3.水雷屯(すいらいちゅん) ䷂

易経
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水雷屯(すいらいちゅん) 芽ばえ、盈ちる、生みの困難

序卦伝

盈天地之間者唯萬物。故受之以屯。屯者盈也。屯者物之始生也。
天地の間に盈つる者は唯だ万物なり。故にこれを受くるに屯を以てす。屯とは盈つるなり。屯とは物の始めて生ずるなり。
てんちのあいだにみつるものは、ただばんぶつなり。ゆえに、これをうくるにちゅんをもってす。ちゅんとはみつるなり。ちゅんとはもののはじめてしょうずるなり。

天地の間に満ち満ちるものは、万物である。そこで、天地を示す乾坤の後に、屯の卦を持ってきて受け止める。屯という字は満ちるという意味である。屯とは物が初めて生じる形でもある。

屯。元亨利貞。勿用有攸往。利建侯。

屯。元亨利貞。勿用有攸往。利建侯。
屯は、元いに亨る。貞しきに利ろし。往く攸あるに用いる勿れ。侯を建つるに利ろし。
ちゅんは、おおいにとおる。ただしきによろし。ゆくところあるにもちいるなかれ。こうをたつるによろし。

願いごとは大いに通る。正しい道を持続するのが良い。危険な時であるから、どこかへ行こうとしてはならない。諸侯を建てて自分の補佐とするのが良い。

屯。元亨利貞。」屯は進もうとするけれども、容易に進むことができず、行き悩むことである。しかしこれは、物事の始まり、大事業を始める時において、必ず、免れることのできぬことであり、かつこれがあるために物ができあがり、大事業が成就するのである。この行き悩むことがなければ、物はできあがらず、大事業は成就しない。それゆえに、屯難であって、容易に進むことができず、行き悩んでおるところに、元亨利貞の徳があるのである。初めの屯難によって、(元)物事が始まり、(亨)その物事は十分に盛んに伸び、(利)その物事が各々よろしく便利をするところを得、(貞)その物事が正しくて堅固なる位地に安定することができるのである。
勿用有攸往。」今は屯難であって、向こうに険阻なる障害物があるから、むやみに進んで行ってはならぬ。じっとして正しい道を守っておるべきである。
利建侯。」道徳才能あるものを立てて諸侯とするがよろしい。

彖曰、屯剛柔始交而難生、動乎険中。大亨貞、雷雨動満盈。天造草昧、宜建侯而不寧。
彖に曰く、屯は剛柔始めて交わりて難生ず。険中に動く。大いに亨りて貞なるは、雷雨の動き満盈すればなり。天造草昧、宜しく侯を建つべくして寧しとせず。
たんにいわく、ちゅんは、ごうじゅうはじめてまじわりてなんしょうず。けんちゅうにうごく。おおいにとおりてていなるは、らいうのうごきまんえいすればなり。てんぞうそうまい、よろしくきみをたつべくしてやすしとせず。

彖伝によると、屯の卦は陽気と陰気が始めて交わって、生みの困難が生じた状態である。危険の中に動く(上卦坎は落とし穴、険という意味、下卦震は雷で、動くという意味)。「願いごとは大いに通る。正しい道を持続するのが良い。」という判断の文句は、上半分が雲、下半分が雷で、雷と雲の動きが今や満ち満ちているからである。ちょうど宇宙が初めて創造されたような、時の動きがまだあわただしくて暗い状況では、諸侯を立てて自分の補助とするのが良い。安穏と構えていてはいけない。

彖伝によると、剛と柔、すなわち陽と陰が相交わり相接触して、いろいろ物事が生ずる。いろいろな物事が生ずるときは、必ず困難なることも起こってくる。険難なる中に動いておるのである。現在の情態では坎は雲であるけれども、後には陰陽和合し、雷と雨とが大いに起こり大いに動いて、天地の間に満ち満ちて、万物皆それによって生育される。この屯の卦の時の世の中の情態は、雑草が生え茂っておるがごとく、乱雑にして秩序なく、冥昧にして明らかでなく、はなはだ乱れておるのであるから、よろしく道徳才能ある人物を選んで、それを封じて諸侯として自分を補佐せしめ、天下を安定するよう務むべきであり、安心しておちついて休息していてはならぬである。

象伝

象曰、雲雷屯。君子以經綸。
象に曰く、雲雷は屯なり。君子以て経綸す。
しょうにいわく、うんらいはちゅんなり。くんしもってけいりんす。

象伝によると、雲と雷からなる卦が屯である。君子はこの卦にのっとって天下のことに秩序を付ける。

象伝によると、坎の卦の雲が雷の上にあって、まだ雨にならないのである。震の卦の雷は、坎の卦の雲のはるか下にあり、雷となって鳴り渡らないのである。君子は屯の卦の象、雲が高く雷の上にあり、まだ行き悩んでいて、雨となって地上に降ってこない情態をみて、天下のことを経綸し、天下の屯難を解き除くのである。それには、まず政治の大綱を定め、次に細目の及んで、考慮をめぐらして天下を治めるのである。

水雷屯

初九。磐桓。利居貞。利建侯。

初九。磐桓。利居貞。利建侯。
初九。磐桓たり。貞に居るに利ろし。侯を建つるに利ろし。
しょきゅう。ばんかんたり。ていにおるによろし。こうをたつるによろし。

躊躇して進めない。ひたすら正しい場所にじっとしているのがよろしい。助けになる諸侯を建てるがよろしい。

初九はこの卦の主爻であり、この卦も最も重要なる爻であり、この爻が屯難を解決するのである。この初九は磐桓と、大きい岩のごとく、大きい柱のごとく、どっしりとして動かず、正しい道を守って、みだりに動かない。そうして道徳才能を養い、また力を養っておる。かようなる人は、建てて諸侯に封じて、この人とともに天下の屯難を平らげるがよろしい。

初九は陽爻であるから、剛毅にして明らかなる徳を持っておる。陽爻をもって陽の位におるので、位は正しく、志は正しい。初九は、陽剛にして聡明であり、かつ正しい道を守っておる偉大なる人物であり、天下の屯難を平らげるべき人であるけれども、まだ身分は卑しいのであり、この天下の屯難なる時にあたって、軽率に飛び出したところで、うまくことが成就するわけでない。

象伝

象曰、雖磐桓、志行正也。以貴下賤、大得民也。
象に曰く、磐桓といえども、志、正しきを行うなり。貴を以て賤に下る、大いに民を得るなり。

象伝によると、うろうろと躊躇してはいるけれど、その志は正義を行うことにある。初九は陽爻であるから、陰爻よりも賢い。しかし、陽爻でありながら、六二の陰爻にへりくだっている。そのことは結果的に民の心を獲得することになる。

初九は、陽爻であり、剛強にして賢明であり、天下の屯難を平定すべき大力量のある人物であるが、今は、磐桓し、大きい石のごとく、大きい柱のごとく、じっとして動かず、天下の屯難を憂えないようにみえるけれども、動かないのが本意ではなく、その志は正しい道を行うと思うておるのである。初九の爻は、一つの陽爻が二つの陰爻の下にあるので、貴を以て賤に下るという。初九は陽剛にして貴い道徳才能を備えながら、陰柔にして賤しい人々に謙遜してへり下るのであり、それうえに大いに天下の人民の心を得るのである。

六二。屯如。邅如。乗馬斑如。匪寇婚媾。女子貞不字。十年乃字。 

六二。屯如。邅如。乗馬斑如。匪寇婚媾。女子貞不字。十年乃字。 
六二。屯如たり、邅如たり、馬に乗りて斑如たり。寇するに匪ず、婚媾せんとす。女子貞にして字せず、十年にしてすなわち字す。
りくじ。ちゅんじょたり、てんじょたり、うまにのりてはんじょたり。あだするにあらず、こんこうせんとす。じょしていにしてあざなせず、じゅうねんにしてすなわちあざなす。

行き悩み、堂々巡りし、馬に乗ることは乗っても、落馬して進めないであろう。仇する者がなければ結婚するであろう。この娘は貞節で、仇する男の子供を孕むことはない。十年経って始めて妊娠する。

六二は、屯難の時にあたって、進もうとしたけれども進むことができず、方向を変えて引き返してくる。馬に乗って進んで自分の正当なる応爻である九五の爻に向かって進もうとしたけれども、初九の爻に牽制され、それに曳かれて引き返して内に還ってしまう。初九の陽爻は、この六二の陰爻に対して、敵意を持っておるのではなく、全く親密に結合しようとするのであり、決して悪意はない。しかし六二は陰爻として中正の徳を持っておるので、初九に牽制されるけれども、ついに初九に従わず、辛抱強く正しい道を守っており、長い年月の後、屯難が解けるのを待って、自分の正しい応爻である九五と結合し、九五に従うのである。

六二は、陰爻をもって陰の位におり、位正しく志正しい。そうして下の卦の真ん中におり、中を得ておる。中正を得ておるけれども、陰爻であって、弱いのである。才能が乏しく、かつ力が弱い。

象伝

象曰、六二之難、乘剛也。十年乃字、反常也。
象に曰く、六二の難は、剛に乗ればなり。十年すなわち字するは、常に反ればなり。
しょうにいわく、りくじのなんは、ごうにのればなり。じゅうねんすなわちじするは、つねにかえればなり。

象伝によると、この六二の女性の難儀は、すぐ下に強い男がいるからである。十年の後にようやく子供を孕むというのは、十年経てば常の状態に返ることができるということである。[正しい相手は、九五]

六二が屯難であって、行き悩んでおるのは、この時が屯難である上に、陽爻なる初九の上に乗っておるからである。初九の陽爻は剛毅賢明にして大力量のある君子であり、それに引かれるので、自分の正当なる相手のところにゆくのがむずかしいのである。しかるに屯難の時代にあって、常の道に従うことが、容易にできなかったのであるが、十年にして天下の形勢が変化し、ついにこの正当なる相手と親密に結合することができたのであり、一定不変の常の道にかえったのである。

六三。即鹿无虞。惟入于林中。君子幾不如舎。往吝。

六三。即鹿无虞。惟入于林中。君子幾不如舎。往吝。 
六三。鹿に即くに虞无く、ただ林中に入る。君子は幾をみて舎むに如かず。往けば吝。
りくさん。しかにつくにぐなく、ただりんちゅうにいる。くんしきざしをみてやむにしかず。ゆけばりん。

鹿を追うのに道案内がいない。そのまま追いかければ、林の中に迷い込むのが落ちである。君子は難儀の兆しを見て、その鹿を放っておくにしくはない。あくまでも追って行けば、恥をかく。

六三は、才能もなく、道徳もなく、天下の屯難を救済しようという真心もなく、ただ自分の獲物利益を貪って、むやみに一人で進んで行くのである。君子たるものは、物事の機微をみて、早く進退を血私h、早くあきらめて、鹿など追っかけてゆくことをすてやめるのがよろしい。このまま進んで行くときは恥をかくことになるであろう。

六三は陰爻であるから、柔弱であり、才能道徳は乏しい。そうして位が正しくなく、すなわち心がけが正しくない。中を得ておらず、行きすぎておる、上にも引き立ててくれるものはなく、同僚にも自分の味方となるべきものはなく、孤立無援である。しかるに、震の卦の上の爻であり、動くことのはなはだしいものであって、軽挙妄動してむやみに進むのである。これではことがうまくゆくはずはない。いわんや屯難の際、行き悩みの時代には、なおさらうまく行くはずはない。

象伝

象曰、既鹿无虞、以從禽也。君子舍之往吝。窮也
象に曰く、鹿に即くに虞なきは、禽に従うを以てなり。君子これを舎む。往けば吝とは窮するなり。
しょうにいわく、しかにつくにぐなきは、えものにしたがうをもってなり。くんしこれをやむ。ゆけばりんとはきゅうするなり。

鹿を追いかけて獲ろうと思って、虞人の案内もなくして進んで行くのは、獲物に従って行くことである。君子はこれをすてて追いかけていくことを中止する。もしむやみに進んでいくときは、恥をかいて、困窮し、困ることになる。

六四。乗馬班如。求婚媾往吉。无不利。

六四。乗馬班如。求婚媾往吉。无不利。
六四。馬に乗りて班如たり、婚媾を求めて往けば、吉にして利ろしからざる无し。
りくし。うまにのりてはんじょたり、こんこうをもとめてゆけば、きちにしてよろしからざるなし。

馬に乗ったものの落馬して進めない。結婚相手を求めているのだ。相手が見つかって、前進すれば吉。何事にも理がある。

馬に乗って出かけようとしたけれども、自分の力には及ばぬと思い、馬を引き返す。幸いにも自分の愛応じておる爻に初九の豪傑があるので、それと結婚することを求め、それといっしょになり共同して天下の屯難を救済しようとする。そうして往きて九五の天子を補佐して、天下の屯難を解決しようとする。そうするときは、吉であり、いかなる屯難をも克服し、いかなる場合にも利しからざることはないのである。

六四は、陰爻をもって陰の位におり、位は正しく、志は正しい。上の卦の下におり、中を得ておらず、控えめに過ぎる。陰爻であるので、柔弱であり、才能は多くない。けれども下の初九の豪傑と陰陽相応じ、相親しむことのできる位地におる。六四は上の九五の天子と陰陽相比し、相親しんでおり、大臣宰相という位地におる。

象伝

象曰、求而往、明也。
象に曰く、求めて往くは、明らかなるなり。
しょうにいわく、もとめてゆくは、あきらかなるなり。

六四が初九という配偶者を求め、進んでともどもに、この困難の時を乗り切るならば、吉であり、よろしからざるなし。それこそ賢明の態度だということ。

六四は、屯難を切り開きたい志を持っておるけれども、自分にはこれを処理するに足る能力を持っていないことを知って、初九の豪傑と協同して、心を合わせ力を合わせて、進んでゆくのは、自ら知りまた人を知るの明らかなる徳を持っておるのである。

九五。屯其膏。小貞吉。大貞凶。

九五。屯其膏。小貞吉。大貞凶。
九五。其の膏を屯らす。小貞なれば吉、大貞なれば凶。
きゅうご。そのあぶらをとどこおらす。しょうていなればきち、だいていなればきょう。

恩沢をとどめて降ろさない。少しずつ正せば吉。急激に正せば凶。

九五の天子の恩沢が屯難に遇うており、恩沢が行き悩んでおり、恩沢が行きわたらないのである。小さい事件ならば、あたりまえの正しい道を固く守っておるだけでよろしいが、大きい事件を処理するには、当たり前の正しい道を固く守っておるだけでは凶である。思い切った破格のことをも行わなければならぬ。

九五は天子の位である。この爻は、陽爻をもって陽の位におり、正しい位を得ておる。かつ上の卦の中央にあって、中の徳を持っておる。すなわち中と正との徳を備えておる陽爻である。けれども今は屯難の時であり、かつ周囲の境遇がよくない。上の卦は坎の卦であり、坎は陥るのである。この爻は、坎の卦の真ん中に陥っており、自由がきかないのである。下には相応じておる六二があるけれども、陰爻であり、柔弱にして、屯難を切り開く力はない。また六四の爻と陰陽相比し相親しんでおるけれども、これも陰爻であり、柔弱であり、屯難を解決するだけの力はない。上に上六があって陰陽相比しておるが、これも陰爻であり、かつ隠居のようなものであり、屯難を平定する相談相手とするに足らぬ。かつ下に大きい岩のごとく大きい柱のごとくじっとして動かない初九がおり、これが九五には連絡なく、六二も初九に引かれており、六四も初九に応じており、大いに天下の人望を得ておる。中正の徳を備えておる偉い天子でも、時代が良くない時には、急にどうすることもできないのである。

象伝

象曰、屯其膏。施未光也。
象に曰く、その膏を屯す。施しいまだ光いならざるなり。
しょうにいわく、そのあぶらをちゅんす。ほどこしいまだおおいならざるなり。

九五は陽剛の爻、「中」を得、「正」であり、最も尊い位にいる。しかし時は屯(=難)の時。下には六二が「応」として応援してくれるが、二は陰柔で、力弱く、何を救うに足りない。初九は最下層にあって民心を得て、民衆がこれについてしまった。九五は穴にはまりこんでいる。ほどこすべき恩沢を所有しながら、下に施すことをようしない。

九五の徳沢が行き悩んでおるというは、九五の徳沢を施すことがまだ光大に行きわたらないのである。

上六。乗馬班如。泣血漣如。

上六。乗馬班如。泣血漣如。
上六。馬に乗りて班如たり、泣血漣如たり。
じょうりく。うまにのりてはんじょたり。きゅうけつれんじょたり。

馬に乗ったものの、すぐ落馬して進めない。血の涙がはらはら流れる。

天下の屯難を救済したいと思う志がないのではなく、出かけていってこれを救済しようと思って、一旦馬に乗ってみたが、何分にも才能は乏しく、かつ応援するものもない情態であるので、馬をめぐらせて内に還ってしまい、そうして血の涙を流し、涙がとめどなく流れるのである。これではとうてい屯難を救済することはできない。

上六は陰爻をもって陰の位におり、位正しき爻であるが、上の坎の卦の一爻であり、かつあまりに高く上り過ぎておる。六三も陰爻で応じない。九五と陰陽相比しておるが、この比の力は強くない。

象伝

象曰、泣血漣如、何可長也。
象に曰く、泣血漣如たり、なんぞ長かるべけんや。
しょうにいわく、きゅうけつれんじょたり、なんぞながかるべかんや。

上爻は陰柔な性質でもって屯の窮極の時におる。下(六三)には応援がない。憂え懼れて血の涙がとめどなく流れる。こんな状態で、身の安全が長く続くわけがあろうか。

ただいたずらに悲嘆にくれておるばかりでは、とうてい長く続くことはできない。遠からずして滅亡するより外はないのである。

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