ウィルバーの『インテグラル心理学』を
まとめているところです。
https://forestofwisdom.net/integral-psycology/

人間がどのように意識発達していくかということを
まとめている本です。

社会と文化の進化でみると
https://forestofwisdom.net/integral-psycology/#toc5
私たちは、「ビジョン・ロジック」の時代にあると
考えてよいでしょう。

国民/国家という概念をもちながら、
地球的な視点でものごとを眺められるようになった
状態です。

これは、マズローの「自己実現欲求」の段階にあります。

では、この先になにがあるのか。

マズローでは、「自己超越欲求」になります。

感情という視点でみると、
全人類への愛を超えて、全生物種への愛や慈悲が
テーマになります。

同時に魂レベルでの交換が必要になるということです。

今いるレベルより上を想像することは
簡単ではありませんが、
他者を満足させることに価値を見出すという考え方自体を
超えていくのかもしれません。

すると、宗教に代わって、
人類の思想を支えてきた、貨幣と科学という概念を
超えるものが、重要になる可能性があります。

人類史を考えれば、
仕事が生き甲斐であるという概念は
必ずしも、長く支持されてきたものではありません。

世界をよりおもしろくすることができる時代に
私たちはいるのかもしれません。

あなたにとって、仕事はどういう存在ですか。

20220717 生きる意味と生きる目的_WORLD WITHOUT WORK(6)vol.3472【最幸の人生の贈り方】

この記事は、メルマガ記事から一部抜粋し、構成しています。

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