土の文明史

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土の文明史
Dirt: The Erosion of Civilizations

デイビッド・モントゴメリー(著), アン・ビクレー(著), 片岡夏実(翻訳)
築地書館 (2016/11/18)

デイビッド・モントゴメリー David R. Montgomery
ワシントン大学地形学教授。地形の発達、および地質学的プロセスが生態系と人間社会に及ぼす影響の研究で、国際的に認められた地質学者である。天才賞と呼ばれるマッカーサーフェローに2008年に選ばれる。

片岡夏実 かたおか・なつみ
1964 年神奈川県生まれ。

土から見た、文明史もとても興味深い内容でした。

これからの話は、『土・牛・微生物』のほうで、
詳しく読もうと思います。

化学肥料は、痩せた土地では、効果を発揮しますが、
肥えた土地では、効果をあげないだけでなく、
植物と微生物の関係を弱めることで、
土壌が痩せていってしまうようです。

土壌が痩せることで、表土が流出し、
作物が育たない土地が増えてしまう。

そんな歴史を私たちは繰り返してきたようです。

豊かな土が、私たちの健康な体も作ると考えます。

こういう転換点に私たちがいるとしたら、
なかなかおもしろい時代にいるのではないでしょうか。

ダーウィンのミミズ

■文明の歴史がたどるパターン

おおまかに行って、多くの文明の歴史は
共通の筋をたどっている。

最初、肥沃な谷床での農業によって人口が増え、
それがある点に達すると
傾斜地での耕作に頼るようになる。

植物が切り払われ、継続的に耕起することで
むき出しの土壌が雨と流水にさらされるようになると、
続いて地質学的な意味では
急速な斜面の土壌侵食が起きる。

その後の数世紀で農業はますます集約し、
そのために養分不足や土壌の喪失が発生すると、
収量が低下したり新しい土地が手に入らなくなって、
地域の住民を圧迫する。

やがて土壌劣化によって、
農業生産力が急増する人口を支えるには不十分となり、
文明全体が破綻へと向かう。

■ダーウィンのミミズ

チャールズ・ダーウィンの死去する一年前、
最後に刊行された本は、『ミミズと土』。

さまざまな場所でミミズの糞を集め、
重さを量るうちに、一年に一エーカーあたり
10〜20トンの土をミミズが
持ち上げていることにダーウィンは気づいた。

表土の形成にミミズが役目を果たしていることを
発見したのだ。

ミミズは枯葉を細かくするだけでなく、
小さな岩を砕いて鉱質土壌を変えていることにも
ダーウィンは気づいた。

ミミズの砂嚢を解剖すると、
必ずと言っていいほど小さな岩と砂粒が見つかった。

ダーウィンは、ミミズの胃の中の酸が
土壌中に見られるフミン酸と一致することを発見し、
ミミズの消化能力を、
長い間にきわめて堅い岩をも溶かす
植物の根の能力になぞらえた。

土を作るミミズの役割を認識したダーウィンは、
ミミズを自然の庭師と考えた。

広い芝の生えた平地を見るとき、
その美しさは平坦さからきているのだが、
その平坦さは主として、
すべてのでこぼこがミミズによって、
ゆっくりと水平にさせられたのだということを
思い起こさなければならない。

このような広い面積の表面にある表土の全部が、
ミミズのからだを数年ごとに通過し、
またこれからもいずれ通過するというのは、
考えてみれば驚くべきことである。

鋤は人類が発明したもののなかで、
もっとも古く、もっとも価値のあるものの一つである。

しかし実をいえば、
人類が出現するはるか以前から、
土地はミミズによってきちんと耕され、
現在でも耕されつづけているのだ。

このような下等な体制をもつ動物で、
世界の歴史の中でそんな重要な役割を果たしものが
他にいるかどうか疑うむきもあるだろう。

『ミミズと土』

■慣行農業と代替農法

目にも見えず気にも留めないが、
土壌中に棲む生物は農業の慣行に
大きく影響を受ける場合がある。

土を耕せば大型の土壌生物を殺し、
またミミズの数を減らすことがある。

農薬は微生物や微小動物相を根絶やしにする。

従来のような輪作の感覚が短い単作農業は、
有益な土壌生物相の多様性、発生量、活性を低下させ、
間接的に土壌伝播性のウィルス、病原体、害虫の
増殖を助長しうる。

一般に、いわゆる代替農法は土壌の肥沃度を
増進させる土壌生物をよりよく保つ傾向が高い。

土の文明史

ダーウィンの最後の著書が、
『ミミズと土』だったということを
はじめて知りました。

この本は、当時あまり話題にならなかったそうです。

私は読んだことがなかったので、
読もうかなと思ったときに、
amazonで、とても秀逸な書評を見つけましたので、
引用します。

『ミミズと土』

大西信行 ベスト500レビュアー

「個人的には「種の起源」より名著と思う」

この本を読むとダーウィンは天才だったとわかる。

ミミズを観察することから、
世界全体の土壌の多くはミミズが耕した結果という結論を出す。

この辺だけでも身震いがする程すごすぎるのだが、
当時はその内容に対してほとんど話題すら上らなかった様だ。

20世紀後半から環境問題が騒がれて、
デイビッド・モントゴメリー「 土の文明史 」、
「 土と内臓 (微生物がつくる世界) 」、
「 土・牛・微生物ー文明の衰退を食い止める土の話 」
という実に刺激的な著書で、
土壌を観察した新たな環境問題への警告と、
文明及び農業、栄養学の虚偽の告発をしている。

ダーウィンの考察が時代の先に行き過ぎただけだ。

21世紀に入った今でも、多くの人がミミズの力、
あと微生物の力を侮っている。

今後、農業でミミズも含めたバクテリアや
細菌、ウィルスの存在を軽視すれば
食料問題だけではなく、新たな気象問題すら
土壌をターゲットに入れなくて解決できない問題だと
判明するに違いない。

人間は数百年後のことなど全く考えてはおらず、
短絡的に環境を改変し続け、現代の人類が、
過去の人類による環境問題を先送りにしたツケを
今払わされていることに、多くの人が気づいていない。

確かに「種の起源」は歴史の流れを変えた本で、
今なおその激震で論争が絶えない。

しかし、この本の真価が判明するのに
あと100年はかかると思われる。

この手の本を読む為には、
ミミズのしていることは文明が繁栄すること、
衰退していくことの正に地盤(!)を支える存在だった
という観点が必要で、
世界史や文明史を地球レベルで考察しなければ、
ミミズの存在が実は人類の今後の存亡すら
握っていると考えて間違いない。

類書にエイミィ・スチュワート「 ミミズの話 」、
ジェリー・ミニッチ「 ミミズの博物誌 」等を
併せて読む必要がある。

特にこの後者の著書の「ミミズの生態圏」の世界分布図を見れば、
ジャレド・ダイヤモンド「 文明崩壊: 滅亡と存続の命運を分けるもの 」
「 銃・病原菌・鉄 1万3000年にわたる人類史の謎」、等の
面倒くさい調査から来る報告が馬鹿らしくなるに違いない。

私はユヴァル・ノア・ハラリ「 サピエンス全史 」で
この観点の追及がまるでされてないことを
批判したレビューを以前書いた。

ところで、最近の台風の被害の甚大化していること、
夏の熱帯化も、土壌の劣化が徐々に影響を与えているのではと
私は秘かに思っている。

微生物やミミズが草木や森林を増やす土壌を作って、
植物が繁殖して、二酸化炭素を吸収し、
酸素を増やしているという「見えない努力」を
多くの人が軽視している。

光合成がされることで、地球で酸素が増えたことで
気温が下がって、生物が地上で住める世界になったことを、
ポール・G・フォーコウスキー の
「 微生物が地球をつくった -生命40億年史の主人公- -」は述べている。

栗本慎一郎氏も、「 脳梗塞、糖尿病を救うミミズの酵素―
秘密は血管を浄化するミミズの酵素にあった! 」で
この本に言及している。

栗本さんは自ら脳梗塞で倒れたことを契機に、
ミミズの酵素から、血栓を溶かす酵素を色
々調べた上で健康食品を開発してしまった。

ダーウィンのこの著書のことを
「当時の学者連中の受けが非常に悪かった」と栗本さんは述べている。

土壌学、微生物学は今後宝の山であると断言していもいい。

文字通り「泥臭い」努力が必要になるが、
これからビジネスを始めたい方、
世界史の新たな「地政学」の視点として獲得したい方は、
刺激になるだろう。

すばらしい書評です

『ミミズと土』を注文しました!

さて、私はここ数年、ほとんど自宅で仕事が
完結することをいいことに、
プランターでの栽培を始めました。

初めは野菜を植えるつもりはなくて、
夏の暑さをしのぐために、
アサガオから始めたと思います。

アサガオは、ヒルガオ科サツマイモ属。

プランターなので、初めは土を買う必要があります。

そして、花が終わったころには、
土は痩せているので、また買い足すということを
やっていました。

そのうち、Youtubeで、
「土は捨てないで、土壌改良してね」
という動画を見つけたのです。

土壌改良、おもしろそう。

その方法は、季節が終わると、
主だった根をひっこぬいて、
土を乾燥させて、ふるいにかけ、
土壌改良剤を入れて、
黒いビニール袋に入れて、水を入れて、
発酵熱によって、殺菌したあとに、
新たに肥料を入れるという方法でした。

ふむふむ。

大概、プランターや植木鉢の土は、
根っこだらけになっていて、
土がほとんど残らないこともあります。

でも、まあ、ふるいにかけると
残る土もあります。

捨てるよりも、使えるなら使ったほうがいい。

そう思って、土壌改良剤を入れて、
黒いビニール袋に入れて、水を入れて、
放置しておく。

ところがどうも、発熱している感じがしない。

しょうがないので、そのまま冬越し。

面倒くさいので、この作業をやらないで、
放置していたプランターがあります。

すると、なんとなんと。

甲虫の幼虫がたくさんいて、
土を耕していて、ふかふかにしていました。

むむむ。

さらに、春先、黒いビニール袋を開けてみると、
そこからミミズが登場。

なんともいえない素晴らしい土が、
登場しました。

これはすごい。

このミミズの入ったプランターの野菜は、
すくすくと成長。

そして、野菜が終わったときに、
土を見てみると、ミミズによって、
きれいに根が分解しているプランターがありました。

さらにこの土は、ふかふかで、
ふるいにかけても残るものありません。

なんと、ミミズがいれば、
根を捨てる必要はなかったのか。

昨年から今年にかけての冬は、
全部の土を黒いビニール袋に入れ、
すべての袋に、ミミズを入れました。

春先開けてみると、すべての袋で、
ミミズが増殖しているではありませんか。

すごいぞ、ミミズ。

だから、今年の土は、
昨年夏のコンポストの肥料とミミズだけで
できた土です。

さてさて、昨年の秋の経験をふまえると、
ミミズのいる土は、
ふるうことも土壌改良剤も必要ないものでした。

もしや、黒いビニール袋は、もう必要ないのでは??
(市場にないので、たくさん買っちゃったけど、
他に用途はいくらでもあるからいいね)

ということは、あと必要なのは、
別の形での、炭素と窒素の循環かもしれません。

では、土を覆う植物を探してみよう。
<今、ココ>

これがうまくいくかは、来年の春わかります。

ミミズは、育てるのにコストもかからないばかりか、
私がやる作業を軽減し、私ができないレベルの質の土を
提供してくれる。

本当にすごい相棒だと思うのです。

あなたが最近、ミミズを見たのは、いつですか。

20220917 土の文明史_ダーウィンのミミズ(1)vol.3534【最幸の人生の贈り方】

メソポタミア・エジプト・中国・ギリシア・ローマ

■メソポタミア 

チグリス・ユーフラテス川に挟まれた
数百万エーカーの土地は、
いくつもの文明を続けて養った。

農耕が始まった山の斜面とは違い、
肥沃な氾濫原の土壌は切り開いて
作物を植えても流されなかった。

だが、メソポタミアの農地を潤す灌漑には、
隠れた危険があった。

半乾燥地帯の地下水は
通常多量の溶解塩を含んでいる。

半乾燥地で土壌への塩類の集積を防ぐには、
節度ある灌漑をするか、
定期的に農地を休耕する必要がある。

シュメールが栄えるにつれて、
増大する食糧需要のために
農地が休耕される期間は短くなっていった。

塩類が徐々に土地を汚染するにつれ、
農業が衰退していった。

時とともにコムギの割合が減り、
紀元前2000年ごろには、
コムギはもうメソポタミア南部では育たなかった。

収穫高は半減した。

紀元前1800年には収穫量は
当初の3分の1にまで低下し、
メソポタミア南部はバビロニア帝国の
貧しい片田舎に落ちぶれた。

■エジプト

ナイル川流域は、
文明は数十世代しか栄えないという
一般法則の大きな例外となっている。

エジプトの灌漑は、河道があふれて
谷間に洪水が広がるという自然のプロセスを
利用したものだった。

農地の灌漑に複雑な水路は必要なかった。

代わりに川の自然堤防に穴を開けて、
水を氾濫原の特定の場所に導いた。

年に一度の洪水のあと、
地下水面は谷床から3メートル以上低くなり、
塩類化の心配はなくなる。

メソポタミアの農民に起きたこととは対照的に、
エジプトのコムギの収穫は
時と共に増加した。

エジプトの農業は数千年にわたって
驚くほど生産力が高かった。

1964年、アスワン・ハイ・ダムが
建設された。

ナイル川がエチオピアから運んできた
1億3000万トンの泥が
ナセル湖の底に沈殿する。

肥沃なことで名高いナイル河谷が痩せ始めると、
農業生産は化学肥料で維持されるようになったが、
小規模農家にはそれを買う余裕がなかった。

現在、7000年間で初めて、
エジプトは、食糧の大部分を輸入している。

■中国

黄河には数千年来の洪水問題がある。

1922年、林学者のウォルター・ラウダーミルクは、
南京大学で中国における飢餓予防に携わる職に就いた。

黄河を遡り、中国北西部で、彼は
深いガリーに切り刻まれた光景を見た。

森林伐採だけでは壊滅的な侵食は起こらないことを
ラウダーミルクは確信した——
まず灌木が、そして樹木がまたすぐに生えてくるだけだ。

ところが農民が急斜面を耕作すると、
夏の豪雨の間、土壌が侵食されやすい状態に置かれる。

斧よりも鋤がその地方の運命を定めるのだと、
ラウダーミルクは述べる。

最初の住人が肥沃な土壌に一面覆われた森林景観に
住み着いた。

人口が増え、町が都市へと成長するにつれて、
森は切り開かれ、畑は肥沃な谷床から
急な谷の斜面へと拡がった。

山腹を上っていく新たに拓かれた農地から
表土が流出した。

やがて、放棄された畑で
ヤギやヒツジが放牧され、
残された土壌を斜面から引きはがした。

土壌侵食で農業生産性は大幅に低下し、
人々は餓死し、町を捨てて移住した。

■農耕文明の発展と衰退のルート

いずれの古代文明も斜面の耕作から始まり、
斜面の土壌が失われると、
農耕は下流の氾濫原に拡大した。

氾濫原の耕作で食糧が豊富に生産できるようになり、
文明は発展した。

農耕社会のもう一つの共通点は、
人口の大多数が不作に対する防御策を
ほとんど、あるいはまったく取らずに
収穫から収穫までを暮らしていたことだ。

歴史上、人口は農業生産と並行して増加してきた。

一般に豊作が人口規模を決めるので、
不作のときには窮乏が避けられない。

農耕時代の比較的最近まで、
この組み合わせが社会全体を
飢餓の瀬戸際に置いていた。

■古代ギリシア

古代ギリシア時代にほとんどすべての
景観が耕作されていた。

新石器時代の作物は
きわめて多様性に富んでいた。

ヒツジ、ヤギ、ウシ、ブタが、
集約的に耕作させる小さな混作農地に
飼われていた。

多様な小規模農家から
プランテーションへ段階的に移行し、
青銅器時代の後期には、
広い範囲が穀物栽培に特化した農園に
支配されていた。

土壌侵食が起こりやすい限界耕作地へと拡大するにつれ、
薄い岩がちな土壌でよく育つオリーブとブドウの評価が
高まった。

■ローマ

ローマ人は、自分たちの富の源泉が
土であることを理解していた。

彼らが母なる大地(mater terra)という言葉を作ったのだ。

かつてのギリシア人がそうであったように、
ローマの哲学者も、土壌侵食と地力の減少という
根本的問題に気づいたいた。

ローマの農学者たちは輪作の重要性に気づいていた。

農民は定期的に土地の一部を休耕し、
マメ科の作物か地元の土に合った被覆作物を栽培する。

疲弊を防ぐために厩肥が有効であることを認識していた。

何よりも、ローマの農学者は耕すことの
大切さを強調した。

毎年くり返し耕すことで、
空気を含んだ雑草の生えない苗床ができる。

そのように耕すたびに、ギリシアと同様、
ゆっくりと土壌を下方へ押しやり、
侵食を進行させた。

一人の農民の一生のうちには無視できるほどゆっくりと、
だが数世紀かけてわかるほどには速く。

歴史学者の間では、
ローマ帝国崩壊の原因を巡って論争が続き、
帝国の政策、外圧、環境悪化など、
さまざまな点が強調されている。

しかしローマは崩壊したというより
みずからを使い果たしたのだ。

ローマの衰亡の原因を土壌侵食だけに
もとめるのは短絡的過ぎるだろうが、
土地を劣化させて増大する人口を養うことのストレスは、
帝国の解体に一役買った。

ローマの農民ひとりを支えるのに必要な土地は、
ローマ建国の頃に市民一人ひとりに与えられた
小さな区画から、
ジュリアス・シーザーの時代には10倍にもなっていた。

■マヤ文明

マヤの人口は、紀元前600年の20万人以下から、
紀元300年には100万人以上に増加した。

500年後のマヤ文明絶頂期には、
人口は少なくとも300万人、もしかすると
600万人にも達していたかもしれない。

その後200年で人口は50万人以下に落ち込む。

マヤの農耕は焼き畑式農業として
知られる方法で始まった。

ジャングルの一区画を石斧で切り払い、焼いて、
トウモロコシやマメを植える。

2、3年は豊作を保証するが、
すぐに耕作できなくなり、
ジャングルに還るに任される。

人口密度が低い間は、焼き畑農業はうまくいった。

家畜がいなかったので、
土壌に養分を補う肥料は得られなかった。

マヤ文明が解体される紀元900年ごろの少し前に
土壌侵食はピークを迎えている。

■農業慣行が社会を衰退させるとは限らない

ニューメキシコとペルーにおける古代の農地の土と、
耕作されていない土との比較から、
農業慣行が原因で必ずしも社会が
衰退するわけではないことがわかる。

アメリカ南西部の典型的な先史時代の農業遺跡の土は、
紀元1100年から1150年にかけての
プエブロ文化の絶頂期に耕作され、その後放棄された。

耕作をやめてから8世紀が経っても、
天然の植生は劣化した土壌に再び植物群落は作らない。

一方、ペルーのコルカ渓谷では、
15世紀以上耕作させてきた古代の段々畑を
現代の農民が今でも利用している。

祖先と同様、彼らは土壌肥沃度を
間作、マメ科植物を含む輪作、休耕、堆肥と灰の使用によって
維持している。

彼らは地域に密着した詳細な土壌分類システムを持ち、
種まきの前に土を耕さない。

代わりにのみのような道具を使って
種を地面に押し込み、
極力土をかき回さないようにする。

ペルーの耕作された土壌には
ミミズが数多くおり、
炭素、窒素、リンの濃度が天然の土より高い。

土の文明史

一人の農民の一生のうちには無視できるほどゆっくりと、
だが数世紀かけてわかるほどには速く

土壌が侵食されるという言葉は、
なんとも印象的です。

エジプト文明の長期繁栄を支えてきた、
ナイル川の氾濫でしたが、
アスワン・ハイ・ダムの建設により、
エジプトが食糧輸入国に変わってしまったことも
なんとも皮肉な話です。

そのエジプトは、世界最大の小麦輸入国になっており、
その8割をロシアとウクライナから輸入しているとのことです。

功罪を判断するのは、なかなか難しいです。

古代ローマ時代に、土は耕すほうがいいとなり、
雑草は生えないけれど、土壌は侵食されるという結果を
招きました。

一方、長年続いているペルーの農法では、
種まきの前に土を耕さないようですね。

プランターでもミミズが育つ環境だったら、
耕さなくてもよいのかも。

あなたは、古代文明の盛衰から、何を学びますか。

20220918 メソポタミア・エジプト・中国・ギリシア・ローマ・マヤ_土の文明史(2)vol.3535【最幸の人生の贈り方】

世界的な表土の消失の歴史

■イベリア半島の農業

イベリア半島の農業はローマ人が耕作するまで
原始的なままだった。

ローマ滅亡の数世紀後、
ムーア人が集約的灌漑をスペインに導入した。

500年以上にわたるムーア式の農業は、
スペインの土壌をいっそう劣化させた。

15世紀になると、
スペインの侵食され疲弊した土壌を
耕している者たち誰もが、
新世界の肥沃な土をすばらしいものと思っていた。

数世代のうちに、スペインとポルトガルの農民が、
最初に中南米に渡った黄金を求める征服者と
入れ替わった。

■フランス

18世紀に農民がフランス・アルプスに隣接する
急傾斜地の伐採を始めると、
地滑りが引き起こされ、
土壌が奪われて谷底の畑は砂と砂利に埋まった。

18世紀末には、急傾斜地の森林破壊に伴う
土壌侵食の壊滅的な影響により、
アルプス各地人口が減少した。

コロンブスがアメリカ大陸を発見した時代から
フランス革命までの間に、
フランス・アウルプスの耕地は
3分の1から半分以上が侵食によって失われたと
推定している。

10年にわたって続いた飢餓は、
パリのホームレス人口を3倍にするとともに
革命の下地を作った。

フランス革命により、
貴族の広大な地所が解体されたことで、
農民はまだ森に覆われていた高台の土地を手に入れた。

急斜面の伐採が引き起こした土石流は、
丘を削って氾濫原の農地を土砂に埋めた。

1842年から1852年の間に、
低アルプス地方の耕地面積は
地滑りと土壌侵食による荒廃で
4分の1減少した。

■アイルランド

アメリカから1844〜45年に進入した
ジャガイモ疫病は、
アイルランドのジャガイモの収穫を壊滅させ、
翌年の作柄も不作となると、
貧しい者たちは文字通り食べるものがなくなった。

約100万人が飢餓やそれに伴う病気で死亡し、
100万人が飢饉の最中に移住した。

さらに300万人がその後の50年間に国を捨て、
多くはアメリカに向かった。

1900年にはアイルランドの人口は、
1840年代の半分を少し上回る程度だった。

なぜアイルランド人は、ほんの1世紀前に
南アメリカから持ち込まれたたった一種類の作物に
これほどまでに頼るようになったのだろうか?

ジャガイモが主食としての重要性を増す一方、
アイルランドの農業はそれ以外のあらゆるものを
イギリスとカリブ海の植民地に
輸出するようになっていっった。

1649年、オリバー・クロムウェルは、
ピューリタン革命で資金を提供した投機家たちに
土地で返済するために、
アイルランドを植民地化すべく
みずから軍を率いて侵攻した。

アイルランドの新しい地主は、
カリブ海の砂糖とタバコのプランテーションに
食糧を供給して儲ける機会を得た。

後に、イギリスの都市で工業化が進み
食糧需要が増加すると、
アイルランドからの輸出は
より近い市場に向けられた。

1800年までに、
市場に送られるアイルランドのウシの5分の4が、
イギリスで食卓に上がるようになっていた。

一番いい土地を商品作物に充てるために、
地主は小農をジャガイモ以外ほとんど栽培できない
限界耕作地へと追いやった。

1805年には、アイルランド人は
ほとんど肉を食べていなかった。

この国の牛肉、豚肉、青果はほとんどが
イギリスに送られてしまい、
貧しい者たちはジャガイモが不作になると
食べるものがなかった。

1848年には食糧暴動が
ヨーロッパを席巻した。

■アメリカ

1606年ジェームズ一世は、
バージニア会社に対して、北アメリカに
イギリスの植民地を置くことを許す
勅許状を与えた。

入植者は、儲けはもちろん、生き延びるために、
最初に絹を、それからガラスを作ろうとした。

木を伐採し、サッサフラス(薬用、香料用の木)を栽培し、
ビールの醸造まで試みた。

どれもうまくいかず、
ようやく最後にタバコが、
利益の大きな輸出品として植民地を支えてくれた。

1世紀とたたずに、
イギリスへの年間輸出額は
1万トン以上に急上昇した。

このタバコの栽培により、
深刻な土壌劣化と侵食が引き起こされ、
入植者さらに内陸へと押しやられることになる。

タバコ栽培が行われた土地は
肥沃度が長続きしないことが、
開拓地の急速な拡大を促した。

とりわけ南部では、
新しい土地がすぐに手に入るために、
農家は輪作や土壌再生のために
厩肥を用いることを軽視した。

新しい土地を不断に体に入れる必要性は
大農園の成立を促進した。

17世紀後半、供給過剰になったタバコ市場で
価格が低下すると、
小規模農家は廃業し、
大きな耕作地を整理統合する機会が訪れた。

2000年前のローマのように、
あるいは300年後のアマゾンのように、
放棄された自営農場は大農園主の手に渡った。

独立戦争後、ワシントンは目先の利益のみを追求する
同胞のやり方に対して軽蔑を隠さなかった。

ワシントンが農業の向上に関心を持ち始めたのは、
独立戦争の相当前である。

1760年には早くも、ワシントンは
マール(砕いた石灰岩)、厩肥、石膏を混ぜて肥料とし、
栽培した牧草、マメ、ソバを再び畑にすき込んでいた。

また厩肥を得るために家畜小屋を建て、
渋る農園管理人に、畜舎から出る排泄物を
畑にまくよう指示した。

輪作を実験し、最終的には穀類の間に
ジャガイモとクローバーなどの牧草を栽培する方式を
決定した。

トーマス・ジェファソンも、
アメリカ人が土地の生産力を
浪費していることを心配していた。

ワシントンが正しい農法への無知のせいにするところで、
ジェファソンは強欲を原因と見ていた。

「古い土地に肥料を与えるよりも安く
新しい土地が買えるからです」。

侵食の加速は植民地の土地利用のもので特にひどく、
問題は現在もなお深刻である。

アメリカ東部の森林地と農地の土砂流出から、
農地は今でも森林地の4倍の速さで
土壌を失っていることがわかる。

また、古代ギリシアやローマと同様、
沿岸の港が堆積物で埋まった。

半世紀にわたる上流の農業が、
多くの優良な港を干潟に変えてしまった。

1800年代初めのアメリカの農家は、
手で種をばらまき、
馬かラバが引く鋤のあとを歩くという
ローマ時代の農家に似た方法に頼っていた。

20世紀初頭、トラクターが馬とラバに代わった。

現代の農民は、巨大なトラクターで
1日に30ヘクタールを耕すことができる。

開けた平原はトラクターに理想的な場所となった。

常に植生に覆われ、数百万のバッファローが
草を食んでいたときには回復力を持っていたプレーリーも
すき起こされ長引く旱魃に乾ききると
粉々に崩れてしまった。

強風が巻き上げた砂塵は、
1934年ニューヨークを
1935年ワシントンを襲った。

1935年、農務省は、
荒廃し放棄された農地は2000万ヘクタールに上ると
推定された。

約4億ヘクタールの土地から
少なくとも4分の1の土壌が消えた。

■世界的な土壌侵食

20世紀後半、自然が作るよりも早く
土壌を失っていたのは、
米ソ2大国だけのことではなかった。

ヨーロッパでは侵食が土壌生成を
10倍から20倍上回った。

1980年代半ばにhあ、
オーストラリアの耕土のほぼ半分が
侵食で荒廃していた。

フィリピンとジャマイカの急斜面の土壌侵食は、
1年に約4センチの土が運び去られているのに
匹敵する。

トルコの半分は深刻な表土の侵食の影響を
受けている。

1973年の西アフリカの飢饉では
10万人以上が死亡し、
700万人が食糧援助に頼りきりになった。

発端は旱魃だったが、
危機の根は、地表を保護する植物を
広い範囲で取り去ったことが、
平年より雨の少ない期間が来たときに、
深刻な土壌侵食と人的な災害をもたらしたのだった。

1980年代半ばに旱魃によって起きた不作で、
1000万に近いエチオピア人が飢餓に陥った。

1930年代以来、森林伐採によって
エチオピアの森林被覆は当初のわずか3%となった。

土の文明史

アイルランド人がなぜ大量にアメリカに渡ったのか、
その歴史的背景を初めて知りました。

元はといえば、ピューリタン革命の借金を
返すための侵略から始まり、
新しい地主が儲けるために、
小農をジャガイモしか栽培できない土地に
追いやったということでした。

マルサス、マルクス、エンゲルスの議論も
また興味深いです。

マルサスは、飢饉や疫病なので、
人口増が抑えられる、
エンゲルスは、人口増とともに
労働力の増強と技術革新があるので、
人口増を支えられる、
マルクスは、商業的農業は
社会と土壌の両方を劣化させる、
と、それぞれ主張しています。

アメリカ人がなぜ西へ西へと開拓したのか、
土壌に肥料を与えるよりも、
新しい土地を開拓するほうが安かったからです。

しかし、そのツケは今も残っています。

自分の世代で良かれと思った価値観で行われたことが
次世代以降には、必ずしも良いことではない、
ということが歴史から読み取れます。

地球上には、私たちの新天地はないのですから、
前の価値観は、捨てるべき時ではないでしょうか。

アメリカの建国に貢献した
ワシントンとジェファソンは、
やはり先見の明があったようです。

土地の生産力の浪費を
ワシントンが正しい農法への無知のせいとし、
ジェファソンは強欲を原因と見ていました。

映画「インターステラー」を見ていたときに、
砂塵の嵐が襲う場面が出てきましたが、
あれは、1930年代に実際にあった風景だったのですね。

人間の強欲さが何をもたらすか、
私たちは歴史から学ぶことができるのでしょうか。

あなたが、「もっと」欲しいと思っているものは、なんですか。

20220919 世界的な表土の消失の歴史_土の文明史(3)vol.3536【最幸の人生の贈り方】

緑の革命がもたらしたもの

■ハーバーボッシュ法

20世紀初頭には、工業国は
国民に食糧を、兵器に弾薬を与えるために
ますます硝酸塩に頼るようになっていた。

1909年ドイツのフリッツ・ハーバーは
5時間持続して液体のアンモニアを製造することに
成功した。

化学者カール・ボッシュは、ハーバーの実験的な工程を
商業化し、1912年初めて工業用アンモニアが流れ出した。

第一次大戦後、他の国々がドイツの注目すべき
新しい硝酸塩製造法を採用した。

アンモニア工場の建設は、
第二次世界大戦の前夜に再び本腰を入れて始められた。

戦後、世界中の政府は突然不要になった軍需工場からの
アンモニアの市場を探したり育成したりした。

化学肥料使用量は、安価な硝酸塩が
豊富に供給されたおかげで急速に伸びた。

■化学肥料の重要性の高まり

先進工業国の農業生産は20世紀後半で
ほぼ倍増した。

この生産力向上の多くは化学肥料への依存が
増したことに由来する。

窒素肥料の需要増は、大部分が
増大する世界人口を養うために新しく開発された
多産種のコムギやコメの採用を反映していた。

新しい多産種の作物は、
1960年代にコムギとコメの収量を
飛躍的に高めた。

しかし、収量の増加にともない、
より集中的な化学肥料と農薬の使用が
必要となった。

1961年から1984年の間に
化学肥料の使用量は開発途上国で
10倍以上に増加した。

裕福な農民は反映したが、
多くの小農には革命に加わるゆとりがなかった。

緑の革命の作物は、
現在アジアで栽培されるイネの4分の3以上を占める。

■緑の革命とは何だったのか

1950年から1970年代前半の間に
全世界の穀物生産量は2倍近くになったが、
一人あたり穀物生産量は3分の1増えただけだった。

1980年の世界の穀物備蓄は
40日分に低下していた。

先進国では、近代的な食品流通ネットワークは通常、
流通経路に数日分の供給量しか常備していない。

1970年から1990年にかけて、
飢えた人々の総数は16パーセント減った。

最も多く減少したのは、中国で、
飢餓に苦しむ中国人の数は、
4億人以上から2億人未満へと
50パーセント以上減少した。

中国を除けば、飢えた人の数は
10パーセント以上増えている。

中国以外では農業生産の増加を
人口増加が上回っていた。

緑の革命が世界の飢餓を終わらせなかった
もう一つの重要な理由は、
最貧層の農民には買うゆとりのない
化学肥料の集約的な使用に、
収量の増加がかかっていたことである。

さらに不穏なのは、
緑の革命の新しい種子が、
第三世界の化学肥料と石油への依存度を
高めていることだ。

■有機農業運動

機械化が慣行農業を変貌させたのとほぼ時を同じくして、
近代的な有機農業運動がサー・アルバート・ハワードと
エドワード・フォークナーの思想を中心に
まとまり始めた。

まったく異なる背景を持つこの二人の紳士は、
同じ結論に至った。

土壌有機物を保つことが
集約度の高い農業を維持する鍵である、
ということだ。

ハワードは、大きな農業プランテーションに対応する規模で
堆肥を作る方法を開発し、
フォークナーは有機物の表層を残すために
耕さずに植え付ける方法を考案した。

ハワードの考えは、
「母なる地球は家畜なし耕作しようとは決してしない。
常に混作をする。
土壌を保ち侵食を防ぐため大いに骨を折る。
動植物性の廃物が混ざったものは
腐植土に変わる。
無駄なものはない。
成長と腐朽の過程は互いに釣り合っている」。

腐植の保全は持続的な農業の鍵である。

■不耕起栽培

長い間、鋤は世界中で農業の象徴であった。

しかし農民は鋤を捨て、
長い間拒まれてきた不耕起栽培法や、
影響の少ない保全耕うんを選ぶようになってきた。

保全耕うんとは、土壌表面の少なくとも30パーセントを
作物残さで覆っておく方法である。

1960年代にはアメリカの耕地は
ほとんどすべて耕起されていた。

2001年にはカナダの農場の
60パーセントにまでなっていた。

アメリカでは、2004年までに
保全耕うんは41パーセントで実行され、
不耕起農法は23パーセントで使用されていた。

不耕起栽培は土壌侵食を減少させるのに
非常に効果的だ。

しかも収穫高をほとんど、あるいは
まったく減らすことなく。

耕さないことで燃料消費量が半分に減らせ、
収量の低下を補って余りあるため、
結果的に収入は増える。

また土壌の質、有機物、生物相も
向上させる。

土壌生物相が復活するにつれて、
除草剤と殺虫剤を使用する必要は減る。

土の文明史

化学肥料は、痩せた土地では、効果を発揮しますが、
肥えた土地では、効果をあげないだけでなく、
植物と微生物の関係を弱めることで、
土壌が痩せていってしまうようです。

土壌が痩せることで、表土が流出し、
作物が育たない土地が増えてしまう。

そんな歴史を私たちは繰り返してきたようです。

石油や天然ガスといった、
地球の遠い過去の天然資源を使うことで、
現在の人口を養うのではなく、
現在の生態系を維持する中で、
人間を養うことが大切かと思います。

年によって違いはあると思うのですが、
今年のプランターのナスとミニトマトは、驚くほど、
害虫に悩まされることがほとんどなかったのです。

茎のまわりの地面に手作りの反射板を置くことで、
アブラムシは増えなかったし、
虫に食われた葉もあったけれど、
他の葉にひろがることはありませんでした。

ナスとトマト自身の防衛力が高まったのではないかと
推察しています。

もし、これが土との共生関係のおかげだとしたら、
収穫終了後、プランターの土を
ひっくり返す必要性はありません。

ということで、今年は、新たな土を守る活動を
やってみます。

昨年作ったコンポストがようやくなくなりかけているので、
また新たなコンポストの用意を始めました。

昨年は、コンポストに使用できる野菜ゴミを
すべて使ったら、1週間でコンポスト1台が
満杯になってしまったので、
今年は、分解しやすいものだけ厳選して、
コンポストを作ってみようと思います。

これが吉と出るか、凶と出るか、
やってみないとわかりません。

あなたは、土から見た文明史から、どんなことを学びましたか。

20220920 緑の革命がもたらしたもの_土の文明史(4)vol.3537【最幸の人生の贈り方】

この記事は、メルマガ記事から一部抜粋し、構成しています。

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