太昊伏羲氏
易の八卦を作り出したのは、三皇の一人の太昊伏羲氏であるということである。仰いで天の運行の状態を観察し、伏して地の形勢を観察し、鳥や獣の状態を見、近くは自分の身を見、遠くは外界の万物を観察して、始めて八卦を作った。その八卦を重ねたのが六十四卦であるが、誰が作ったのかは明らかではない。
連山易・帰蔵易
周易より以前に、連山易・帰蔵易という易があった。連山易は三皇の一人である炎天神農氏が作られたという伝説がある。帰蔵易は、三皇または五帝の一人と称せられる黄帝軒轅氏が作られたという伝説がある。連山易は、夏の時代にもっぱら行われており、帰蔵易は、殷の時代にもっぱら行われていたということである。二つとも今は亡びてしまっている。連山易は、人生に必要なる物資が多く山から算出するので艮䷳の卦をはじめにおいて、いろいろな卦を配列したものであり、帰蔵易は、万物は皆、地に帰し地に蔵められ、それからまた地から万物が生じる、地が万物生成の根本であるというので、坤䷁の卦をはじめにおいて、いろいろな卦を並べたものであるということである。
周の文王・周公旦
今の周易の経文の中の彖、すなわち卦の辞は、周の文王が作られたと伝えられている。象、すなわち爻の辞は、周の文王の子の周公旦が作られたと伝えられている。
十翼
周易の経文を注釈したところのもの、彖すなわち卦の辞を説明した彖伝上下、象すなわち爻の辞を説明した象伝上下、易の総論とでもいうべき繋辞伝 (けいじでん) (上・下)、文言伝、説卦伝 (せっかでん) 、序卦伝 (じょかでん) 、雑卦伝は、十翼と称せられ、孔子が作られたと伝えられている。