31.沢山咸(たくざんかん) ䷞

易経
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沢山咸(たくざんかん) 感応、夫婦の道

序卦伝

有天地然後有萬物。有萬物然後有男女。有男女然後有夫婦。有夫婦然後有父子。有父子然後有君臣。有君臣然後有上下。有上下然後禮儀有所錯。
天地ありて然る後万物あり。万物ありて然る後男女あり。男女ありて然る後夫婦あり。夫婦ありて然る後父子あり。父子ありて然る後君臣あり。君臣ありて然る後上下あり。上下ありて然る後礼儀錯くところあり。
てんちありてしかるのちばんぶつあり。ばんぶつありてしかるのちだんじょあり。だんじょありてしかるのちふうふあり。ふうふありてしかるのちふしあり。ふしありてしかるのちくんしんあり。くんしんありてしかるのちじょうげあり。じょうげありてしかるのちれいぎおくところあり。

天地が存在して初めて万物が発生する。万物が発生してここに男女というものができる。男女ができてそこで夫婦という関係が成立する。夫婦があってそこで子どもができるので、父子、親子という関係ができる。親子という一種の上下関係ができて、然る後に君臣関係になる。君臣関係ができて、然る後身分の上下という秩序ができる。身分の上下があって然る後、礼儀というものがここに設けられる。

咸、亨。利貞。取女吉。

咸、亨。利貞。取女吉。
咸は、亨る。貞しきに利ろし。女を取るに吉。
かんは、とおる。ただしきによろし。じょをめとるにきち。

願いごとは通るであろう。ただし、動機の正しいことを条件とする。女を娶れば吉である。

彖曰、咸感也。柔上而剛下、二氣感應以相與、止而説、男下女。是以亨、利貞、取女吉也。天地感而萬物化生、聖人感人心、而天下和平。觀其所感、而天地萬物之情可見矣。
彖に曰く、咸は感なり。柔上にして剛下なり。二気感応して以て相与す。止まりて説び、男、女に下る。是を以て亨る。貞しきに利ろし。女を取るときは吉なり。天地感じて万物化生す。聖人、人心を感ぜしめて、天下和平す。其の感ずる所を観て、天地万物の情見るし。
たんにいわく、かんはかんなり。じゅうかみにしてごうしもなり。にきかんおうしてもってあいくみす。とどまりてよろこび、おとこ、じょにくだる。ここをもってとおる。ただしきによろし。じょをめとるときはきちなり。てんちかんじてばんぶつかせいす。せいじん、じんしんをかんぜしめて、てんかわへいす。そのかんずるところをみて、てんちばんぶつのじょうみるべし。

彖伝によると、咸は感と同じ意味である。上半分が柔、陰卦であり、下半分が剛、陽卦である。男女の陰陽二つの気が感応し合ってお互いに絡み合う形の卦である。その場に踏みとどまって喜び、男が恩にへりくだっている。ここにおいて、心が通い合う。志が正しい場合、利益があるであろう。女を娶れば吉である。天と地が感じ合ってこそ万物が発生する。聖人が人の心を感動させてこそ、天下は平和になる。なにがなにを感動させるかを見れば、天地・万物の実情は手に取るように知れるであろう。

象伝

象曰、山上有澤咸。君子以受人。
象に曰く、山の上に沢あるは咸なり。君子以て虚にして人を受く。
しょうにいわく、やまのうえにさわあるはかんなり。くんしもってきょにしてひとをうく。

山の上に沢があるのが咸という卦である。君子はこの卦にのっとって、虚心に人を受け入れる。

沢山咸

初六。咸其拇。

初六。咸其拇。
初六。其の拇に咸ず。
しょりく。そのおやゆびにかんず。

足の親指に感じることころがあってむずむずする——しかし、まだ歩み出すことはできない。ここはまだ動いてはいけない——。

象伝

象曰、咸其拇志在外也。
象に曰く、その拇に咸ずとは、志外に在るなり。
しょうにいわく、そのおやゆびにかんずとは、こころざしそとにあるなり。

初六は咸卦の一番下だから、身体の一番下、足の親指をもって象徴とする。初六は九四と「応」じている。初六の気持ちは、そちらの方に向かっており、足の親指がむずむず感じる。

六二。咸其腓。凶。居吉。

六二。咸其腓。凶。居吉。
六二。其の腓に咸ず。凶。居れば吉。
りくじ。そのこむらにかんず。きょう。おればきち。

足のこむらが感じてむずむずする。この爻が出れば結果は凶。しかし、自分の居場所にじっとしていれば吉。

象伝

象曰、雖凶居吉順不害也。
象に曰く、凶なりといえども、居れば吉なるは、順うときは害あらざるなり。
しょうにいわく、きょうなりといえども、おればきちなるは、したがうときはがいあらざるなり。

六二は「中正」の徳をもっており、その位置に安んじて居るかぎりは安全である。自分から動いては凶であるが、道にしたがって妄動しなければ害はない。

九三。咸其股。執其随。往吝。

九三。咸其股。執其随。往吝。
九三。其の股に咸ず。其の随うを執る。往けば吝。
きゅうさん。そのももにかんず。そのしたがうをとる。ゆけばりん。

股がむずむずする。主義として取る道は他者に従うこと。行動すれば恥ずべき結果が待っている。

象伝

象曰、咸其股亦不處也。志在隨人、所執下也。
象に曰く、その股に咸ず、また処らざるなり。志人に随うに在り、執るところ下きなり。
しょうにいわく、そのまたにかんず、またおらざるなり。こころざしひとにしたがうにあり、とるところひくきなり。

九三は、六二のうえ、股にあたる。下の二爻、すなわち足の親指とこむらと、ともに自分で動こうとするもの。股もそれに釣られて、じっとしておれない。九三は人のあとに随うことばかり考えているが、そのような主義は低劣といわねばならない。

九四。貞吉悔亡。憧憧往来、朋従爾思。

九四。貞吉悔亡。憧憧往来、朋従爾思。
九四。貞しければ吉にして悔亡ぶ。憧憧として往来すれば、朋爾の思いに従う。
きゅうし。ただしければきちにしてくいほろぶ。しょうしょうとしておうらいすれば、ともなんじのおもいにしたがう。

占う人の動機が正しければ、結果は吉であり、悔はなくなるであろう。しかし、おろおろとして行きつ戻りつすれば、仲間だけがそのあなたの思いに従うであろう。

象伝

象曰、貞吉悔亡未感害也。憧憧往來未光大也。
象に曰く、貞しければ吉にして悔亡ぶとは、いまだ害に感せざるなり。憧憧として往来するは、いまだ光大ならざるなり。
しょうにいわく、ただしければきちにしてくいほろぶとは、いまだがいにかんせざるなり。しょうしょうとしておうらいするは、いまだこうだいならざるなり。

九四は、九三の股の上、九五の背中の肉のしたである。そして三陽爻の真ん中にある。ちょうど心臓に相当する。九四は陽爻で陰位におる。すでに「不正」であり、正を持続することはできない。心を駄々しくして、その正しさが持続するならば吉となり、九四の立場としてあるべきはずの悔いも消滅するであろう。もし心定まらずうろうろと行きつ戻りつして、正を守りえず、私欲の対象にだけ感応していたのでは、広大な範囲の対象と感通することはできない。

九五。咸其脢。无悔。

九五。咸其脢。无悔。
九五。其の脢に咸ず。悔无し。
きゅうご。そのばいにかんず。くいなし。

背中の肉に感じるものがある。悔がない。

象伝

象曰、咸其志末也。
象に曰く、その脢に咸ず、志末なり。
しょうにいわく、そのせじしにかんず、こころざしすえなり。

九五は背中の肉に相当する。背中の肉は、心の命令にも外からの刺激にも感ずることがない。世間にそっぽを向けた処世態度は、安全ではあるが、他人を感動させることがないので、その志は末梢的といわざるをえない。

上六。咸其輔頬舌。

上六。咸其輔頬舌。
上六。其の輔頬舌に咸ず。
じょうりく。そのほきょうぜつにかんず。

顎の組み合わせの部分、頬、舌、そういうところに感動がある。

象伝

象曰、咸其輔頬舌滕口説也。
象に曰く、その輔頬舌に咸ずとは、口説を滕ぐるなり。
しょうにいわく、そのほきょうぜつにかんずとは、こうぜつをあぐるなり。

輔は上顎。上六は陰爻、小人であり女子である。輔頬舌に咸ずとは、しゃべりたくて、上あご、頬、舌をむずむず動かすさまをいう。口先だけの弁舌を、湧き出る水のように、勢いよくふるおうとしてである。

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