38.火沢睽(かたくけい) ䷥

易経
この記事は約6分で読めます。

火沢睽(かたくけい) そむきあう時

序卦伝

家道窮必乖。故受之以睽。睽者乖也。
家の道は窮まれば必ず乖く。故にこれを受くるに睽を以てす。睽とは乖なり。
いえのみちはきわまればかならずそむく。ゆえにこれをうくるにけいをもってす。けいとはかいなり。

家を治める道が行き詰まれば必ず背き合う結果となる。故に家を示す卦の後に睽の卦が続く。睽とは、目を背け合うという意味である。

睽、小事吉。

睽、小事吉。
睽は、小事に吉。
けいは、しょうじにきち。

小さなことには吉。

彖曰、睽、火動而上、澤動而下。二女同居、其志不同行。説而麗乎明、柔進而上行、得中而應乎剛。是以小事吉。天地睽而其事同也。男女睽而其志通也。萬物睽而其事類也。睽之時用、大矣哉。
彖に曰く、睽は火動いて上り、沢動いて下る。二女同居して其の志同行せず。説びて明に麗き、柔進みて上り行く。中を得て剛に応ず。是を以て小事には吉。天地睽きて其の事同じ。男女睽きて其の志通ず。万物睽きて其の事類す。睽の時用、大なるかな。
たんにいわく、けいはひうごいてのぼり、さわうごいてくだる。にじょどうきょしてそのこころざしどうこうせず。よろこびてめいにつき、じゅうすすみてのぼりゆく。ちゅうをえてごうにおうず。ここをもってしょうじにはきち。てんちそむきてそのことおなじ。だんじょそむきてそのこころざしつうず。ばんぶつそむきてそのことるいす。けいのじようだいなるかな。

彖伝によると、この卦は火が動いて上り、沢が動いて下ろうとする。二人の娘が同じ家に同居するけれども、その志は並んでは行かない。背き合う。この卦の下半分に喜ぶという徳がある。上半分の明らかという卦にくっついている。陰爻が進んで上の方に行く。しかも六五は上半分の真ん中という中庸の位を得て、九二という強い陽性の者と対応している。そういうきちんとした対応関係があるから、小さいことを行うには吉。天と地は反対の方向にあり、背き合っているけれども、その万物を育てるという事業は同じである。男女は性格がまったく反対であるけれども、その志は通じ合う。万物はそれぞれ種類が違うけれども、その万物のなす仕事はだいたい同類である。そういう意味で「背く」という時の働きは、偉大なるものがあるなあ。

象伝

象曰、上火下澤。君子以同而異。
象に曰く、上に火あり下に沢あるは睽なり。君子以て同じくして異なり。
しょうにいわく、うえにひありしたにたくあるはけいなり。くんしもっておなじくしてことなり。

睽の卦は上卦が火、下卦が沢。その性質は異なる。君子はこの卦にかたどって、和して同じない。

火沢睽

初九。悔亡。喪馬勿逐、自復。見惡人无咎。

初九。悔亡。喪馬勿逐、自復。見惡人无咎。
初九。悔亡ぶ。馬を喪うも逐うこと勿れ、自ずから復る。悪人に見えて咎无し。
しょきゅう。くいほろぶ。うまをうしなうもおうことなかれ、おのずからかえる。あくにんにまみえてとがなし。

後悔があるべきであるが、その後悔もなくなるであろう。馬が逃げるけれども追いかける必要はない。自分から帰ってくるだろう。悪人にも喜んであるようにすれば咎がない。

象伝

象曰、見惡人、以辟咎也。
象に曰く、悪人を見るは、以て咎を辟けんとなり。
しょうにいわく、悪人をみるは、もってとがをさけんとなり。

初に対応すべき爻は四である。しかし四は初と同じ陽爻で「応」じない。今は睽くの時。応じ合うべき者は背き、離れるはずの者が却って合う。咎を避けるためには、本来なら会うことをいさぎよしとしない悪人にも会わねばならない。

九二。遇主于巷。无咎。

九二。遇主于巷。无咎。
九二。主に巷に遇う。咎无し。
きゅうじ。しゅにちまたにあう。とがなし。

自分の主人を捜し求めて、狭い路地で落ち合う。咎はない。

象伝

象曰、遇主于巷、未失道也。
象に曰く、主に巷に遇う、いまだ道を失わざるなり。
しょうにいわく、しゅにちまたにあう、いまだみちをうしなわざるなり。

九二は六五と「応」じている。家来が路地まで君主を追いかけるのは、道に外れていない。

六三。見輿曳。其牛掣。其人天且劓。无初有終。

六三。見輿曳。其牛掣。其人天且劓。无初有終。
六三。輿の曳かるるを見る。その牛は掣。其の人天され且つ劓。初め无くして終わり有り。
りくさん。くるまのひかるるをみる。そのうしはせい。そのひとはてんされかつぎ。はじめなくしておわりあり。

牛車を後ろへ引き戻される。自分の車を轢いている牛は押し戻される。その乗り手は髪を切られ、鼻を斬られる。初めは酷い目にあうが、終わりは良くなる。

象伝

象曰、見輿曳、位不當也。无初有終、遇剛也。
象に曰く、輿を曳かるるは、位当たらざればなり。初めなくして終わりあり、剛に遇えばなり。
しょうにいわく、くるまをひかるるは、くらいあたらざればなり。はじめなくしておわりあり、ごうにあえばなり。

六三は上九と「応」ずる。自分は弱い陰の身で、前後(上下)に強い陽が牽制する。ひどい目にあるのは、もともと六三が陰爻陽位という、不正な地位におるからである。終わりがよいというのは、上九の剛爻に最後に会えること。

九四。睽孤。遇元夫、交孚。厲无咎。

九四。睽孤。遇元夫、交孚。厲无咎。
九四。睽きて孤りなり。元夫に遇い、交ごも孚あり。厲うけれども咎无し。
きゅうし。そむきてひとりなり。げんふにあい、こもごもまことあり。あやうけれどもとがなし。

仲間と背き離れ、孤独である。善き男に会うことがある。信じあえれば、あやういけれども最後は咎はない。

象伝

象曰、交孚无咎、志行也。
象に曰く、こもごも孚あり、咎なしとは、志行なわるるなり。
しょうにいわく、こもごもまことあり、とがなしとは、こころざしおこなわるるなり。

四は初とともに陽爻で「応」じない。しかし睽の卦は、普通の場合とちがい、本来応じないものが却って合うのである。信頼し合えば、咎がないだけでない、このそむきあう世を救わんという四の志を実行に移すことができよう。

六五。悔亡。厥宗噬膚。往何咎。

六五。悔亡。厥宗噬膚。往何咎。
六五。悔亡ぶ。厥の宗、膚を噬む。往くも何の咎あらん。
りくご。くいほろぶ。そのともがら、はだえをかむ。ゆくもなんのとがあらん。

本来後悔があるはずであるが、その後悔がなくなる。自分の仲間が自分の皮膚に噛み付く。仲間が自分の肌に食い込むほど結束してくれる。かようにして進めば何の咎もない。

象伝

象曰、厥宗噬膚、往有慶也。
象に曰く、その宗、膚を噬むとは、往きて慶びあるなり。
しょうにいわく、そのともがら、はだえをかむとは、ゆきてよろこびあるなり。

六五は、陰爻が陽位にある、力弱い身で高い地位にある。しかし、六五は「中」であり、九二の「応」もある。強力な応援があるので、どこへ行くにしても、福がある。

上九。睽孤。見豕負塗、載鬼一車。先張之弧、後説之弧。匪冦婚媾。往遇雨則吉。

上九。睽孤。見豕負塗、載鬼一車。先張之弧、後説之弧。匪冦婚媾。往遇雨則吉。
上九。睽きて孤りなり。豕の塗を負うを見、鬼を一車に載す。先には之が弧を張り、後には之が弧を説く。冦するに匪ず。婚媾せんとす。往きて雨に遇えば即ち吉。
じょうきゅう。そむきてひとりなり。いのこのどろをおうをみ、おにをいっしゃにのす。さきにはこれがゆみをはり、のちにはこれがゆみをとく。あだするにあらず、こんこうせんとす。ゆきてあめにあえばすなわちきち。

仲間はずれで独りである。見れば豚が背中に泥を背負っている。車いっぱいに幽霊が載っているのを見る。そこで幽霊を見た者は慌てて、最初弓に弦を張る。後にはその弦を外す。相手は仇や敵ではなかった。実は自分と婚姻すべき相手であった。さらに前進して雨になれば吉であろう。

象伝

象曰、遇雨之吉、羣疑亡也。
象に曰く、雨に遇うの吉なるは、群疑亡ぶればなり。
しょうにいわく、あめにあうのきちなるは、ぐんぎほろぶればなり。

前進して雨にあえば吉、今までの数々の疑いは、すべてなくなる。

▼▼最幸で豊かな人生を自分にもまわりにも贈ろう!▼▼
メールマガジンご登録【最幸の人生の贈り方】

朝日 一惠 【最幸の人生の贈り方】メールマガジンは、毎朝届きます。
◇────────────────◇ 
「最幸で豊かな人生を自分にもまわりにも贈ろう!」

「誰もがやりがいのある仕事で、生涯現役で働き、
みんなが豊かで幸せになる社会を創る!」  

「子どもたちがわくわくと大人になることを 楽しむ社会にする!」
◇────────────────◇  

2013年1月の発行以来一日も休むことなく配信しています。
無料で購読できます。
配信したメールから解除もできます。

易経
知恵の森
タイトルとURLをコピーしました