次なる100年―歴史の危機から学ぶこと

おすすめ書籍
この記事は約38分で読めます。

次なる100年―歴史の危機から学ぶこと
水野和夫(著)
東洋経済新報社 (2022/1/28)

水野和夫 みずの・かずお
法政大学法学部教授
1953年、愛知県生まれ。法政大学法学部教授(現代日本経済論)。博士(経済学)。早稲田大学政治経済学部卒業。埼玉大学大学院経済科学研究科博士課程修了。三菱UFJモルガン・スタンレー証券チーフエコノミストを経て、内閣府大臣官房審議官(経済財政分析担当)、内閣官房内閣審議官(国家戦略室)などを歴任。著書に『終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか』(日本経済新聞出版社)、『資本主義の終焉と歴史の危機』『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』(以上、集英社新書)など多数。

現在の歴史の転換点について、
中世の歴史の転換点と対比して、
行動原理の変化について提示しています。

また長期的な視点から利子を考察し、
ゼロ金利の意味づけについて、
肯定的にとらえる見方を教えてくれました。

そして、日本のこれからのあり方についても
示しています。

長期的が深い議論がなされ、
今の私たちに必要な良い本だと考えます。

はじめに

■ゼロ金利のメッセージ

近代を終わらせようというのが本書の主張である。

ゼロ金利がそのメッセージであるはずなのに、
それには政治家、日銀、財界人といったエリートたちは
まったく聞く耳をもたない。

現世は仮の姿で毎日同じ生活の繰り返しだった中世において、
真の豊かな世界は天国にあった。

13世紀になって利子が認められるようになると、
10年後に豊かな生活が待っていると
期待できるようになった。

ゼロ金利のメッセージは
10年先の豊かさを待つことなく、
すなわち我慢することなく
現在が最も豊かだということである。

13世紀に利子が8%ないし10%からスタートして
800年かけてついにゼロに到達した。

ゼロ金利がポスト近代、あるいは
ポスト資本主義の時代を告げるというのは、
10年先にもっとよくなるというのではなく、
現在が最も豊かで、10年後も同じだという意味で、
10年先に豊かになるために
貯蓄をする必要がないからである。

貯蓄の必要がなくなれば、
投資をこれ以上する必要がなく、
既存の資本で十分だとなり、
資本の自己増殖をめざす資本主義も必要なくなる。

ゼロ金利が日本、ドイツ、フランスで実現した。

これらの国においてもはや
「すべての人間を導く主である」私的な利益を
増やす必要はなくなった。

すなわち「より遠く、より速く、より合理的に」に基づいて
利潤を追求する行動に意味がなくなったのである。

過剰な資本を積み上げた21世紀の先進国では、
「より近く、よりゆっくり、より寛容に」が
ポストコロナ社会の行動原理となるであろう。

それがケインズのいう
「明日のことなど心配しない社会」を構築することに
つながるのである。

■資本の「蒐集」の終わり

本書の目的はゼロ金利の長期化が何を意味しているのか、
それを探求することにある。

本書の結論は単純化していえば、
ノア以来の「蒐集」によって
社会秩序を維持する歴史が終わったということである。

したがって、資本を「蒐集」するのに
最も効率的だった資本主義も
その役割を終えつつあるのであり、
資本主義という経済構造のうえに成り立っている
近代主権国家システムも風前の灯火である。

次なる100年―歴史の危機から学ぶこと

ゼロ金利とは、緊急事態ではなく、
たどりついた定常状態であり、
ゼロ金利そのものは、決して悪いものではない
という考え方は、私たちがもっていても
よいのではないかと考え、
この本を手にとりました。

そして、ゼロ金利は言い換えると、
より豊かな将来を描くのではなく、
現在を楽しみ、重視するということ。

その社会における行動原理は、
「よりゆっくり、より近く、より寛容に」
である。

資本を「蒐集」する時代は終わり、
今後は、自己の精神が対象となる。

そのときに欠かせないのは、
「古典」であり、「芸術」である。

こういう考え方がどこから生まれてきたのか、
この本を通して、学んでいこうと思います。

私自身の個人的人生設計は、
24年ずつに区切って、それぞれのテーマを
「学び」
「会社員・子育て」
「独立」
「社会貢献・芸術」
にしています。

現在は、雇用にとらわれない生き方を目指しつつ、
次のテーマの種を見つけ、
できれば芽を育てることも目指しています。

ちょうど私が取り組んでいるのが、
「易経」であり、
楽しみの一つが、芸術です。

そういう自分の人生の方向性と
何かつながりが見つかるといいなあと願いつつ、
この本を数回に分けて、メルマガでとりあげます。

あなたは、ゼロ金利について、どのようにとらえていますか。

20220829 次なる100年―歴史の危機から学ぶこと(1)vol.3515【最幸の人生の贈り方】

資本主義の始まりと終わり

■利子の公認

利子の公認は資本の概念誕生に不可欠だった。

「より遠く」に比例して利益は増大し、
それが資本の蓄積を可能にする。

資本蓄積に不可欠な「より遠く」は、
時間の概念を導入せざるをえなくなり、
利子が公認された。

中世社会においては時間は神の独占物だったので、
人間はその時間に利子をつけることが厳禁だった。

しかし、徴利を認めなければ、商人は交易ができず、
教会も必要なものが手に入らない。

アタリによれば、教会は
「福音書にかなった生き方──(略)質素で禁欲的な生活、
要するに(略)[節約、預金、蓄財]の生活──をして
教会と和解できる人々に金融による富の追求を認可した」
のである。

信者に節約(貯蓄)を薦めれば、
その代償として利子を容認せざるをえなくなる。

第三身分のなかでも身分が低い商人だけが
資本を追い求めていたのではない。

地上の最高位にあるローマ法王が
資本の増殖を実践していたし、
聖界の教会関係者だけでなく
世俗界の貴族も同様だった。

13世紀になると、あらゆる階層の人が
利潤追求に目覚めたのだった。

■「より遠く、より速く」「より合理的に」

レーリヒは「人間の住む世界の限界まで進出し、
そして、この周辺地域を、それぞれ経済的諸機能をもつ
一つの体系のなかに編みこもうとする衝動こそは、
まさしく、中世本来のもの」だったとしている。

この「より遠く、より速く」の「衝動」は
ついに21世紀になって「世界の限界まで進出し」た。

11世紀から21世紀の現在にいたるまで
資本を蒐集するという「衝動」は変わらないのである。

いやそれどころかその「衝動」は益々強まっている。

13世紀の「より遠く」に
16‐17世紀の「より合理的に」が加わることによって
資本の増殖スピードは大幅に加速した。

13世紀以来、資本を極大化する三つの行動原理が
同時に誕生したわけではない。

「より遠く、より速く、より合理的に」の
三つの行動原理のなかで、
資本を永続的に自己増殖させるのに最も重要なのは、
「より遠く」すなわち、「空間の広がり」である。

空間が無限でないかぎり、
すなわち「有限な空間」においては
「より速く」、「より合理的に」行動しても、
いつかは資本の自己増殖は止まってしまうからである。

■「成長の時代は終わっている」

大手マスメディアが「平成」の終わりに取り上げるのは、
成長するGAFAと停滞する日本企業の対比ばかりである。

ゼロ金利で「成長の時代は終わっている」にもかかわらず、
それを取り戻そうとして
日本政府はあらゆる政策を総動員しているが、
それはせいぜい「近代の秋」を延長することにしか
ならないのである。

それが無害であるならば、本書の意義はないが、
来たる21世紀の新しいシステムが仮にできたときに、
日本が近代=成長に拘泥して乗り遅れると、
栄華を極めたスペイン世界帝国がそうであったように
数世紀にわたって歴史の表舞台から消える運命が待っている。

そうならないようにと切に願って著したのが本書である。

次なる100年

ざっくりまとめてみます。

金利を公認することにより、
資本主義が始まった。

これは、「より遠く」を支えるために
必要なことだった。

そして、科学革命、産業革命が、
「より速く、より合理的に」を支えることで、
成長が加速した。

その結果、地球は征服しつくされ、
新たな無限空間として、
「電子・金融空間」が創設されたが、
それは生活水準の向上には結びついていない。

また、「同志愛」がなくなり、
「中産階級社会」が崩壊しつつある。

ゼロ金利は、例外状況ではなく、
常態化していて、これは「近代の秋」を迎えていることを
示している。

とてもわかりやすい見方ですね。

現在の地球の気候変動を見れば、
近代が持続可能ではないことを示しています。

価値観を大きく変えるべき時にあるという
著者の主張に大いに同意します。

今までは、「より遠く、より速く、より合理的に」が
美徳でしたが、そうではなくなるということです。

これはとても興味深いです。

昨日、読んでいた驚いたニュースの一つが、
会社を選択するときの理由として、
「会社での人間関係」は、優先順位を
大きく落としているという記事でした

地域コミュニティのかわりに、
人間関係を支えるコミュニティとして
機能していたのが、会社でしたが、
もはや、その働きを失っているということになります。

会社での人間関係の消滅は、
国民国家の崩壊(中産階級社会の消滅)とも
つながっているのかもしれません。

あなたにとって、どういう考え方が美徳ですか。

20220830 資本主義の始まりと終わり_次なる100年(2)vol.3516【最幸の人生の贈り方】

1970年以降現在に続く「歴史の危機」

■日本は欧米に先行している

日本で現在起きていることは特殊ではなく、
欧米に先行しているにすぎない。

ジャパナイゼーションというのは日本化ではなく、
日本は西欧化をめざした結果として
ゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレに
たどり着いたのである。

これは近代化の帰結であるが、
西欧人はそれを認めることはできない。

■人類史は「蒐集」の歴史(第一法則)

人類が文字を発明し文明化の道を歩んで以来、
人類史は「蒐集」の歴史(第一法則)であり、
「救済」(=貯蓄)の歴史である(第1節)。

貯蓄の増減を決めるのは利子率であるので、
「蒐集」の歴史とは金利の歴史でもある。

「蒐集」は必ず、「過剰・飽満・過多」に行き着く。

ゼロ金利は「蒐集」の必要がないという
市場のメッセージである。

●「近代成長教」

ケインズの予想より10年以上早く
ゼロ金利に到達した日本では
ケインズの心配したとおりの事態が起きている。

ケインズは次のように心配していた。

「しかし余暇の時代、豊かな時代を、
不安感を抱くことなしに期待できるというような
国もなければ国民もないと、私は考えている。

なぜなら、われわれはあまりに長いこと
楽しむようにではなく、懸命に努力するように
訓練されてきたからである」。

日本政府は働く人にはもっと生産性を、
企業にはもっと「稼ぐ力」をと躍起になっている。

成長さえすれば、現在の困難から脱却できると信じる
「近代成長教」に取りつかれている。

本来、ゼロ金利になった日本では
資本の希少性は解消されている。

これ以上、新規に資本を増やす必要はないのだから、
企業利益をこれ以上増やす必要はない。

企業利益が必要なのは、
新規の工場・店舗・オフィスビルなど資本、
あるいは生産力が不足しているときである。

日本ではデモが起きることはないが、
成長教に取りつかれ、
「異次元金融緩和」政策で
事実上円安政策をとっている日本は、
エンゲル係数が上昇し、
低所得者の生活が脅かされている。

食料品価格の高値による「非人間的な時代」が
21世紀において生じている。

そして、最も重要な共通点は、
「歴史の危機」において起きる二極化、
あるいは社会の分断である。

次なる100年

ざっくりまとめると、、、

資本主義は、資本を増やすことで発展してきた。

1970年以降、資本家は、蒐集の対象を
実物投資空間から電子・金融空間に移した。

これにより、利潤率と利子率が乖離するようになった。

グローバリゼーションにより
安価な人件費の国に工場を移転することで、
自国の中間層に犠牲を強いることで、
深い溝が造られた。

株価は上昇しても実質賃金は下落する。

米国の中間層を支えてきた
白人低学歴層に絶望死が増えている。

長期金利が1・0%以下の低金利を達成した、
日本やドイツ・フランスは絶望死が減っている。

日本では国民が心の豊かさやゆとりのある生活を
望んでいるにもかかわらず、
政府は「近代成長教」にとりつかれ、
政策はことごとく失敗していて、低所得者の生活が脅かされている。

昨日、こんなニュースを目にしました。

「神戸屋「包装パン事業撤退」示すパン業界の大変化
今後パン業界は「質か量か」の二極化が加速か」
https://toyokeizai.net/articles/-/614938

8月26日、神戸屋がスーパー・コンビニで売られる
包装パンの製造販売事業と、
同社子会社のデリカ食品の製造販売事業を
山崎製パンに譲渡することを決めたと発表し、
大きな反響を呼んでいる。

神戸屋は関西と首都圏を中心に、
各地でベーカリーチェーンの「神戸屋キッチン」、
ファミレスの「神戸屋レストラン」などの
飲食店ブランドを展開してきた。

今後はこうした、冷凍パン事業、および
フレッシュベーカリー・レストラン事業に専念するという。

一方、山崎製パンは買収後、当面の間、
従来通りのブランドのまま製造販売していくとしている。

(中略)

●大量生産から顧客規模縮小へ

包装パンは、企業の規模拡大志向を象徴する食品と言える。

大量生産を円滑に行い安定した高品質の製品を作るには、
さまざまなコストがかかる。

食品添加物の使用も、大量生産にはつきものである。

しかし、2000年代に食の不祥事が相次いだこともあって、
人々の食の安全性に対する視線はより厳しくなった。

パン以外の食品でも、
食品添加物の使用を避けるメーカーの傾向は近年強い。

40年来のグルメブームの影響もあり、人々の舌は肥えてきた。

特にパンブームの中で、
パンに求める水準が高くなった消費者も多いだろう。

パンの届け先を広げる大量生産の道を切り捨て、
より小規模な顧客層に向けてパンを提供していく

道を選んだ神戸屋の選択ははたして吉と出るだろうか。

私は、神戸屋の選択が、
成長から成熟へ向かう社会の中で、
正しい選択のように思えました。

大量生産に必要だったものが、
そうではなくなり、
より小規模な顧客層のニーズに応えることが
成熟社会で求められていることではないでしょうか。

私自身は、神戸屋のパンがスーパーからなくなるのは
残念ですが、神戸屋キッチンが残るなら、
それでよいと思います。
(今、小麦は食べていませんが)

こういう企業のあり方が、
これからの日本社会で求められるもので、
世界に広げるべきものかなと思うのですが、
いかがでしょうか。

あなたは、自分のまわりのものを増やしたいですか、まわりのものの質を良くしたいですか。

20220901 1970年以降現在に続く「歴史の危機」_次なる100年(3)vol.3518【最幸の人生の贈り方】

グローバリゼーションのねらい

■無限の成長と有限の地下資源

近代は持続性を欠き、かつ矛盾に満ちたシステムである。

無限の成長と永続的な資本の増加が
有限の地下資源に全面依存しているからである。

近代を成長の時代と捉えれば、
近代とは持続的に付加価値と資本を
成長させるシステムであって、
それは近代資本主義システムに他ならない(第1節)。

成長とは生産額(売上高)から
中間投入金額(仕入額)を控除した付加価値が
年々増加していくことをいう。

狭い空間に閉じ込められていた地中海世界から一変して、
コペルニクス革命と大航海時代によって
宇宙が無限となり、
「本質類似」(アナロギア・エンテイス)の思想によって
地球も「無限」と考えるようになった。

400年ものあいだ「より速く、より遠く、より合理的に」を
忠実に実践していけば、
地球という空間は究極的には「有限」となる。

グローバリゼーションはモノやヒトが
国境を超えて自由に移動するというのは建前にすぎない。

真の狙いは国境を自由に超えるおカネの移動を促し、
国や企業そして人を借金づけにすることで、
支配と被支配の関係を強化することにある(第2節)。

■グローバリゼーションと資本主義

「世界市場」を作り出すためのイデオロギーが
グローバリゼーションだ。

中世半ば以降のグローバリゼーション、
これに続く近代主権国家のインターナショナリゼーション、
そして1970年代半ばから再びグローバリゼーションへと
回帰している。

近代においては、「ヒトとモノ」が国境を超えて
自由に移動することで国家間の相互作用を強めていった。

20世紀末以降、モノやヒトとは比較にならないほどに
カネが国境を自由にかつ頻繁に超えて
「電子・金融空間」で高速回転するようになったのは、
「ヒトとモノ」が移動する「物理的空間」が狭くなって
そこでは資本が増えなくなったからである。

21世紀になって「電子・金融空間」で
高頻度取引(HFT)を駆使して資本を増やすのが
グローバリゼーションということになる。

■曲がり角のグローバリゼーションを猛スピードで直進する日本

2016年にトランプを米大統領に選んだ米国民は
もはやグローバリゼーションから距離を置き始めているのに、
日本では成長戦略の切り札はグローバル化である
とする見解が多数派である。

次なる100年

私が1989年に日本IBMに入社したとき、
IBMは、多国籍企業でした。

そして、在籍中にグローバル企業に
変わりました。

多国籍企業では、外資系といっても、
基本的に日本の会社です。

日本の営業方針、マーケティング方針、
組織編成で、会社が動いていきます。

米国本社に報告はありますが、
日本会社の社長が報告するという形です。

ところが、グローバル企業は異なります。

各事業部が、米国本社の各事業部に
報告をします。

事業部内での機能も、
国内で完結することはなく、
世界各地で最適化されたところに
機能が置かれます。

ある製品の開発部門は、カナダとイスラエル。
サポート部門はアメリカ。
現場対応は各国。

人事の給与は、フィリピン。
プロセス管理は、中国。

というように、それぞれの国で独立していた業務が
世界各国と連携することで
成り立つようになるのが、
グローバル企業です。

売上報告も、本国の上部組織に行うと同時に、
本社の上部組織に行うことになります。

ということで、昇給の原資も、
国内で分け合うだけでなく、
世界の事業部内で分け合うということが
行われていました。

他のグローバル企業で、
同じように行われているかは、知りません。

しかし、私自身の多国籍企業とグローバル企業の違いは、
ここに書いたように理解しています。

同じように、インターナショナリゼーションと
グローバリゼーションを考えるならば、
国家という存在が必要なのが、
インターナショナリゼーションで、
なくてもいいのが、
グローバリゼーションになります。

そして、歴史的には、
インターナショナリゼーションに先行して、
グローバリゼーションがあったと、
著者は書いています。

国は、人間がつくった概念にすぎない、
ということを改めて気づいた次第です。

もう一つ、私の誤解がありました。

高度成長というのは、
人口ボーナスが要因かと思っていましたが、
それだけでなく、
安価な化石燃料というのも、
必要要因だったのですね。

だから、現在またはこれから人口ボーナスを
迎える新興国が必ずしも、
高度成長するわけではないということです。

過去、日本で起きたような高度成長が
他でも同じように起きるかというと
そうではないということになります。

これは、私の頭の中を
書き換えておこうと思います。

あなたは、グローバル化について、どのような事象でとらえていますか。

20220902 グローバリゼーションのねらい_次なる100年(4)vol.3519【最幸の人生の贈り方】

帝国をめざすアメリカと支える日本

■米「帝国」化と日本の「異次元金融緩和」──
日本は米帝国へのマネー供給源

バブルは弾けさせるためにつくられる。

グローバリゼーションは米「帝国」化の先兵であり、
グローバリゼーションはバブルを生む。

世界中の過剰な貯蓄を「蒐集」することにより、
行き過ぎ(バブル化)が起きるからである。

バブルが弾けたときに債務が返済できなくなれば、
債務国(者)は債権国(者)の指導を受け入れざるをえない。

その結果、債権国の債務国への内政干渉が可能となり、
世界最大の債権国は帝国化の道を歩む。

バブルはグローバリゼーションによってつくられる。

グリーンスパンがいうように
「バブルは弾けて、初めてバブルだとわかる」
というのはあくまで建前であって、
本音は「バブルは弾けさせるために、つくられる」
のである。

米「帝国」化とその支配下にある
日本の「異次元金融緩和」は
コインの表(支配)と裏(被支配)の関係である。

21世紀の現在においても
米「帝国」化が未完であるかぎり、
日本の「異次元金融緩和」は続くことになる。

米国の「帝国」化は日本の過剰マネー、
すなわち資金余剰の存在なくして
完遂できないからである。

グローバリゼーションは
中産階級を一段と豊かにするとのイデオロギーが
刷り込まれているので、
貸付けと借入れが過剰となり、バブルが起きる。

バブルは弾けさせるために作られるのは、
債務国が返済不能に陥ったときに、
債権国(者)が債務国(者)に構造改革を強いるなど
内政干渉をすることが
正当化されるからである。

3年に一度バブルを引き起こすたびに、
帝国の完成に一歩ずつ近づく。

■日本の貯蓄が米国債を支える

米国が新規国債を発行できなくなるという懸念が
現実化する可能性は少ない。

同盟国の日本の貯蓄を
米国は利用できる仕組みを構築しているからである。

日本銀行が「異次元金融緩和政策」を維持しているかぎり、
米国の国債利回りが上昇する可能性は低いからである。

国債を外国人の購入に依存している国は
自国の金利も為替レートも債権者である外国人に
その決定権を握られているのであって、
自分たちで自国の運命を決められない。

■バブルとバブル崩壊

米国の所得収支黒字が急増し始めたのは1999年からである。

米所得収支が急増する過程で
「全世界の債権者」としての米国のパワーが増していった。

日本の所得収支黒字を抜いて
米国が世界最大の債権国となって
帝国化していくプロセスには
「投機の時代」が随伴するのは必然である。

帝国支配の手段がグローバル化によって
容易に起きる「投機」(バブル)、
そして弾けたあとの「ショック・ドクトリン」である。

投資、投機、賭博は一直線上にあって、境目はない。

「『事業』が『資産の利回りを
その資産の存続期間の全体にわたって予想する活動』
であるのに対して、
投機とは、『市場の心理を予想する活動』」である。

前者の『事業』、すなわち投資を行うための
借入や増資は将来の成長によって
利払いや配当が担保されているのに対して、
後者の投機に伴う債務は
将来の成長ではなく転売によって返済することを
前提としている。

だからバブルが弾ければ、
資産の大部分を投機に回していた人は
高値での転売ができず
高レバレッジで調達した膨大な債務だけが残る。

■日本と中国の国境

尖閣問題について鄧小平がいったように
次世代に任せるというのは、
国境線を永遠に確定させないという意味である。

ところが、日本の野田佳彦総理(在任2011年9月‐12年12月)は
2012年9月に尖閣諸島を国有化した。

帝国の本質を理解していない日本は
中国と新たな問題を抱え込むことになった。

日本の国有化直後から、
中国公船等による尖閣諸島周辺の
接続水域や領海に侵入する船が急増し、
現在もその傾向が続いている。

「葛藤が演じられる流動的な場」は
「サイバー空間」のみならず海上においてもそうである。

その具体的な場が日米同盟を結ぶ日本と中国が
お互いの領有権を主張する尖閣列島である。

辺境をつねに曖昧にしておくのが帝国であるから、
日本が尖閣列島を国有化して境界線を明確にすればするほど、
日中間で対立が激化する。

近代の産物ではない帝国に対して、
明確な国境線を求めると解決は遠のく。

■世界一を日本から奪還した米国

ヒト、モノ、カネが自由に国境を超えるプロセスが
グローバリゼーションであるとの宣伝が功を奏して、
米国は自国の貯蓄不足を日本の過剰な貯蓄で補い、
収益率の高い外国にその「はけ口」を求めて
投資することができた。

グローバリゼーションの名のもとに
米国が低利の米国債で資金調達をし、
高いリターンの期待できる外国企業に株主として、
あるいは直接投資して工場を建設できたのは、
米国と一体化した日本の過剰なマネーのおかげである。

その結果、米国は対外株式投資において高いリターンを得て、
20世紀末以降所得収支の黒字を急増させ、
2010年には世界一の座を日本から奪還した。

■中国の「過剰のはけ口」

中国も「過剰のはけ口」を求めているという点で
米国と同じだ。

中国は粗鋼生産に象徴されるように
過剰な生産力のはけ口をアジアに求めている。

中国が帝国をめざす理由はここにある。

米国がいうグローバリゼーションに相当するのが
「一帯一路」計画である。

この計画の狙いは、
利回りの低い米国債での運用を減らし、
アジア諸国への投融資を高めることにある。

その結果、中国は対外投資の収益率を
一段と高めることを狙っているが、
所得収支は大赤字が続き、
狙いどおりにはいっていない。

■日本の過剰マネー

日本をはじめとする過剰なマネーは米国に流入し、
米10年国債利回りを低下させ
NYダウを史上最高値に押し上げている。

米国が手にした過剰マネーの「はけ口」は
米企業による外国企業の買収に向かう。

次なる100年

日本がゼロ金利である限り、
それよりわずかに金利が高ければ、
日本の過剰マネーは米国債に流れます。

これが、貯蓄不足の米国を支えます。

中国は、利回りの低い米国債の運用を減らして、
アジア諸国への投融資を高めようとしています。

アフリカにもかなり投資していますね。

なるほど。

お金が増えすぎてしまって、
国内には投資対象が見つからず、
海外にお金が流れるという構図が、
あるということですね。

それが16世紀には、
オランダの投機バブルを
引き起こしたということです。

現在は、実体経済と乖離してしまったので、
定期的にバブル崩壊を引き起こさないと、
もうからないという構図になっているというのが
著者の見解です。

そして、危機のときには、円高になるというのが、
今までの通例でしたが、
今回の危機は、円安が進む一方です。

これが物価高を引き起こしていて、
日常に直接影響を与えています。

さて、米国債の海外の国別保有残高を調べてみました。
https://www.jetro.go.jp/biznews/2022/07/a03be8533690942b.html

米国財務省が7月18日に発表した証券投資統計によると、
5月の米国外投資家による米国債保有残高は
前月比340億ドル減の7兆4,216億ドルで、
3カ月連続の減少となった。

2022年に入ってからの連邦準備制度理事会(FRB)の
急激な金融引き締め姿勢によって金利は上昇し、
債券価格は下落しており、
これ以上の損失を回避しようとした
売り圧力の影響が続いている可能性がある。

1位の日本が1兆2,128億ドルだが、
2021年11月の1兆3,286億ドルからは
1,000億ドル以上減少しており、
2020年1月以来の低水準となった。

2位の中国は9,808億ドルで、
12年ぶりに1兆ドルを割り込んだ。

減少は6カ月連続で、
2021年11月の1兆808億ドルから
約1,000億ドル減少している。

中国については、長引く米中対立から
意図的に米国債保有を減らし、
金融分野の米国依存を低下させているという指摘もある。

今後、金利が上がると見た投資家が
売ったようですね。

一方で、世界的な景気後退も予想され、
一部の投資家は債券買いに転じているそうです。

売る人、買う人がいるので、
市場が成り立っているわけです。

米国債の保有者のアメリカ国内の内訳を
探したのですが、見つけられませんでした。

US TREASURY bond holdersのキーワードでは、
海外のデータばかり。

10年前のデータで、海外は全体の47%という資料を
見つけましたが、古いですよね。。。

私の検索力、弱い、、、

もし、読者の方で、アメリカ国内も含めた
米国債の保有者の割合を見つけられたら、
教えてくださいませ。

できれば、推移も知りたいです。

ついでに、日本国債の保有者内訳も調査。
https://www.mof.go.jp/jgbs/reference/appendix/breakdown.pdf

日本の国債の海外債権の割合は、7.6%。

基本的には日本人が支えています。

ただし、国庫短期証券は、55%が海外。

国庫短期証券って、なに?

「国庫の一般会計や特別会計の
一時的な資金不足を補うためや、
国債の償還に伴う借り換えのために
発行される割引債のこと。
期間は2カ月、3カ月、6カ月、1年の4種類で、
公募入札方式で発行されますが、
入札資格は金融機関に限定されています。」

そして、国庫短期証券を買っている、
海外投資家は、どこの国?

これも検索できず。

わかる読者の方は、教えてくださいませ。

日本の金融政策と労働施策が
アメリカの帝国化を支えているということは
わかりました。

あなたの金融資産は、どこにどれくらい保有され、実際にどこにどれくらい投資されていますか。

20220903 帝国をめざすアメリカと支える日本_次なる100年(5)vol.3520【最幸の人生の贈り方】

過剰消費のアメリカを支える世界の構図

■過剰貯蓄と過剰消費

資本主義は中世においては異境の胡椒を求め、
近代になると中東の原油を独占したように
元来グローバルなのである。

すなわち、国籍を問わない資本(米国)は
他国の資本(日本)を借入(日本を筆頭に外国人の米国債購入)に
転換することによって資本を自己増殖させ、
その手段としてグローバリゼーションを利用した。

だから、資本を無限に「蒐集」しようとする側からすれば、
過剰貯蓄の国、具体的には日本やドイツの金利は
ゼロ、ないしマイナスが望ましい。

米国が「全世界の債権者」であるのは、
「利子率革命」と「ROE革命」のおかげだ。

■国債利回りがプラスである米国は「例外」

米国の「例外」は日本の「例外」によってのみ支えられる。

21世紀になって先進国のなかで
国債利回りがプラスである米国は「例外」である。

日独のマイナス金利はもはや「例外」ではない。

G5(主要先進5カ国)のなかで
フランス10年国債利回りが
日独に続いて2019年6月下旬以降
マイナスとなったからである。

10年国債利回りがマイナスになれば、
世界の過剰マネーは利回りがプラスである
償還期間のより長い20年国債、30年国債に
向かうことになる。

これらの動きは超長期国債の利回りを低下させ、
マイナス利回りの国債が増加している。

2020年に入ってこうした傾向は
先進国の多くに広がっている。

10年国債利回りがプラスの国の多くが、
1.0%以下へ低下し、ゼロに近づいている。

20年6月になると
「世界主要62カ国の12日時点の
10年債利回りを調べたところ、
48%に相当する30カ国が1%未満だった。

マイナスが10カ国、
0%台が20カ国という内訳だ。

昨年末に比べると米国やカナダなど6カ国増えた」。

しかも、1.0%以下の金利の国は
18年末から増加しているのだから、
20年はじめに世界中をパニックに陥れた
新型コロナショックが超低金利を招いているのではない。

先進国において魅力的な投資機会がないことを
反映しているのである。

■国際関係における米国の「例外」状況

《縦軸に対外資産・対外債務の黒字↑/赤字↓(債権国/債務国)
横軸に消費←/投資→
をとって、世界各国を4分類

第I象限の国:債権国、投資>消費
第II象限の国:債務国、投資>消費
第III象限の国:債務国、投資<消費
第IV象限の国:債権国、投資<消費》(朝日補足)

国際関係における米国の「例外」状況(第IV象限)は、
第I、II、III象限に位置する国、
すべてに支えられている。

第I象限の国(日本やドイツ)から「蒐集」した
低コストの資本を第IV象限の米国(ウォール街)が、
高利潤が期待できる第II(中国)、III象限(南米)の国に
投資する。

米国が第IV象限に止まっているということは、
米国民は自国の生産力(国内総生産、GDP)以上に
所得(国民総所得、GNI)が発生し
働いた以上に消費できるということを意味している。

すなわち実力以上の生活を享受することができる。

これが世界最大の所得収支黒字国、
すなわち米帝国のウォール街、シリコンバレー、ハリウッドに住む
一級市民(特権階級)の特権である。

その一方で、日本など米帝国の傘下にある国民は
消費を我慢して輸出能力を高めるために投資を増やす。

その結果労働時間が長時間化し、
生産力以下の生活しかできない。

もし米国がプラスの利回りギャップを維持できなくなれば、
米所得収支は赤字に転落し第III象限に位置することになる。

そのとき、米国は帝国の地位を失う。

「長い21世紀」の「利子率革命」は
{利潤インフレーション}と「株価インフレーション」を
もたらしたのである。

「長い16世紀」から18世紀にかけて
隆盛を誇ったオランダ、英国の東インド会社は
21世紀のGAFAであり、
1630年代のチューリップマニアは
21世紀の「ショック・ドクトリン」である。

次なる100年

各国の10年債の2022/9/3時点の利回りを確認してみました。
https://jp.investing.com/rates-bonds/world-government-bonds?maturity_from=180&maturity_to=180

日本 0.235
スイス 0.820
台湾 1.325
ドイツ 1.5065
フランス 2.131
タイ 2.454
中国 2.648
イギリス 2.9170
シンガポール 3.084
カナダ 3.116
アメリカ 3.195
オーストラリア 3.645
韓国 3.730
イタリア 3.796
ギリシャ 4.172
フィリピン 6.644
チリ 6.730
インド 7.232
メキシコ 9.293
ロシア 9.360
南アフリカ 10.325
ナイジェリア 12.822
ケニア 14.124
ウガンダ 15.295
エジプト 18.596

どうですかね?
見たところ、現在1%を切っているのは、日本とスイスだけのようです。

さて、
債権国か債務国か
投資(貯蓄)が多いか、消費が多いか
という軸で、著者が国を分類しているのが
とてもわかりやすいです。

書籍には図があるので、
図表3−6をご覧ください。

過剰にお金ができてしまった
第I象限の国(日本やドイツ)は、
アメリカに投資。

そこでお金を得たアメリカは、
利子率が高い債務国に投資して、
利ザヤを稼ぐ。

こうしてアメリカは、
実力以上に消費をする。

ということになっているようです。

なぜ、日本やドイツが、
生産しすぎたのか、消費をしないのか、
これはこの先の議論になると思うので、
まずは自分を振り返ってみることにしようかと思います。

健康であれば、人生で一番お金がかかるのは、
子育てと教育費かと思います。

これは、投資なのか、消費なのか。

いきなり、よくわかりません。。。

親から見ると、
子供から金銭的見返りを期待していないことを考えると
消費になるのでしょうか。

子どもからみると、???

具体例を考えると、意外に難しいです。

住宅ローンなどの残高が、金融資産を超えていれば、
債務国と同じ象限になりますね。

アメリカでは学費ローンが問題になっていますが、
こうなると社会人のスタートが
債務国と同じ扱いになります。

それなりの収入を得られる職につけないと
かなり苦しい人生になってしまいますね。

そして、アメリカで本当に苦しいのは、
学歴をもたない白人です。

となると、第IV象限で、
過剰消費の恩恵にあずかれるのは、
米国人すべてではありません。

これが分断と不安定をもたらしていることに
なります。

大局と個別を行き来しながら、
状況を理解することが大切ですね。

あなたの家計とビジネスは、黒字か赤字か、投資・貯蓄と消費のどちらが多いですか。

20220904 過剰消費のアメリカを支える世界の構図_次なる100年(6)vol.3521【最幸の人生の贈り方】

日本の労働時間の減らない理由

■自由時間

人間は自由時間を獲得して初めて豊かさを実感できる。

それには迂回生産手段としての資本が必要である。

資本は機械化によって迂回生産手段として機能し、
生産性を向上させるのであるから、
自由時間を生み出し、文明が栄える。

マルクスのいう自由時間とは
「精神的な創造と享受に向かう時間」である。

この自由時間があって初めて
「一民族が精神的に自由な民族となる」のであって、
自由時間がなければ文明は存在しないことになる。

本来ならば消費者の節約(消費を抑制し貯蓄すること)は
迂回生産手段としての投資を生み、
労働生産性が向上するので、
労働時間を節約するはずである。

日本の正社員の労働時間は一向に減らないのだから、
「真の経済」ではないことになる。

■日本とドイツの生産性

一人・時間当たりの実質GDPは
ドイツが日本を1・54倍上回っていることになる。

計算上、日本人の能力がドイツ人のそれに比べて
約2分の1しかないことになる。

そんなはずはなく、日本人は無駄な仕事を
5割していることになる。

■労働力人口率は過去最高

日本の労働力人口率は20‐69歳でみると、
80・6%(2019年)と過去最高である。

■過剰投資による供給力超過

日本の長期停滞は過剰貯蓄による需要不足ではなく、
過剰投資による供給力超過に原因がある。

■内部留保金の増加

利潤率からみれば企業は失われた20年を克服したどころか、
バブル期並みにまで回復したのである。

リーマンショック以降、大企業(資本金10億円以上の企業)は
利潤率の回復が著しい。

ROEが上昇すれば、内部留保金の増加率も高まる。

全規模・全産業の内部留保金は
1998年度以降2020年度にかけて
年率6・1%で増加した。

■過剰な利益と内部留保金

1999年度から2020年度までの22年間の
非金融法人企業の累計額を計算すると
「過剰」な当期純利益は154・7兆円となり、
これが企業に内部留保金として加算されている。

この154・7兆円は働く人と預金者の逸失利益である。

すなわち、企業からすれば、
本来働く人と預金者からの預り金なのである。

154・7兆円は従業員と預金者の企業に対する
「まさかの時の一時預かり金」の性格を有しているからであって、
株主のものではないのである。

そもそも、従業員に労働生産性の上昇を無視して賃下げを、
預金者に利潤率に比べて超低利息を強いたのは、
まさかの緊急事態に備えてのことだった。

本来は「負債の部」に「預かり金」として計上すべきところを、
「純資産の部」の利益剰余金に組み入れてしまったことに
ボタンの掛け違いが生じている。

企業経営者が1997‐98年の未曾有の金融危機において
「貸し渋り」や「貸し剝がし」に直面したことで、
手元流動性を厚くすることを迫られた。

そのためには、自己資本を充実させるしかない。

資本金10億円以上のいわゆる大企業にかぎって
同じように試算すると、
「まさかの時」に備えた内部留保金は122・8兆円となる。

この金額がいかに巨額であるかは、
2020年度の従業員給与(賞与も含む)が42・5兆円であるから、
その2・9倍に達していることでわかる。

およそ3年分の給与額を「まさかの時」のために備えたのである。

一方、中堅・中小企業の「まさかの時」に備えた
内部留保金は104・6兆円で、
年間の従業員給与(賞与を含む)の0・8倍である。

中小企業も今回のコロナ危機に対して、
およそ10カ月に備える、
いわゆる「救済」するだけの資金はある。

企業が存続の危機に陥ると、銀行は借入金の返済を求める。

自己資本を増大させ、
手元流動性(現金預金と短期有価証券)を厚くしようとする。

そのために当期純利益を人件費や利払い費を
不当に削減してまで増やそうとする。

いわば、1999年以降、
「まさかの時」に備える目的で蓄積していたのが、
内部留保金である。

コロナ禍のいまがその「まさかの時」であるから、
元々受け取るはずだった従業員と銀行(預金者)に
返還すべきなのである。

国民国家の危機なのだから、
従業員と預金者の一時預かり金は、
日本に住んでいるすべての人に還元すべきである。

A社の内部留保金はA社の従業員に返還すると考える必要はない。

日本に住んでいて困っている人に一律に返還するのが望ましい。

ただし、一律10万円の給付金に相当する12兆円が
2020年4‐6月期の家計の預金急増となったように、
余裕のある人では貯蓄に回るが、
生活に困窮している人には足りない。

そこで、就業者6692万人(21年6月)のうち、
自営業主・家族従業者674万人、
雇用者のうち非正規の職員・従業員(パート、アルバイトなど)2075万人、
そして失業者206万人の計2955万人を対象として、
「まさかの時」の一時預かり金145・5兆円を返還すると、
一人当たり492万円となる。

「越え難い溝」を修復するには、
まずは資本の部の内部留保金に計上している154・7兆円については
「一時預かり金」の性格を有するのだから、
負債であると認識すべきである。

そうであるならば、
企業の存続危機とは資本家だけの概念ではなく、
従業員と預金者が生命の危機と失業の危機に
直面しているのだから、全国民に返還しなければならない。

次に企業の存続危機とは「日本株式会社」の危機でもあるから、
新型コロナウイルス感染症防止対策で
政府の自粛要請に応じ売上が急減した飲食業や観光業、
そしてその仕入れ先などの救済に使うべきである。

次なる100年

量が行き渡らない市場で生産したものを売るのと、
すでに飽和している市場で生産したものを売るのでは、
まったく異なった考え方で考える必要があります。

日本の食品ロスが食糧援助量の2倍というのは、
明らかに供給過剰です。

それなのに、食に困っている人がいるというのは、
おかしな社会でもあります。

内部留保金を吐き出させて、
給付金の原資にするという著者の視点は、
興味深いです。

しかし、本来ならば、受け取るべき従業員と預金者は
納得しないでしょう。

後出しジャンケンと同じで、おかしな話です。

会社員時代、労働組合が、
内部留保金と本国送金を減らして、
賃金を増やすべきだと常に主張していました

内部留保金はどれくらいが適切なのか、
誰もが将来に不安をもっている限り、
正解は見つからず、増える一方でしょう。

そして、使うべきときをあらかじめ決めておかない限り、
使うべき時を判断することも難しいでしょう。

成長しなくなった社会で、
成長戦略ではなく、生存戦略をどのように考えるか、
考え方と価値観を変えるほうが先ではないかと考えます。

1日24時間という時間は上限があるし、
ヒトの体が消費できる量も上限があります。

私たちが生産しすぎることで、
環境を破壊してしまうならば、
生産しすぎることを見直すべきかと思います。

ずっと成長しつづけるべきだという考え方から
脱却することが必須だと思います。

易経では、一つずつの卦に、
必ず行き過ぎた場合、極まった場合について、
最後の爻に書かれています。

どんなことでも同じ状況が
ずっと続くことはないということを
教えてくれるのが、易経です。

あなたは、使わないまま捨てられるものをどのように生み出さないようにしていますか。

20220905 日本の労働時間の減らない理由_次なる100年(7)vol.3522【最幸の人生の贈り方】

21世紀の行動原理とは

■「毎日の生活を楽しむ」ことの世代間の乖離

個々人でみればばらつきはあるが、
平均的日本人をみれば「毎日の生活を楽しむ」ために
日本はこれ以上の物は必要がないくらいに
物質的には満ち足りている。

今後の生活において
「毎日の生活を充実させて楽しむ」と答える人の割合は
日本人全体でみれば多数であり、
20世紀までは年代別でみても同じ方向を向いていた。

ところが、21世紀に入って大きな乖離がみられ、
世代間で現在重視派と将来重視派に分断された。

経済的観点からみると、
ゼロ金利が「常態」である社会であるならば、
あらゆる世代が「毎日の生活を充実させて楽しむ」ように
しなければならない。

今後の生活見通しにおいて
世代間で開きがあってもそれが許容されるのは、
経済が持続的に成長しているときだけである。

ゼロ金利社会ではどの世代も
現在の生活を楽しむ権利があるのである。

■日本の事情

しかし、日本にはそれができない大きな事情がある。

日本と米国は経済的にみれば、
連結会社であるからである。

米国が親会社、あるいはホールディングスカンパニーで、
日本は子会社である。

日本人の消費支出を我慢している背後で
米国人は毎日を楽しんでいる。

■「足るを知る」

6割強の人は現在の生活に悩みや不安を抱えているが、
同時に現在の生活が充実していると答える人は
74・1%(2019年)にのぼっている。

20世紀と同じ程度に悩みがあっても2007年以降になると、
充実感が高いと答える人の割合が
8ポイントほど高くなったのである。

いわゆる「足るを知る」生活態度が
日本で定着しつつある可能性が高い。

人々は成長なくして現在の生活について
充実感を感じているのである。

2001年以降、現在の生活について
充実感を感じている人が増えると、
今後の生活について
「毎日の生活を充実させて楽しむ」(現在重視派)が
増えるようになった。

現在の生活が充実していれば、
今後の生活についても
現在重視派になるのは当然である。

日頃の生活のなかでどのようなときに
充実感を感じるかについて、
第1位は「家族団らんの時」(2019年、48・5%)で、
第2位が「ゆったりと休養している時」(同47・0%)、
第3位は「趣味やスポーツに熱中している時」(43・6%)、
第4位が「友人や知人と会合、雑談している時」(42・5%)、
第5位が「仕事にうちこんでいる時」(同29・6%)、である。

第1位は調査開始以来の1975年以来変わらないが、
大きな変化が1990年代に生じた。

現在、第2位から4位の項目が、
それまで第2位だった「仕事にうちこんでいる時」を
上回るようになった。

これらの項目の多くは消費のなかでも
サービス支出を増やすことになり、
人件費の増加に結びつくことになり、
財の増産のための物的生産力を増やす必要はない。

近代の「より速く」はもはや時代遅れの概念であり、
「よりゆっくり」が21世紀の趨勢である。

■SDGsの矛盾

2015年9月の国連サミットで
SDGs(持続可能な開発目標)が採択され、
元来、抜け目のない企業や資本家の本質を隠すために
「礼儀正しく」ふるまおうという運動であり、
18世紀の再来である。

17の目標が設定されており
貧困をなくし、飢餓をゼロ、すべての人に健康と福祉を、
など1~7までの目標は近代社会の目標でもある。

それを掲げているということは
4世紀たってもいまだ実現できていないことを
白状しているのだから、
近代社会の仕組みそのもの、
すなわち「成長がすべての怪我を治す」という思想を
根本的に見直さないかぎり実現できないのである。

ところが、8番になると「働きがいも経済成長も」、
9番には「産業と技術革新の基盤をつくろう」とあり、
SDGsの本音が顔を出す。

技術が自然を支配すれば、資本が過剰となるように、
資本の具体的姿の一つである機械も過剰となり、
自然を過剰に開発、いわゆる乱開発が起きる。

化石燃料は「より速く、より遠く」を実現するのに、
すなわち経済成長するのに、
最も合理的なエネルギーだったのである。

SDGsの目標に
13.「気候変動の具体的な対策を」、
14.「海の豊かさを守ろう」、
15.「陸の豊かさも守ろう」といいながら、
8.「働きがいも経済成長も」を目標に掲げ、
「経済を刺激し、かつ、環境に害を及ぼさない
質の高い仕事に人々が就ける条件を整備する」
というのは論理矛盾である。

そもそも仕事に質が高い、低いがあるのかどうかである。

■「より遠く」の終わり

私的な利益を追求するための行動原理は
「より速く、より遠く、より合理的に」だった。

ポスト資本主義社会の行動原理はこの正反対となって、
「より近く、よりゆっくり、より寛容に」となるであろう。

21世紀はじめにグローバル市場に
北アフリカが組み込まれたことで、
宇宙は別として地球上にはこれ以上遠くへ
物理的に行くことはできない。

■日本の誇り

日本の国や国民について、
誇りに思うことはどんなことか」(内閣府「社会意識に関する世論調査」)を尋ねると、
第1位は「治安のよさ」(56・4%)、以下、
「美しい自然」(52・3%)、
「長い歴史と伝統」(48・9%)、
「すぐれた文化や芸術」(47・6%)などの順となっている。

経済的繁栄を誇りに思っている人は
わずか10・1%である(いずれも2019年の数字)。

■「資本」か「芸術」の選択

社会の中心概念は「資本」か「芸術」の選択を
迫られるであろう。

日本は人類史上、前例のない立場にある。

ノアの方舟以来の「蒐集」の歴史を終わらせて、
土地、霊魂、資本など蓄積可能なものではないものを
21世紀の社会の中心概念に据えるプロセスに
いかに入るかが21世紀の日本の課題である。

「芸術は何よりも道徳的であり、あるいはむしろ、
すべての芸術が道徳である。

なぜならば、(略)芸術作品は直接に善にいたる手段だからである」。
(ドスタレール)

ケインズが1909年に著した論文「科学と芸術」について
次のように紹介している。

「芸術は、人間諸活動の序列において頂点を占めるものであり、
科学の上に、まして経済活動の上に立つものであった。

経済活動は、芸術と科学の僕の地位にある。

芸術作品の創造課程は、新智識の発見がもつ価値よりも
大きな本来的価値をもっている。

(略)金儲けや能力のことを別とすれば、
実業家よりも科学者に、
科学者よりも芸術家になりたくないような兄弟が
いるのだろうか」

芸術を経済活動の上に立たせることができる国は
ゼロ金利の国、すなわち日本、ドイツ、フランスだけである。

ドイツとフランスは「皇帝なき帝国」の建設に
精力を注ぐであろうから、
日本だけが可能な条件を満たしている。

あとは、日本の意思にかかっている。

精神のデフレを治し、こころを豊かにしてくれる芸術は、
人間のこころのなかに蓄積するので、
過剰になることはない。

資本が十二分に蓄積された21世紀に生きる人々は
中世の商人の初心を見習って
「地球はせまくとも、こころは広し」という心意気をもつことで
芸術を無限に楽しむことができるのである。

次なる100年

超高齢化人口減少、成長しない経済の
トップを走り続ける日本が、
世界のロールモデルとなるにはどうしたらよいか。

ずっと考え続けている問いの一つですが、
答えの一つが書かれているように思いました。

成長しない経済は、現在の成長前提の価値観でいえば、
失敗事例かもしれないですが、
もっと長い目で見れば、
成熟した経済であり、人類が求め続けてきたものという
見方もできるのかもしれません。

そして、日本の若い世代は、
実はそれを知っているのではないかとも思います。

モノを欲しがらないのは、
若い世代に特徴的です。

先日、日経ビジネスにこんな記事を見つけました。
「50代より働かないZ世代」の光と闇
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00209/

Z世代は、すでに新しい価値観をもっているのではないでしょうか。

そして、20歳以下の自殺率が増えているのは、
私たちの社会の価値観が若者が大切にしたい価値観と
そぐわないからという可能性もあります。

私は、生涯現役で働くことが、
社会貢献につながり、
個人の幸福にもつながるという仮説を
もっていましたが、
これはもしかして、成長前提の発想だったのでしょうか。

「誰もがやりがいのある仕事で、
生涯現役で働き、
みんなが豊かで幸せになる社会を創る!」

「やりがいのある仕事」という表現も正しいのかしら。

仕事そのものが激減していくならば、
仕事にこだわることが本当に正しいのでしょうか。

独立してから、ミッションのこの3行は、
細かい表現以外、手を入れたことはなかったのですが、
もう一度考えてみようと思いました。

経済至上ではなく、
芸術と自然を愛する日本ならば、
世界のロールモデルになるのではないでしょうか。

そんな仮説を立ててみたいと思います。

あなたは、若い世代の思考と行動から、何を学びますか。

20220906 21世紀の行動原理とは_次なる100年(8)vol.3523【最幸の人生の贈り方】

この記事は、メルマガ記事から一部抜粋し、構成しています。

タイトルとURLをコピーしました